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	<title>アルデガン幻夢郷</title>
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	<description>遠き昔、遠き世界のものがたり</description>
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		<title>『黄金の髪の乙女たち』～アルデガン外伝１～第３章</title>

		<description>＜第３章：最果ての森＞

　風がその森…</description>
		<content:encoded>
			<![CDATA[ ＜第３章：最果ての森＞

　風がその森から吹き寄せていた。残照の消えた夜空よりもなお暗い深い森の揺れる梢を風が吹き渡っていた。
　風が吹き梢がざわめく。あたりまえの光景のはずだった。
　しかし風は強い妖気を帯び、ざわめきはそれ自体の法則に従い風とは微妙にずれていた。あたかも樹々が、互いに秘密の言葉を交わしてでもいるかのように。
　頭の後ろで束ねたまっすぐな髪が風の孕む妖気に乱れた。この身と同じ吸血鬼の、けれど桁違いに濃く混じりけのない妖気に。相手は人と吸血鬼との力の差さえ比較にならぬ高みに在るのだ。探ろうと伸ばしていた意識をリアは思わず引っ込めた。身を固くした少女の青い目が、緑がかった常闇の奥から歩み寄らんとする姿を捉えた。
　それが歩み出たその瞬間、たちまち周囲が明るくなった。天頂からの月明かりを受け、大きくうねる金色の髪が緑の闇を圧してまばゆくあでやかに照り映えたのだ。

　見たところはリアよりやや年上の上背のある乙女の姿だった。色の濃い豊かな金髪が丈高き背から腰へと弧を描いていた。浅い紫の長衣に緑の帯を締め紺に染められたマントを羽織った体は、輝く髪とは対照的に月影のごとく夜の闇に溶けていた。
　頭には簡素な作りの、しかし白銀色の冠のようなものを頂いていた。その正面に赤い宝玉がひとつ輝いていた。その冠のせいか昔話に出てくる姫のような姿だとリアは思った。
　そういえば昨夜山道で出会った若者たちは自分のことを闇姫の眷属とかいっていた。この乙女こそが闇姫と彼らが呼ぶ者に違いなかった。
　大きく見開かれた目は緑色で渇きに苦しむ真紅でこそなかったが、訴えに満ちたまなざしだった。なにかを求めてやまぬことが離そうとした意識にいやおうなく届いた。そして小さな赤い唇が動いた。
　だが聞こえたのは、耳にしたこともない言葉だった。
　相手が白い両腕を差し伸べ、またも言葉が発せられた。やはり理解できなかった。けれどそれは、なにかに似ていた。
　だしぬけに思い出された。魔術士の呪文にそっくりだ。けれどこれは呪文ではなく、明らかに呼びかけだった。

　高位の呪文の多くは上古の時代に作られたのよ。上古の言葉が失われた今もなごりがいくらか留められているの。

　もうはるか昔のような遠い声がした。人間だった彼女に魔術の手ほどきをしてくれた師にして名付け親の導きの言葉が。
「では、これはもしかして上古の言葉？」
　ありえない話ではなかった。これだけの妖気を持つ者ならば、どれだけの年数を生きてきたか計り知れないとさえ思えた。だが高位呪文を習得していない少女に、それ以上言葉を解するすべはなかった。
　リアは相手に視線を戻した。腕を下ろし、視線も地面に落ちていた。落胆している様子がうかがえた。けれど相手に掴まれないよう意識を引っ込めたせいで、少女にもそれ以上のことはわからなかった。乙女がこちらを見ていないためリアも心を定められぬまま、ちらちらと相手を盗み見ていた。

　リアは転化後に他の吸血鬼と出会ったことが一度だけあった。直接顔を会わせてではなく意識を介してのことだったが。
　その相手こそリアを牙にかけた者だった。自らを牙にかけた者にあまりにも長く責めなぶられた果てに歪み堕ち、すべての者を呪うしかないところまで追い詰められた者だった。彼女はリアを苦しめるため、牙にかけながらわざと殺さなかった。己が受けた仕打ちをリアにも繰り返さずにいられなかったから。
　リアにとって彼女はまさに魔王だった。自分を直接牙にかけた者の力は凄まじかった。転化してからの二十年、吸血鬼としての支配の理の上に彼女は憎悪と怨念に支えられた凄まじい意志力と果てしない悪意を培っていた。人の心ゆえの呪訴が吸血鬼の力を得て、この世を滅ぼす意志に憑かれた最凶の魔物と化しつつある姿だった。アルデガンの長だった彼女の父に滅ぼされなければ、この大陸はその牙に呪われた者で満ち溢れていたに違いない。
　吸血鬼は吸血鬼を殺せない。たとえ牙にかけた相手でも、どれほど力に差があろうと。
　だからこそ、力ある相手にはうかつに近づけないのだ。もしも支配されれば、待つのはまさに永劫の地獄だから。
　リアを牙にかけた者もその苦悶ゆえ、あれほどまで痛ましくも歪み堕ちたのだ。己の落ちた無限地獄に全ての者を引き込まんと呪わずにいられぬところまで……。

　もちろんそのことは知っていた。身を持って思い知ったはずのことだった。それでもリアは、いつしか相手から目を離すことができなくなっていた。そんな自分に驚きさえも覚えつつ、いまや少女は冠を頂く丈高き乙女をひたすら見つめていた。
　目の前にいるのは自分よりはるかに強大な存在のはずだった。でもそれは、単に年数を経て増した力ゆえのものでしかないようにも見えた。
　憎悪や悪意は感じられず、どこか哀れな印象さえあった。
　うかつに近づける相手ではないはずなのに、放っておけないと思えてならなかった。

　リアは意を決した。
「あなたはだれ？」
　言葉とともに意識を伸ばし、直接心にも呼びかけた。
　相手が顔を上げ、すがるようなまなざしが向けられた。そして思念が返された。
＞……わからない。私はだれ？　私はだれだったの？＜
「……もしかして、さっきもそういっていたの？」
　相手はうなづいた。
「あなたに会うのは初めてよ。わかるはずがないでしょう？」
　大きな緑の瞳がうるんだ。リアは困惑した。これでは話が続かない。とにかく先の続けられる話をするしかなさそうだった。
「では私からきくわ。あなたは私がだれだかわかる？」
＞あなたの、名前？＜
「名前じゃないわ。私が何者なのかよ。あなたには私は人間に見える？」
　緑色の目がかすかに光った。
＞人間じゃ、ない……＜
「そうよ。私は人間じゃない。あなたと同じよ」
　とたんに相手は膝をつき両手で顔を覆って叫んだ。思念だけでなく忘れられた言葉で。
＞私は人間だったのよ！＜

　おぼろげながら、リアにも事情が呑み込めてきた。
「人間だったことを忘れていた。けれども思い出してしまった。そうなのね？」
　乙女は身を震わせていた。リアより背が高いにもかかわらず、その様子はまるで置き去りにされた子供のようだった。
　確かに置き去りにされたのだ。リアは悟った。記憶のないまま過ごした時の流れの中で乙女に関するすべてのものが消え失せ、彼女はただ一人置き去りにされたのだと。
「人間だったことを思い出したのはいつごろなの？」
＞……ずっと、ずっと前＜
「それまでは自分を疑問に思わなかったのね？」
　乙女が小さくうなづいた。
「なぜ自分が人間だったとわかったの？」
＞花を見たの＜
「花を？」
＞……夜に咲かない花を人間の家で見たの。昼間に摘まれたまま咲き開いていた。私が知っているはずがない形で＜
＞なのに私はその花を知っていた。そして思い出した。この身に日の光を浴びながら私はこの花を摘んだことがあったと……＜
「……それだけだったの？　思い出せたのは」
　乙女はまたうなづいた。

　どうやら死んで転化した者らしかった。死んでからっぽのまま甦り、人の血を得て転化を終えた者のようだった。そういう者にリアはこれまで出会ったことがなかった。
　転化が進みからっぽのまま甦った者の姿を見たことはあった。動く死体のような状態だった。近づく者に盲目的に牙を剥く恐ろしい姿に、まだ牙を受けたばかりだったリアはあのとき怯えた。自分もそうなると思っただけで心が挫けたほどだった。
　だが死んで転化した者のいったんからっぽになった魂は、意識が目覚めた時点では生まれたてに等しいある意味無垢なものであるらしいことが乙女の話からうかがえた。おそらく彼らは自分がかつて人間だったなどと夢にも思わず、ただ出会う人間を無心に牙にかけたに違いなかった。人間の心を持つゆえの苦しみとも、さらに苦しみゆえの歪みともそれは無縁の境地のはずだった。
　それゆえ今や感じ方が変わっていた。いかに人の目に恐ろしく見えようと、牙にかかり死んで転化する者がからっぽになるのはむしろ自然なのだと、慈悲でさえあるのだと。
　自分のように人間の心を残してしまったり、目の前にいる相手のように記憶の欠片だけを取り戻したりするのは不自然であり、それゆえの苦しみを免れないことなのだと。
　確かに目の前の名もなき乙女は、長い時の果てに凄まじい力を持つにいたった上古の吸血鬼に相違なかった。
　だがその心は、たった一つの記憶を取り戻したばかりに自然に在れなくなっていた。時の流れに置き去りにされた無力な魂が、己が身を見失った不安と無垢でいられぬ哀しみになすすべもなく苛まれているのだ。
　こんな状態でどれほど長い時を過ごしていたのか。哀れとしかいいようがなかった。放っておけば永遠にこの状態から抜け出せないに違いない。
　決して放っておけないとリアは感じた。でも失われた記憶を、相手が望んでやまぬものを与えるすべはなかった。ではどうするのか。なにができるのか。
　答はすぐに見いだせた。けれどリアはためらった。相手が哀れだからこそ、それは容易に決められぬことだったから……。

「……人間だったときのことが知りたいの？　そのせいでもっと苦しむかもしれなくても？」
　それを聞いて、乙女がリアを見上げた。
「私は五年前に転化した。自分の意識も記憶も全て残したまま、こんな身に堕ちてしまった」
　リアは乙女の正面に膝をつき、両手でその肩を引き寄せた。
「私はあなたの望みを叶えられない。でも、あなたが自分のことを知ってしまえば感じるかもしれないことなら伝えられる」
　今度はリアの青い目が丈高き乙女を見上げた。
「あなたをもっと苦しめるかもしれない。それでも今の状態からあなたを変えるためにできることはこれだけなのよ。
　でも、望まないなら無理強いしないわ。そんなことが許されるものではないから」
　緑の瞳に脅えが走った。まぶたが固く閉じられた。
　しばしの逡巡を経て、しかし乙女の思念は告げた。
＞……もうこのままではいけないと思う。だから、お願い＜

　リアは乙女の魂に自分の魂を重ねあわせて感応させた。
　これまでのすべての記憶が相手の中へと流れ始めた。
　ゆっくりと伝えた。
　かみしめるように。



　終わった時、月は大きく傾いていた。
　乙女は呆然と緑の目を見開いていた。
「これが私の過去と今。私は自分のことを忘れなかった。だからこんな道を歩んできたわ……」
＞……私が自分のことを覚えていたら、こんなふうに苦しんだというの？＜
「同じ道ではなかったかもしれない。でも覚えていたら、あなたも人の目で吸血鬼と化した我が身を見つめるしかなかったはず。私にはあなたが苦しまずにすんだようには思えない」
　リアは立ち上がった。
「いくら覚えていたって人間になんか戻れはしない。ただこんな身のまま在り続けるだけ。それは私もあなたも同じだから」
＞それで、あなたは願っているの？　いつか滅びたい……と＜
「私たちは人間じゃない。けれど吸血鬼として自然にふるまえるわけでもない。不安定な状態がずっと続くばかり。このままでは決して安らぎは得られないのよ。
　しかも私たちは大きすぎる力を持ってしまった。魂一つ歪んだだけで世界のあり方をねじ曲げてしまう力を。こんなに危うい、脆い心を抱いたまま……」
　少女は上古の乙女に目を向けた。
「世界を歪めずにすむ保証なんかどこにもないわ。そうなれば、もう私たちが苦しむだけではすまないもの」

＞……いつまでもこう在り続けていてはいけないというのね＜
　乙女のまなざしが己の内を見つめていた。
＞滅びにしか救いはないと……＜
　だがかみしめるような思念がいったとたん、たちまち風が吹き荒れ渦巻いた。風鳴りにざわめく樹々に乙女がはっと面を上げ、うろたえた様子で中空に叫んだ。
＞違う、そうじゃない、違うのよ！＜
「どうしたの？　これはっ！」
　真正面からの激しい風に思わず目をかばったリアが叫んだ。
＞森があなたを私に仇なす敵とみたわ！＜
　渦巻く風に身を巻かれつつ、乙女が少女を振り返った。
「あなたの、敵？」
＞あなたに触れて、私は滅びを願うことを知った。
　だから森はあなたが私を滅ぼすとみなし、あなたから護ろうとしているの！＜
「いったいなに？　この森は！」
＞私を護り続けてきた。渇きからさえ＜
「まさか、あなたの妖気を浴び続けて」
＞いつしか私と意志をかわすようになった＜
「魔性に目覚め逆にあなたを取り込んだの？」
＞私に生きろといっている。そうすれば＜
「あなたをいつまでも生かしておいて」
＞力を得てどこまでも広がってゆけると＜
「妖気を糧にこの大陸を覆いつくすまで！」
　乱れ飛ぶ思念と叫びの背後で、樹々のざわめきが一つの響きにまとまり始めた。
＞だから、あなたは敵なのだと＜
「だめ！　それでは世界が！　従わないでっ」
＞私を引き離すといってるわ！＜
　妖気に満ちた空間に言葉に似た響きが織り上げられた。乙女の話す上古の言葉にそれは似ていた。
　瞬間、響きと妖気が溶け合い魔力が発動した。風に絡められた丈高き姿がかき消えた！
　魔力の余波を放ちつつ、風の渦がほどけて散じた。呆然と立ち尽くすリアのもとに、微かな思念がかろうじて届いた。
＞私はあなたを忘れない。でも、森ももうあなたを忘れない。
　あなたが森に近づけば、森はあなたから私を引き離す。
　あなたにはもう会えないわ。けれど決して忘れない……＜
　こだまのような思念ははるか彼方に消え失せた。
　すると樹々のざわめきが転じ始めた。敵意と悪意のただ中に、貪欲な響きが滲み出てきた。
「まさか私まで狙うというの？」
　戦慄する少女の前でざわめきが膨れ上がり、触手のごとき風がどっと吹き寄せた。必死でもがき、倒れ込んだまま地を這った。絡む風から、生の魔性の権化と化した昏き森から逃れるべく！


　空がうっすらと白み始め、追いすがる風がようやくやんだ。
　リアは青ざめた顔で振り返った。西の地平にわだかまる、影のごとき魔の森を。
「種族を超えた力は種族の運命と世界の命運を狂わせる……」
　口に出たのは、かつて出会った異世界の魔物の言葉だった。
　その力の源として、強大な妖気と哀しみに染め上げられた魂を併せ持つ上古の乙女はあの森に縛られているのだ。
　乙女の心には世界そのものへの害意などまったくなかった。
　大昔に吸血鬼の牙にかかった哀れな犠牲者にすぎなかった。
　にもかかわらず、彼女の存在自体が森を変貌させたのだ。
　長大な年月をかけてじわじわと、しかし確実に世界を呑み込む巨大な魔物へと……。

「……私たちはただ在るだけで全てをねじ曲げるというの？」
　低いつぶやきに応えるものはなかった。



　リアが戻ると、魔物たちがいっせいに視線を向けた。けれど、なにかが変だった。
　人面の獅子のごとき魔獣が出迎えた。これまで以上に人に似た顔で、表情で。
　思わず少女は立ち止まった。
「……どうしたの？」
　向けられた魔獣の目の奥に、なにかが生まれていた。
　荒ぶる魂の中、それが育ち始めていた。
　形を取ろうとしつつあった。
　やがて哀しみになるはずのものが。
「まさか！　そんなっ」リアは叫んだ。
「私の魂に染まったの？　こんな心で触れ続けたから？」
　ぞっとして見回した。どの魔物の目も同じだった。
　人間と区別のつかないものになろうとしていた。
　もともとかけ離れていたわけではなかった魂が。

「だめよ！　だめっ」少女は悲鳴をあげた。
「離れて！　私のそばにいてはだめ！」
＞離レ難イ……＜
　人面の獅子のごとき魔獣がぎこちない思念を返した。
「去りなさい！　それは自然な姿じゃないわ！　ただいたずらに苦しむ、歪んでしまう」
＞去レルモノハ去ッタ。去レヌモノバカリガ残ッタ＜
　巨人の思念が応じた。
＞去リ難イ、己ガ心ノ求メユエニ＜

　膝を落としたリアを朝日が照らした。目が見えなくなった。
　魔物たちが身を寄せてきたが、その姿ももう見えなかった。
　ただ己が魂に、彼らのぎこちない魂が寄り添うのを感じた。
　少女は悟った。彼らはもう元に戻ることがないのだと。
「私はなにもかもねじ曲げてしまうの？」
　光に盲いた目から涙が溢れた。
「私はどうすれば、償えばいいの？」
＞心ノママ憩イノ地ヲ求メ行ケ＜
　皮の翼で日を遮る魔獣が応えた。
＞ソコガ我ラノ憩イノ地ナレバ＜
　地平線に魔の森の影わだかまる荒野のただなかで、奇妙な絆で結ばれたものどもは戻ることなき旅立ちの夜を待つのだった。
　光を耐え忍ぶべく身を、魂を、ぎこちなく寄り添わせつつ。



　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　終
 ]]>
		</content:encoded>
		<dc:subject>-</dc:subject>
		
		<dc:date>2018-09-16T07:42:32+09:00</dc:date>
		<dc:creator></dc:creator>
		<dc:publisher>WOX</dc:publisher>
	</item>
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		<title>『黄金の髪の乙女たち』～アルデガン外伝１～第２章</title>

		<description>＜第２章：荒野＞

　大陸の西のはずれ…</description>
		<content:encoded>
			<![CDATA[ ＜第２章：荒野＞

　大陸の西のはずれに広がる広大な森の近くの荒野のただ中で、魔物たちが真昼の太陽の下に身を寄せ合っていた。
　岩のような体表をした巨人が太陽に背を向けて立ちはだかり、高い太陽を遮るわずかな日陰に大きなものが小さなものを守るように密集していた。その中央に獅子の体に人の顔と刺のある尾を持つ魔獣が分厚い皮の翼で眠るリアの体を覆っていた。
　闇の中で転化した吸血鬼の牙を受けたリアにとって、太陽の光は灼熱の白い闇だった。転化の過程で光に当たる時間が長かったためいくらか耐性が高まり体が焼けるまでには至らなかったが、陽光を浴びれば目はまったく見えず力は大きく削がれ、焙られるような苦痛に容赦なく苛まれた。そして消耗した体は激しい渇きに襲われることを免れなかった。
　だから魔物たちはその身をこうして陽光から守っていたのだ。けれど安らぎなき眠りの悪夢からは守るすべがなかった。



　生まれてからアルデガンを出たことがなかったリアは外の世界をまったく知らなかった。彼女は魔物たちをつれて南下した果てに広大な砂漠に出たが、砂漠生まれの魔物たちが棲むべき場所と感じているのを察知したため入り口で彼らを解放してしまった。そして人里が少ないと考え砂漠を突っ切ろうと踏み込んだため、導くものもない彼らはたちまち迷ってしまったのだ。
　そこは地獄だった。苛烈な太陽が容赦なく彼らの体力を削り、吹き荒れる砂嵐が翻弄した。魔物たちは弱いものから倒れ、生き残ったものはその骸を貪りかろうじて命をつないだ。
　果てしなく身を苛む苦痛と己の無知ゆえにこんな地獄へ群れをつれ込んだことへの激しい自責の上に、狂おしいばかりの渇きが重なった。
　ついにリアの意識はとぎれた。これほど苦しみぬいてさえ滅びえぬ我が身を呪ったのが、砂漠での最後の記憶だった。

　やっと意識を取り戻したとき、どれほど時が過ぎていたかさえ全くわからなかった。
　そこはもう砂漠ではなかった。大きな建物の中だった。砂煉瓦の壁も砂岩を敷きつめた床もなにもかもが血にまみれていた。
　魔物たちはいたるところで、元の形がわからなくなったものをひたすら貪っていた。
　なにも覚えていなかった。だが顎がべっとり濡れていた。
　あげた絶叫が悪夢に憑かれた眠りを引き裂いた！



　涙のあふれる目が見開かれ真紅の光を捉えた。地平線に黒々とわだかまる彼方の森の背後の空が一面の朱に染まっていた。
「また……」
　まだ悪夢の中にいる心地でリアは呆然と周囲を見回した。だが自分を守っていた魔物たちが目に入ったとき、数が減った彼らの姿に少女はふと疑問を感じた。
　彼らは解放されなかったわけではなかった。一度はそれぞれに適した場所で解放され同族たちが去ったにもかかわらず、彼女のもとに残ったものたちばかりだった。
　これまではさして不思議に思わなかった。数が多すぎれば獲物を奪い合うことになるから、離れた場所に縄張りを作るのだろうと思っただけだった。
　でも昨夜の若者たちとの遭遇に呼び覚まされた悪夢に苛まれた身には、彼らがつき従うのがいかにも奇妙に思えた。

「……私についてくるのはなぜ？」
　リアは低い声で問いかけた。
「私はあなたたちをずっと苦しめてきた。人の多い場所を避けていくからいつも飢えさせて、あげくに恐ろしい砂漠に迷い込んで多くの仲間を死なせまでした。
　さんざん苦しめてきたはずよ。なのになぜついてくるの？
　……なぜ、ここまで私を守ってくれるの？」
　応えは返ってこなかった。ただ、とまどったような思念の動きが感じられた。
　魔物たち自身にもよくわからないようだった。

　そこへ彼方の森から妖気に満ちた風が吹き寄せてきた。それはさきほどまでとは比較にならない濃密なものだった。風に乗って森全体がざわめくような気配が伝わってきた。あきらかにただの森ではなかった。
　やがてその遠い風の中、なにかがいきなり現れた。森のはずれに突如として現れたそれは明らかに吸血鬼の気配だった。しかも途方もない妖気を放っていた。どんな相手かまるで見当がつかなかった。
　彼らを解放するどころではなかった。尋常ならざる場所としか思えない。声におのずと決意が滲んだ。彼らを近づけては、これ以上苦しめてはならないと！
「みんなここから動かないで！　私が確かめるから」
　そしてリアはざわめく森へ、魔風に髪をなびかせ歩み始めた。はるか先に待ち受けるものを己が意識で探りつつ。
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		</content:encoded>
		<dc:subject>-</dc:subject>
		
		<dc:date>2018-09-16T07:37:15+09:00</dc:date>
		<dc:creator></dc:creator>
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	<item rdf:about="https://mohito.novel.wox.cc/entry8.html">
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		<title>『黄金の髪の乙女たち』～アルデガン外伝１～第１章</title>

		<description>＜第１章：山道＞

　恐ろしい敵がルザ…</description>
		<content:encoded>
			<![CDATA[ ＜第１章：山道＞

　恐ろしい敵がルザの村に近づいてくるとの知らせに決死の覚悟で飛び出してきた若者たちを待ち受けていたのは、戦いなどとは呼べぬ無惨な運命だった。
　十人の若者は狭い山道に急ごしらえの柵を巡らせ、積み上げた薪の山に火をかけた炎の壁で敵を阻もうとした。限られた時間で作ったにもかかわらず、夜空を染めて燃え上がる炎の壁は両脇が切り立った岩壁だったため首尾よく村への道を塞いだ。
　だが武器といえば、刃こぼれした剣を持ったものが二人に弓を持ったものが一人いただけで、あとは鎌や鍬、川魚を獲るための銛などを手にしているにすぎなかった。それでも若者たちの目はなまくらな刃とは裏腹の切羽つまった死にもの狂いの光を宿していた。敵が山賊や野盗の類でさえあったなら、持ち堪えることもできたはずだった。
　けれど、相手は魔物の群れだった。
　たじろぐ若者たちの目の前で体の小さな魔物が後ろに下がり、大きな魔物が前に出た。そして山道の幅いっぱいに広がったことで、群れの中にいたものの姿が顕わになった。
　小柄で華奢な少女だった。怪物の群れのただ中になどいられるはずがない姿だった。
　けれどその目は燃え上がる炎を映したように赤く、淡い金髪も照り返しを受け火の粉を散らすようだった。そして口元で何かが小さな、しかし鋭い光を放った。
　細い牙だった。正体を悟った若者たちは戦慄した。
「吸血鬼……、金色の髪……」
　まだ少年でしかない最年少のバドルが呻いた。
「さては闇姫の眷属か！」
　その兄でリーダー格のガドルが剣を握りしめた。
「ルザの村はあくまでおまえたちに滅ぼされるしかないというのかっ！」
　顔色を失いながらも、しかしガドルは恐るべき少女を睨みつけた。
「そんな定めになど従えるかっ！　黙って滅ぼされると思ったら大間違いだぞ。撃てっ！」
　矢が少女の胸を貫いたとたん魔物たちが突進した。翼を持った獅子のような魔獣が炎の壁を飛び越えた。岩のような肌の巨人が炎の中に踏み込み燃え盛る柵を踏み砕いた。炎の壁の破れ目から残る魔物たちが一気になだれ込んだ。
　若者たちはいっせいに魔物たちに打ちかかり、手にした武器を突き立てた。しかし貧弱な得物では浅手を負わすのがやっとだった。あっという間に六人が挑んだ相手に食い殺された。
「おのれっ」辛くもあぎとを逃れたガドルたちが体勢を立て直す暇もなく、翼持つ人面の獅子が向かってきた。
「わぁあっ」思わず背を向けたバドルに魔獣が飛び掛った。
「バドル！」兄は弟に体当たりした。転倒した二人の脇を魔獣の体が通り過ぎた。瞬間、ガドルは脇腹に激痛を覚えた。とたんに手足から力が抜け、彼は地面にへたり込んだ。尾の刺の毒が巡り始めたのだ。
　ばりばりと音がした。あとの二人が噛み砕かれていた。恐慌に陥ったバドルが泣き喚きながら逃げ出した。
「そっちはだめだ！　村へ戻るなっ」
　兄の叫びより速く魔獣が弟に追いすがろうとした瞬間、
「戻って！　私から離れてはだめ！」
　透きとおるような声が叫び魔獣の足が止まった。バドルは闇の彼方に駆け去った。
　ガドルは思わず声のした方を見た。

　少女が胸から矢を引き抜いていた。赤い瞳がガドルを見た。
「この先に村があるの？　だから私たちに立ち向かったのね」
　気づかれた！　ガドルは歯噛みした。
「あなたの村はどこ？」
　答えてたまるかっ！　ガドルは顔をそむけようとした。だが、赤い瞳は彼の視線を捉えて離さなかった。視線を伝ってなにかが彼の心に入り込んできた。
　意識を探られると悟ったガドルは抗おうとした。易々と抵抗をすりぬけた少女の魂が触れた。ガドルは驚愕した。
　ずたずたに引き裂かれた魂だった。殺してしまった者のことを悲しみ嘆き、殺さずにいられぬ己が身に苦しみ、ぼろぼろの心が朱に染まっていた。想像もしなかったありさまだった。だが、
「この道をずっとまっすぐ行った川のほとり……」
　少女のその呟きに、我に返ったガドルは絶望に覆われた。
　魔物が近づいてくると聞いた自分たちはいても立ってもいられなかった。無駄死にするだけだからやめろという長を振り切って戦いを挑んだ。その結果仲間たちは全滅し、村の正確な場所まで知られてしまった。
　村はおしまいだ。俺はなんの役にもたたなかった。
　そう思った彼の耳に少女の声が、言葉が聞こえた。
「あなたの村を避けていくわ」

　かすみ始めた目を思わず見開いた。聞こえた言葉が信じられなかった。だが相手は彼を見つめながらいった。
「ここからなら私たちはまだ道を変えられる。このまま村に踏み込んでいたら、私たちは自分を抑えられなかった。あなたの村を間違いなく全滅させた……」
　じりっと少女が近づいた。
「出会ってしまえばそうなるだけなの。みんなは生きるためにあなたたちを貪る。私も渇きに耐えられない。死ぬこともできないこんな身なのに……」
　ぼやけたガドルの目にも相手が泣いていることが見て取れた。その姿が先ほど触れた魂のすがたと一つに重なり、彼は悟った。少女が人の心を持っているのを。
「あなたが場所を教えてくれたから私たちは踏み込まずにすむ。村には行かないって約束する。だから」
　俺たちのしたことは無駄ではなかった。
　死にゆくガドルの盲いた顔がかそけき光に輝いた。
「だから……、だから……」
　いいさ、どうせ死ぬ覚悟だったんだ。
「だから許して……っ」
　死にゆく体はもう牙を感じなかった。ガドルは最後に思った。吸血鬼はこんなにも苦しみながら人を襲うものなのかと。



「もう少し待って、少しだけ……」
　魔物たちの輪の真ん中で、リアは呟きながら殺めた若者の顔を凝視していた。大陸西部のこの地方に多い髪の黒い精悍な顔を、彼女は脳裏に刻みつけた。
　やがてリアは立ち上がり、魔物たちの囲みの外へ出た。背後で肉が引き裂かれ骨が噛み砕かれる音がした。ようやく本来の青い色を取り戻した目からまた涙がこぼれた。

　五年前、人間だったリアは大陸の最北の地に魔物を封じた城塞都市アルデガンに住んでいた。その地に生まれ育った彼女は吸血鬼の牙にかかり、その探索の途中で幼ななじみの若者をかばって死にかけた。
　若者は彼女を死なせたくない一心で自らの血をリアに与えた。そのため彼女は生きたまま転化をとげ人間としての記憶も意識もすべて残したまま吸血鬼と化してしまった。
　時を同じくしてアルデガンの結界は人間同志の戦の中で破れ、封じられた魔物たちが地上に解き放たれた。もはや人間とともに在ることができなくなった彼女は、せめて魔物たちをできるだけ人間の住む場所から離れた本来の棲むべきところへ連れていこうとアルデガンを出た。そして彼女は魔物の群れとともに大陸中をさまよい続けた。それは予想をはるかに超えた過酷な旅だった。魔物たちの数は五年の間に減ってはいたが、目的地に辿りつけたものばかりではなく、旅の途上で力尽きたものも少なくなかったのだ。

　人の世の乱れにより支えを失い魔物との力の均衡が崩れたあの時のアルデガンでは、誰もが死にもの狂いで強大な敵との闘いをくりひろげていた。力及ばなかった者はことごとく斃れた。
　ここで自分たちに立ち向かった若者たちはそんなアルデガンの仲間たちとそっくりだった。常にもました激しい罪悪感が彼女の心を苛んだ。
　できればリアはせめて自分が殺めた者の亡骸だけでもきちんと弔いたかった。だが彼女が牙にかけた者はそのままでは吸血鬼と化す定めだった。それに不死の身で渇きを抑えられぬ自分が命に関わる飢えに苦しむ魔物たちを禁じることもできなかった。
　だからリアは、せめて自らが牙にかけた者の顔だけは覚えようとしていたのだ。初めて牙にかけたレドラス王も含めほとんどの顔を覚えていた。ただ一度、大砂漠に迷い込み飢え渇いたあげく踏み込んでしまった砂漠のほとりの町を、忘我のまま全滅させてしまったときを除いて。
　ここで殺してしまった若者たちはアルデガンの仲間たちと同じ思いの者だったばかりか、砂漠の町での惨劇の再来を身をもって阻んでくれた者たちだった。彼らの魂に報いたい一心で、リアは彼らが武器にした得物をすべて拾い集め、炎の柵の破れた道端に丸く土を盛った塚の頂きに刃先を向けて均等に並べた。
　それは亡骸を回収できなかった仲間たちを弔うアルデガンでの作法だった。

　弔いがすむとリアは魔物たちを連れて山道を少し戻り、沼地に下りて村を大きく迂回した。はるか彼方、若者から読み取った村のある場所とおぼしき位置に明かりが見えた。逃げ戻った少年の話を聞き、大きな炎を燃やしているのを彼女は察した。
　炎を右手に見ながら進んだのでまっすぐ西に進む形となった。やがて沼地を抜けたとき、行く手には鬱蒼とした森が果てしなく広がっているのが遠くからも認められた。まだまだ距離があるにもかかわらず、リアははるかな風に微かな妖気を感じた。



　ルザの村はバドルの話におののいた。八人が食い殺されガドルも倒れたならば、たちまち村まで攻めてくるに違いなかった。
　しかし彼らには逃げ場がなかった。

　西に広がる森は千年の昔からの魔の森だった。そこは黄金の髪の闇姫の統べる最果ての森、ゆるやかに人の領域を侵し緑の闇に呑み込む魔境だった。占師によれば、あと二十年もたてば闇姫が訪れるまでに森はこの村にも迫るとのお告げが出ていた。彼女が忘れられた言葉で告げる滅びを聞いた者は生き血を吸われるしかなく、村を捨てて逃げる以外に助かるすべはないとの卦が。
　そこへ東からも吸血鬼が出現したのだ。同じく黄金の髪の娘の姿で魔物の群れを引きつれて。もはや全滅覚悟で戦うしかない。いくつも家を取り壊し巨大な炎の防壁が築かれた。誰もが恐怖に抗いつつ、迫る脅威を頼りない得物を手に待ちうけた。

　だが、魔物の群れは来なかった。次の夜も、その次の夜も。
　ついに燃やすものがなくなり、村人たちは様子を確かめることにした。若者たちの身内の者が中心となり、決死の覚悟で現地に赴いた。戦いの跡はすぐにわかった。焼け焦げ砕かれた柵の残骸と変色した血の跡がバドルの話を裏づけていた。
　しかし柵の残骸の側に奇妙な塚ができていた。若者たちの得物が明らかに礼をもって盛り土の周囲に飾られていた。そして魔物たちの足跡が引き返した跡が認められた。
　村の占い師は若者たちの勇気が戦神の奇跡を招いたと告げた。九人の若者たちは村を守った英雄とみなされ、奇跡の証たる塚はそのままの形でルザの村の広場に移された。西から迫る来るべき滅びに対する加護あれかしと、村人たちは東からの脅威を退けた奇跡の塚に祈りを捧げるに至った。

　けれど魔の森からの妖気をはらんだ風は、すでにこの村にまで届きはじめていたのだった。
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		<dc:date>2018-09-16T07:08:22+09:00</dc:date>
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	<item rdf:about="https://mohito.novel.wox.cc/entry7.html">
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		<title>『封魔の城塞アルデガン』第３部：燃え上がる大地　後半</title>

		<description>＜第８章：屋上＞

　アザリアが意識を…</description>
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			<![CDATA[ ＜第８章：屋上＞

　アザリアが意識を取り戻したとき、あたりは宵闇に閉ざされていた。起こそうとした上体が折れたあばらの激痛に崩れた。一瞬振り仰いだ目がかろうじて夜空の様子を捉えた。

　西と北の二箇所に赤い残照が映えていた。
　天空から去った二つの太陽の名残だった。
　北の赤黒い残照にアザリアは目を向けた。

　あれはアルデガンめざす火の玉が天空を焦がすのか。
　それとも燃えるアルデガンの炎が大空を舐めるのか。

　無力だった……。止められなかった……。
　地獄の太陽の残照を見る目が絶望に霞んだ。その視線が祭壇に落ちた。
　かつて仲間だった男の無残な残骸が横たわっていた。吸血鬼の手に落ちたラルダを追いながらも及ばなかった己の力に絶望したあげく、狂気に堕ちてしまったガラリアン……。
　無力と絶望に軋むアザリアの心が骸に空しく呼びかけた。
　アルデガンを出奔しどこをどう流れてこれほど凄まじい妄執を育ててしまったの？
　あなたにとって、ラルダが失われた世界は無意味なものでしかなかったの？
　あなたを助けたのはあやまちだったの？　ただあなたを苦しめたあげく、アルデガンとこの世が滅びと戦火の災いに落ちる結果を招いただけだったというの？
　私だって無力ゆえに絶望したわ！　何度無念に泣いたかしれない。それでも力が及ぶ限りのことをしようとしたのに……。
　こんな無残なあなたを見せつけられて、数多の人々が死ぬのを無為に眺めるしかできないなんて！

　あなたを助けたのはそれほどの間違いだったというの？
　ただ一度の過ちでこんな結末を見なければならないの？
　……これほどの罰に値する罪だったとでもいうの……？
　絶望に屈しそうになったその時、一つの声がアザリアの脳裏によみがえった。
「私は誰ひとり守れず無為に死ぬしかないのですか？」

　痛みも忘れて中空を仰いだその目に、青い目に宿る激しい光が映じた。人間ならざるものに変わりゆく恐怖と絶望を突き抜けて燃え上がった光だった。
　あの集会所の朝と同じく、その光はアザリアを動かした。
　無為に死ぬなんてできない。リアだってあれほどの絶望に立ち向かったのだから、それもわが身のためなどでなく！

　アザリアは再び魔術師の骸に目を向けた。
「哀れなガラリアン。でも、誤ったのはあなただったのよ」
　痛苦に耐えて、アザリアは半身を起こした。
「あなたは自分ひとりの世界に生きていた。だから自分の絶望に抗うすべがなかった。守るべきものを失い自分の世界が崩壊したとたんにあなたの魂は支えを失い、なすすべもなく人の身のまま狂える怪物に堕ちるしかなかったのよ。わが身もろともこの世を滅ぼそうというほどの。
　でも私は、わが身が怪物に変わりつつあるのに人々を守ろうという意思を支えに絶望に抗う者を見た。だから私もここで屈するわけにはいかない！」
　激痛に喘ぎながらも、アザリアは開け放たれた檻につかまって立ち上がった。
「間に合わないかもしれない。もう終わったのかもしれない。
　それでも諦めないわ！　たとえ死んでも！」

　そのとき心の何かが己の言葉に反応した。
　死線の中で研ぎ澄まされた勘だった。
　諦めない……？　死んでも……？
「そうよ。それがどうしたの？」
　死ぬ身なら……跳べるはず。
　幾多の危機を越えさせた声が告げた。
「まさか。転移の術！」
　アザリアは叫んだ。凄まじい速さで思考が巡った。

　今の自分では転移の呪文はとても唱えられない。なぜ？
　呪文が長く複雑だから。頭の傷が集中に耐えられないから。
　では、転移の呪文はなぜ難しい？　距離の問題？
　違う。無事に降り立つのが難しいから。
　高さを誤れば大空や地中に跳びこんで即死してしまうから。
　到達地点の探知と高さの緻密な指定が欠かせないから。
　ならば、ならば無事に降り立たなくてもよければ、
　唱えれば必ず死ぬ身の私が跳ぶのなら、
　呪文を刈り込んでしまっていい！
　地中にさえ飛び込まなければ、人間が空から墜落してくれば
　見張りの絶えない洞門前なら見落とされはしない！

　洞門前の空高くへと跳ぶだけの呪文！
　脳裏に浮かんだ呪文の長さは半分以下だった。これならば！
　白い長衣の裂けた裾を破ると指先を食い切り、血文字で顛末を書きつけた。そのとき懐かしい声が脳裏に響いた。
「絶対に無理をするな。必ず帰ってきてくれ」
　寺院の廊下で両肩を掴んだボルドフのぶ厚い手を感じた。

　思わず目頭を抑えながら、しかしアザリアは微笑んだ。
「……むちゃくちゃね。でも、もうこれしかないのよ」
　血文字の書状を腕に結びつけた。
「帰るわ！　アルデガンに！　無事でいて！」
　集中し呪文を唱え始めたとたん頭の古傷から赤い闇が広がり、神速の呪文に負けじと視界を覆った。盲いてもなお縮めた呪文を唱え続ける白衣の魔術師に、真紅の死神が襲いかかった。





＜第９章：アルデガン　その１＞

　叫び訴えるリアと解呪しようとするゴルツの様子にアラードは何かがおかしいと感じた。ラルダのときと違う！
　彼はグロスを見た。グロスもアラードを見た。その顔が蒼白になっていた。
「解呪の技が正常に発動していない。魂に向かうべき力がそれていたずらに肉体を苛んでいる。閣下の御心は危うい……」
「やはり！」
　アラードは地に伏すリアの側にかけ寄った。

　見るも無残なありさまだった。人間なら耐えようのない深手を全身に負いながらもリアは右手で半身を支え、左手で腕輪を握りしめつつ見えざる嵐に抗っていた。だが回復しようとする傷をも嵐の刃は容赦なくえぐり抜いていた。何度も噛みしめた牙が唇を裂き鮮血が顎まで流れていた。
　そのとき、何かが割れる音がした。支えの腕輪がついに砕けたのだ！
　なんとか拮抗していた抵抗を嵐の暴威が圧倒した。もはや回復するのが追いつかなくなり、見る間にリアの全身は塞ぎきれなくなった無数の傷から噴き出す血で朱に染まった。弱りつつあった叫びもついにとぎれた。
　それでも彼女は近づこうとするアラードに息も絶え絶えの声でいった。
「近づか、ないで……。逃げ、て……っ」

　目がくらみそうな怒りにかられてアラードは振り向いた。両手を広げて背後にリアを庇い、ゴルツに向かって叫んだ。
「やめてください！　閣下は間違っています！」
　その場の空気が凍りついた。
「なん……だと」
　ゴルツのぎらつく目がアラードをねめつけた。
「リアは人間です！　体こそ人間でなくても人間として行動しています！　わからないんですか？　閣下も、みんなも！」
「ならば、その者の話もそなたは信じるというのか？」
　グロスがいった。
「なぜ我らが人間に攻められねばならぬのだ！」

「それは……わかりません」
　アラードの声がゆらいだ。
「なによりこの洞門を命に替えても守るのが我々の使命です。でも、せめて子供たちだけでも出してやってもいいのでは……」
　城壁からも、ためらいがちな同意の声がいくつか上がった。
「それでは、だめ……」
　やっと出るようになった声で、リアがまたも訴えた。
「信じなくていいの、私のことなんか……。でも、この話だけは信じて、信じてください。お願い！　みんな！」
「そやつの言葉に惑わされるな！」
　ゴルツが一喝した。そして再び錫杖をかかげた。
「アラード、そこをどけ。どかねば容赦せぬぞ！」
「どきません！」
「きさま、そやつに魅入られたか！」

　アラードの怒りが再び燃え上がった。
「リアが人間の心のまま転化したと最初におっしゃったのは閣下じゃないですか！　死にかけたリアに血を飲ませてしまった私のことをそう責められたではありませんか！」
　アラードの叫びに周囲のざわめきがやんだ。
「毒蜘蛛の背に胡蝶を縫いつけたも同然だと、だから魂が苦しむのだと！　そしてアルデガンを襲ったラルダがその苦しみゆえに無残に歪んでいたのを私たちは見たではありませんか！」
「アラード！　やめてっ」
　リアが遮ったが、アラードはもう自分を止められなかった。
「閣下もわかっておられるはず。だから閣下の術はリアの体しか傷つけられないんです。魂に届かないんです。ごまかすのはもうやめてください！」

「きさま……」
　ゴルツの顔が歪んだ。錫杖を握る手が激情に震えた。すると、錫杖の輝きがじわり、と変じた。白い輝きにまごうかたなき赤みがさした。
「吸血鬼に魅入られ傀儡と化したか。主もろとも滅びよ！」
「おやめください、閣下！　なりません！」
　ゴルツが振り上げようとした腕をグロスがやにわにつかみ、錫杖を奪おうとした。
「それでは呪殺です！　閣下の御心が砕けます！」
「おまえまで邪魔だてするかっ！」
　二人の司教は錫杖をめぐり争ったが、ゴルツは老人とは思えぬ力でグロスを突き飛ばした。そして冥府の炎の色と化した錫杖を高々と掲げた。

「なにか落ちてくるぞ！」
　城壁の上で誰かが叫んだ。全員が天を仰いだ。
　残照を残す空から落ちてきた白いものがゴルツとアラードたちのちょうど真ん中の砂地に叩きつけられた。
　白い長衣をまとった人間のようだった。宵闇の落ちた地上では人の目にはそこまでだった。
　しかし闇を見通すリアの目はそれが誰かも見て取った。彼女は悲鳴とまがう声で叫んだ。
「アザリア様ぁ！！」
「なんだとっ」
　砂地の四人はわれ先にとかけ寄った。

　こときれているのは一目でわかった。リアは師にすがりつき、聞く者の心さえも引き裂く悲痛な声をあげ泣き伏した。
　あとの三人はその姿を見ながら呆然と立ち尽くした。城壁の上の人々も同じだった。その一瞬、リアが人間でないことを誰もが忘れた。ゴルツの手から錫杖が落ちた。
「……転移の術。いや、唱えられたはずなど……」
　グロスがつぶやいた。
「さては高さを合わせず呪文を略したか。唱えて死ぬ身であればそれでよいと」
　ゴルツが呻いた。
「だがなぜ、なにゆえそこまで……」
　そのとき、アラードは気づいた。
「腕になにか結んでおられます！」
　グロスが結びを解いた。「これは！　閣下、書状です」
　ゴルツは布地を広げた。あとの三人ものぞき込んだ。そこには血文字でこうしたためられていた。

＜二十年前に出奔したガラリアンがアルデガンを丸ごと滅ぼす妄執の果てに巨大な火の球を放ちました。アルデガンを洞窟の魔物もろとも吹き飛ばし焼き尽くす威力があります。ガラリアンは己の全てを火の玉に注ぎ込み抜け殻と化して死にました。彼の妄執が巨大な火の玉を束ねています。
　野望に利用するために彼に手を貸したのがレドラスの王です。二つの宝玉をはじめ必要な物をすべて与え何年もの歳月をかけて術を編ませました。しかしレドラスにとってアルデガンの破滅は陽動にすぎません。王は火の球を放つと同時にノールドに大軍を進めました。混乱に乗じて一気に攻め滅ぼすつもりです。
　もう防ぐすべはありません。今すぐ全員アルデガンを脱出して下さい＞

「我らを野望を果たすための捨て駒にするというのか！」
　憤怒にかられてグロスが叫んだ。
「虫けらみたいに全員消し飛ばすと！」
　アラードが歯がみした。
「こんな、こんなことのせいでアザリア様が……っ」
　リアの涙に濡れた目が真っ赤に燃え上がった。
　そのとき城壁から悲鳴があがった。
「空が、空が！」
　南の空が血の色に染まっていた。平野を遮る峨々たる山脈の向こうから地獄の太陽さながらの巨大な火の玉が姿を現わした。
　見る間にそれは膨れ上がり、南の空を覆い尽くした。
「間に合わなかった！」リアが絶望に身をよじり叫んだ。
「アルデガンが燃え上がる……」アラードの脳裏にラルダの最期の呪詛がよみがえった。

「この地に封じられし魔物の脅威から人々を守ることこそ我らの使命。そのために死ぬ覚悟なき者などここにはおらぬ……」
　書状に目を落としたままだったゴルツが初めて口を開いた。
　その押し殺された声を耳にした誰もが戦慄した瞬間、ゴルツは血文字の書状を引き裂き叫んだ。
「だが、これは我らに対する裏切りじゃ！」
　照り返しを受け朱に染まった顔で、ゴルツは迫る火の玉を睨みつけた。
「数多の犠牲を払い魂を削って戦ってきた我らを背後から討つというか！　ならばアルデガンの長たるこの身一つに使命を捨てた咎を負い、一命に替えただ我が仲間を守るのみ！」
　その声と共にゴルツは印を結び転移した。

「まさか、宝玉を！」グロスの声に振り仰いだ人々の目の前で、ラーダ寺院の尖塔の屋根が吹き飛び、巨大なつむじ風が吹き上げた。それは地獄の太陽と真正面からぶつかった。
　火の玉の巨体をつむじ風が巻き込み切り裂こうとした。濁った太陽は進むのをやめ、どす黒く変色しながらよじるような動きを見せた。
　アラードは何が起こっているのか気づいた。
「あれは、まさか解呪の技！」
「なんだと！」
　グロスの顔色が変わった。
「閣下は火の玉を束ねている妄執を砕くおつもりです！」
「無茶な！　そんなことをすれば閣下は……」

　そのとき火の玉が広がりつむじ風を呑み込み、食いつぶそうとするように蠢き縮んだ。
　だが、つむじ風は濁った太陽を内側から突き破った。
　異様な音を立てて火の玉が爆散した。言葉にならぬ怨嗟が尾を引くような響きとともに、大小さまざまなかけらが火の雨と化して大地に降りそそいだ。多くが荒野に落ちて大地を焦がしたが、それでもかなりの炎が城壁や建物に降りかかり激しい火災があちこちで起きた。
「仲間の救助に向かえ！　火のこないところに脱出させろ！」
　城壁の上でボルドフの叫ぶ声がした。人々はあらゆる方向へ、守るべき者のいるところへわれ先にと走り去った。





＜第９章：アルデガン　その２＞

　アラードたち三人はラーダ寺院を目指した。だが走るのが遅いグロスは遅れ、アラードとリアは二人で尖塔の螺旋階段を一気に駆け上がった。
　リアが先に宝玉の間に着いた。しかし彼女は部屋に一歩入ったところで立ちすくんだ。アラードは危うくぶつかりそうになりながら、なんとか脇をすりぬけて中に踏み込んだ。
　部屋の中はめちゃめちゃだった、屋根も扉も吹き飛ばされ崩れた石組みが積み上がっていた。その瓦礫に半身を埋めてゴルツが仰向けに倒れていた。宝玉の力を無理な術で解放した衝撃で体がずたずただった。床に大きな血溜まりができていた。
　助からないことは明らかだった。
「閣下、ゴルツ閣下！」
　アラードは叫んだ。去りゆく魂に届けと、ただ声を限りに。
「アルデガンは救われました。閣下の、閣下のおかげで……」
　だが、あとは言葉にならなかった。

　ゴルツが薄く目を開いた。
「アラード、か……？」か細い声が返ってきた。
「目が、見えぬ。リアも、いるのか……？」
　アラードはゴルツの手を取った。ほんのわずか、握り返すのが感じられた。
「そなたが、人の、心ゆえ、訴えている、のは、心のどこかで、感じて、おった……」
　リアへの言葉だった。アラードはか細い声に耳を寄せた。
「だが、認められなんだ。かくも無残に、ラルダは、歪み堕ち、己が手で、その存在を、否定し、滅ぼす以外、なかった。魂を、浄化する、ことも、かなわず……。
　その、口惜しさ、無念さが、そなたに、魂を、認める、のを、阻んだ……。アラードが、申した、とおり……」
　言葉がとぎれがちになった。

「無念さに、歪みつつ、あった。ラルダと、同じ。
　そなたを、解呪する、資格は、わしに、なかった……」
　体が痙攣を起こした。

「そなたを、牙に、かけたは、我が、娘。しかも、わしは、神の御元へ、そなたを、還せず、苛んだ……。
　いくら、詫びても、詫びきれ、ぬ……」
　ゴルツの手がアラードの手から滑り落ちた。

「だが、このまま、では、そなたは、苦しむ。その、人の、魂、ゆえ……。解放、される、には、誰か、の、手で、解呪、され、ねば……」
　消え失せようとする声が、最期の思いをからくも紡いだ。
「せめて……その、日が、すみやか、に、来る、こと、を……、祈らせ、たま、え……」
　末期の息が吐き出され、ゴルツはこときれた。

　こみ上げてくるものに耐えながら、アラードはゴルツの両手を胸の上に組ませた。すぐにグロスも来るだろう。
　彼を出迎えようと立ち上がったアラードは、リアが入ってきた戸口の横の壁に手をつき背を向けて立ち尽くしているのを見た。体が震えていた。泣いているのだと思った。
　戸口へ近づきながらアラードは声をかけた。「リア……」
「こないでぇーっ！！」
　極限まで切迫した異様な叫びに体が凍りついたとたん、赤毛の若者は血溜りからの凄まじい血臭にむせた。なぜ今まで気づかずにいられたのか！
　恐怖に目を見開いたアラードの前で、リアの体がじり、と動いた。無理やり押さえようとしつつ押さえきれないことがはっきり見て取れる動きだった。
　じり、とリアがまた動いた。半身になりかけていた。そむけた顔を片手で覆い、残る片手が抗うように石壁に爪をたてた。
　アラードはまったく動くことができなかった。リアがこちらを向いたら……。頭が考えることを拒否した。意識が真っ白になった。
　壁にたてられた爪が鋭く伸び、石がぼろりと砕けたとたん、リアが言葉をなさぬ悲鳴をあげた。それは絶望に食いつかれた者の絶叫だった。
「閣下！」そのとき階下からグロスの呼び声がした。螺旋階段を足音が駆け上がってきた。
　リアが振り向いた。両手で口元を抑え目を固く閉じたまま体を無理によじり床を蹴った。その身は夜空に大きく口を開けた窓の外へと跳び出し背中から落ちていった。
　入れ替わりにグロスが駆け込んできた。部屋の惨状に彼は切らせた息を呑み込んで一瞬立ち尽くしたが、ゴルツの亡骸のもとにまろび寄り膝まずくと深く頭を垂れた。
　アラードは全身汗まみれだった。声も出せず、膝にも力が入らなかった。彼はよろめき、壁に背をあずけた。
　そのとき窓の外で叫ぶ声が聞こえた。
「岩山が光っているぞ！」

　声を聞いて顔を上げたグロスの姿が金色に輝いていた。リアが身を投げた窓から射し込む光が彼を照らしていた。グロスが窓際にやってきた。アラードもやっとのことで窓の外を見た。
　洞門のある岩山の頂が金色に輝いていた。岩肌に亀裂が入り、そこから光が漏れ出ていたのだ。亀裂は見る間に岩山全体に広がり、まばゆい光の中でついに崩落が始まった。だが、土石は城壁に囲まれた広場の方ではなく、なぜかほとんどが背後へ崩れた。そしてアルデガンの外壁からあふれ出て荒野へとなだれ落ちた。もうもうたる土煙が薄れたとき、そこには洞窟から荒野へ下る土石の坂道がかかっていた。
　そして崩れた岩山から、金色の光をまとったものがゆっくりと夜空へ舞い上がった。
　遠目には小型の竜のような姿だった。きらめく緑と赤の蛇体に金色の輝きを放つ翼を持つそれはゆるやかに羽ばたいた。建物に燃え盛る炎が幾筋も弧を描いてその翼に吸い込まれ、金色の輝きがまばゆさを増した。さして大きくない体には釣り合わぬ途方もない力を秘めていることがひしひしと感じられた。
「炎を取り込むもの……。あれがリアのいう魔物の長か」
　グロスが呆けたようにつぶやいた。
　そのとき、アラードの視界の隅でなにかが動いた。

　尖塔の窓からはるか下の寺院の屋根の上にリアがいた。彼女は人々のいる地面には降りず屋根の上を伝って岩山へ、金色に輝く魔物のもとへ戻ろうとしていた。
　アラードは宝玉の間を跳び出し螺旋階段を駆け降りた。瞬間、人々の脳裏に強大な思念の声が響き渡った。金色の翼持つ魔物の呼びかけだった。
＞人間たちよ。汝らの種族は自らを律し結界を守ることができなかった。汝らの種族はいまだこの世界を支配する資格を持たぬと知るがいい＜
＞結界の崩壊をもって、汝らが封じてきたものたちは再び地上に解き放たれる。同時に我が翼の庇護も終わる。汝らとこのものたちの命運は再びそれぞれの手にゆだねられる。我は二百年前に交わされた約定に従い、これを宣告する＜

　思念の声を聞きながら走り続けたアラードは城壁の下の砂地にたどり着いた。ゴルツが尖塔に転移したのはつい先刻だったが、もはやかけ離れた光景が眼前に広がっていた。目の前にあれほど高くそびえていた岩山はほとんど姿を消し、洞門の高さの土台だけが残されていた。岩山の頂があった高さに浮かぶ金色の翼の守護者の放つ光の中に、天に向けて開いた洞窟からあらゆる姿形をした魔物たちが続々と這い出て群をなしていた。
　そして華奢な人影が一つ、その恐ろしい群に歩み寄ろうとしていた。





＜第９章：アルデガン　その３＞

「リア……」アラードは呻いた。二、三歩前に歩み出た。だが、塔の上でのあの恐怖がよみがえり、その歩みを押しとどめた。
　そのとき、翼持つ守護者の思念が呼びかけた。
＞汝、人間の姿と心を持つ者よ。なぜ歩み寄る？＜
　アラードは守護者を見上げた。遠目には竜のように見えただけだったが、間近に見ると頭部がまったく違った。いくらか人間に似ていなくもない細い顔を取り巻く無数の触手が蠢いていた。髪の代わりに蛇を生やした女めいた顔だった。
「私はもう人間ではないわ。だから人間たちとともに在ることはできない」
＞……我には汝と人間の区別がつかぬ＜
「あなたのその言葉に背中を押されて私は地上へ戻った。少なくとも心だけはまだ人間だと、人間として行動できるのではないかと思えたから、いえ、そう思いたかったから！
　心だけはそうだったかもしれない。私を信じようとしてくれた人もいたわ」
「でも、私はやっぱり人間じゃなかった！　信じてくれた人さえ危うく牙にかけるところだった！」
　一瞬とぎれた声が、しかし絞り出されるように呻いた。
「だめなのよ、もう、いくら人間でありたいと願っても……」

　アラードはがくりと膝をついた。胸が張り裂けそうだった。
　あのとき瀕死のリアにしたたる血を飲ませた自分は、ただ彼女を失いたくないだけだった。彼女の魂がこの世から消え去ることに耐えられず、どんな形であれ、この世に留まり続けてほしいと願っただけだった。
　自分の思いは純粋だとさえ心のどこかで感じていた……。
　その結果がこれなのか！
　どこまでも人間としての心を失わずにいたいという思い。自分の執着などよりずっと切実なはずの願い。それをついに自ら断念しなくてはならないところまで彼女は追い詰められたのだ！
　なんということをしてしまったのか……。

＞だから、このものたちと行くというのか＜
「人間の間にはもう私の場所はない。私はここにいるどんな魔物よりも人間にとって有害な存在。だから、せめて彼らを棲むべき場所へ連れて行くわ」
＞棲むべき場所？＜
「この北の大地には実りが少ない。この地に留まるならば彼らは人間を屠るしかない。
　でも実りの多い場所に棲めたなら、必ずしも人間しか糧にできないわけではないのよ。
　だからあなたも彼らを洞窟で養うことができたのでしょう？　洞窟の中にキノコや様々な生き物を増やして与えることで。
　この中で、本当に人間しか糧にできないのは、私だけ……」
「リア！」アラードはたまらず叫んだ。

　リアが振り向いた。幼いときから身近に見知ってきた少女の顔がけなげにも淡く微笑んでいた。だがそれは、あまりにも大きなものを諦めることでかろうじて得られた平静のはざまに、やっと浮かべることのできたものとしか見えなかった。
　そうまでして自分に微笑みかけようとするその心の痛ましさを想っただけで耐えられなくなった。声を限りに叫びたかった。
　そんな、そんな微笑みを向けられる資格なんかないんだ！
　だが声一つ出せなかった。千々に心乱れるばかりだった。

「私は最悪の魔物なのよ。もう私の場所はここしかないの」
　リアの声が聞こえてきた。
「大司教閣下が亡くなられて、私を解呪できる人はもういない。自分で死ぬこともできない……」
　表情が翳ったとたん、はかない微笑みはゆらいで消えた。
「……私はきっと多くの人を殺めることになるわ。
　だから約束して。いつか必ず私を滅ぼしにきてくれるって」

「それが……望みなのか」
　やっと出るようになった声でアラードは問うた。
　リアは頷いた。

「……約束する。いや、誓う！」
　アラードはいった。一言ずつ、胸から削り出すように。
「ただリアをこの世に留めたかったんだ。どんな形でもいいと、とにかく失いたくないと、あのとき願ってしまった……。
　それがリアを苦しめたんだ！　これほどむごく、残酷に。
　叶えないなんてもう許されない。たとえどんな望みでも！」

　リアはふたたび微笑んだ。だが、そこにはまぎれもない喜びとかそけき希望の光が射していた。
「私の魂はアラードに願われてこの世に留まった。だからラルダみたいに自分を憎まずにいられた。私がせめて自分にできることをする気になれるのは、アラードのおかげよ。
　だから私は魔物たちと行くわ。この身を置ける場所で今できる何かをなすために。
　私のところへ来るときは、魔物たちのいる場所を訪ねて」

＞汝の置かれた境遇は我には不可解なもの＜
　守護者の思念が呼びかけた。
＞だが、汝は我に似ているのかもしれぬ。種族としての自らを律せられず故郷を滅ぼして離散したあげく、本来我が場所ならざるこの世界に在りながらもその意味を求めてやまぬ我に＜
　金色の翼が大きく羽ばたくと、きらめく蛇体はさらに高みへと浮かび上がった。
＞この地での我が役割は終わった。我はまたこの世界に漂着した意味を探しにゆく。汝もその心の導く道をゆくがいい＜
　その思念を最後に、守護者は翼からの光を流れ星の尾のように引きながら、ゆるやかに西の空へと飛び去っていった。


　いまや荒野に燃える炎だけがあたりを赤く照らしていた。魔物たちの群は照り返しの中に黒々と浮かび上がり、炎を受けた無数の目が赤く輝いた。アラードと向き合ったままリアが数歩後じさると、彼女の姿も黒い影に溶け込んだ。すると彼らは動き出し、荒野に下る坂道を土煙を上げながら降り始めた。
「約束よ。アラード」
　うごめく影の群の中から声がした。
「いつか必ず滅ぼしにきて……」

　魔物の群は炎を上げる荒野を黒い大河のように遠ざかり、平野を遮る峨々たる山脈の麓に溶け込んでいった。アラードは崩れた岩山から荒野に下る坂道の上に立ち尽くし、リアの去った道を、自分と分かたれた道を、彼女の最後の声を胸に刻みつけたまま、ただいつまでも見つめていた。





＜第１０章：野営地＞

　レドラス軍は火の球がノールドの国境を越えたのにやや遅れて攻め込んだ。
　砦の軍勢は低空をかすめる巨大な火の球の飛来に浮き足だち、レドラス軍の侵攻に組織的な対処ができなかった。たちまち砦は陥落しレドラス軍によって火をかけられた。
　レドラス王ミゲルは恐怖で敵の抵抗を挫くため、敵兵や領民の虐殺を命じていた。異民族の数をできるだけ減らし空の火の球と地上の軍の恐ろしさで反抗の芽も摘んでしまう。火の球の直撃によるアルデガンの滅亡とレドラス軍の恐怖に挟み討ちされれば砦と同様ノールドの王城リガンもあえなく陥落するはずだった。
　残酷な命令は実行された。砦を次々に落とし村々を略奪しつつ侵攻するレドラス軍の背後には、業火とどす黒い煙と死体の山が残された。女子供も容赦なかった。わずか一日でノールド領内の南部平野の大半が無慈悲な蹂躙に血塗られた。

　次の日もレドラス軍は北上したが、日が落ちたのでミゲル王は焼き討ちにしたある村の外れに野営することにした。将軍は惨殺した村人たちの死体の始末を兵士たちに命じた。
　村で見つけた荷車に村人の体や首を積み上げ手近な崖下に捨てようとした兵士たちは、茂みの前に一人の華奢な少女がいるのを見つけた。口元を押さえ俯いていたので顔こそ見えなかったが、淡い金髪と白い肌は夜目にも見てとれた。
「まだいたのか、へへっ、上玉じゃねえか」
　兵士たちは荷車を放り出して少女を取り囲んだ。散乱した死体の山から子供の首が一つ、少女の足元まで転がった。
「つまらん仕事やらされてんだ。褒美ぐらい当然だよなぁ」

「書状は読んだわ。でも信じたくなかった、こんなこと……」
　細くてきれいな声だった。それも涙声だった。だが、その声のなにかが襲いかかろうとした男たちの体を凍らせた。
「みんなはこの人たちを、地上の人間すべてを守るために戦っていた。たくさんの仲間が斃れた。私の父もそうして死んだわ」
　頭の後ろで束ねられた金髪がざわり、と揺れた。
「洞窟から魔物たちを出してはいけない、ただその一心で封じていた。力弱い者は死に、心弱い者は狂いまでして。
　なのにその洞窟をあなたたちはこじ開けた！　アザリア様までそのせいで死んだ。それだけじゃないわ！」
　怒気とも妖気ともつかぬものが細い体から目に見えんばかりの濃密さで吹き出した。
「魔物だって人を殺す。食べるため、生きるために。
　でもあなたたちは殺したのよ、胸一つ痛めず！　生きるためでさえないのに！　人の身でありながらっ」
　少女が顔を上げた。整った華奢な顔だった。しかし涙に濡れた瞳は真紅に燃え、いいつのる口元には細く尖った牙が光った。
「それでも人間なの？　魔物以下よっ！」
「き、吸血鬼だ！」兵士たちの悲鳴と同時に茂みから異形の影がいくつも躍り出た。男たちはたちまちあぎとに捉えらればりばりと噛み砕かれた。その間にも魔獣や亜人たちが闇の中から続々と姿を現わした。
「分散してはだめ。互いにむだな犠牲が増えるわ。固まって突破して！」
　少女の思念に応え、魔物たちは吠えた。



「なんだ？　騒々しい！」
　天幕で休んでいたミゲル王は将軍たちに尋ねた。そのとき一人の兵士が転がり込んできた。
「ま、魔物の大群です」「なんだと！」
　天幕から飛び出した王と将軍たちは、目の前の光景に立ちすくんだ。

　広場には魔物たちがあふれていた。人間に似た亜人や巨人から悪夢のような魔獣まで、ありとあらゆる姿形の魔物たちが恐慌に陥った軍勢を蹴散らしていた。手向かう者は容赦なく食い殺されたが、魔物と出会うことなど想像もしていなかったレドラス軍はもろくも総崩れとなり壊走し始めていた。
「者ども！　逃げるな！　王命だぞ！」
　ミゲル王は叫んだ。その声に応えがあった。
「あなたなのね。虐殺を命じた邪悪な王は！」
　魔物の群からほっそりした少女が歩み出た。子供の面影さえ残したその顔の真紅の瞳と細い牙がかがり火の光に映えた。
「これほどの残虐非道、絶対許せないっ！」
「吸血鬼だ！　斬れ、斬れえっ！」
　ミゲル王の声に将軍の一人が大剣を構え、腰だめに突進した。大剣は少女の薄い胸から背中まで貫いた。
　だが少女が細い腕を無造作に振り抜くと、将軍の体は宙を舞い仲間たちに激突した。
　突き抜けた剣をそのままに少女は王に向かって歩みを進めた。ミゲル王は恐怖のあまり腰を抜かし、それでも後じさりしながらわめいた。
「いやだ、死にたくないっ！　来るなぁ！」

　そのとき少女の顔に動揺が走った。
　目の赤光が薄れ、一瞬青みをおびた。
　歩みが止まり、伸びた牙が折れそうなほど食いしばられた。

　だが一瞬の逡巡ののち、彼女は王にむしゃぶりつき、細い牙が吸い込まれるようにその喉を穿った。背中まで突き抜けた剣さえ抜かずに王の首を貪る少女。その姿の恐ろしさに将軍たちは逃げ去った。



　とうとう本当に堕ちてしまった……。
　渇きの狂気から我に返ったリアをまっさきに捉えたのは、その思いだった。
　足元には血を吸い尽くされた男の骸が転がっていた。
　邪悪な王。アルデガンの瓦解の元凶であり軍勢を駆って隣国の民を虐殺した憎むべき王。
　確かにこの男はそうだった。

　だから自分は、この男なら殺してもいいと思った。いや、そう思い込もうとしていた。
　この男なら殺しても、後ろめたさも胸の痛みもなにも感じずにすむのではないか。心のどこかで、確かに自分はそう期待していた。

　しかし自分が襲いかかろうとしたあの最後の瞬間、彼の叫びがかつての魔獣の断末魔のように自分の心に感応した。そこにいたのは吸血鬼を、迫る死を前にただ脅える一人の人間だった。
　憎むべき邪悪な侵略者という外面が剥げ落ちてみれば、魔物の餌食になるばかりの哀れな男がいただけだった。
　それなのに……。

　自分は堕ちてしまった。ほんの二ヶ月前、魔獣の断末魔に魂を感じて戦うこともできなかった自分は、哀れな人間の魂を感じていながらその血を貪る化物になり果ててしまった。

　リアは胸を貫いたままだった大剣を引き抜いた。傷はたちまちふさがった。
　男の骸を焼くために炎の呪文を唱えた。予想もしなかった激しい炎が爆発し瞬時に骸を焼き尽くした。もともと高かった魔力が転化したため桁違いに強まっていたのだ。リアは慄然とした。

「私は最悪の魔物なのよ。この中で本当に人間しか糧にできないのは、私だけ……」
　アラードと別れるときに自分がいった言葉だ。だがあのときの自分は、まだその意味を本当にわかってはいなかったのだ。

　私は人を殺す。生きるためでさえない。
　死ぬことができないのだから……。
　ただ狂気をもたらす渇きに耐えられないだけ。
　正義をかたる資格なんて、ない……。

　リアは魂の軋みにあえいだ。
「アラード。どうなるの、私……」
　いつかは心が冷えきって、何も感じなくなるのか。渇きを癒すだけのために冷淡に人を殺せるようになるのか。
　それとも魂が軋みに耐えきれず歪んでいくのか。己を、運命を否定するあまり、すべてを呪うしかなくなるのか。あの痛ましいラルダのように。
　あるいはこの恐るべき力が内なる邪悪さを引き出すのか。ラルダやアルマをなぶったあまりにも嗜虐的な吸血鬼がおそらくそうだったように。

　厭わしかった、呪わしかった、おぞましかった。
　だが、この軋みが、苦しみがいつまでも続くとしたら……。
　耐え難い恐ろしさだった。

「苦しみから解放されるには、やはり誰かの手で解呪されるしかない」
　ゴルツの末期の言葉がよみがえった。
「せめて、その日がすみやかに来ることを祈らせたまえ……」

　アラードはいつ来てくれるの？
　解呪の技を修めることができるの？　できなかったら？
　私のことなど忘れてしまったら？

　……死んでしまったら……？

　足下にぽっかりと虚空が口を開けたのをリアは感じた。
　深淵から冷たい虚ろな風が吹き上げた。
　人間の魂など、永遠というものに耐えられはせぬ。
　深淵が、虚ろな風がそう告げた。
「アラード！　助けて、早く！　誰か……っ」
　天を仰いでリアは叫んだ。だが、その悲痛な叫びは酷薄な風に吹き散らされた。

　はるか背後の北の大地は荒野を焼く炎に赤く、魔物たちが向かう南の大地はいまだ暗黒に閉ざされている。
　炎はいずれ燃え尽きる。ならば、すべてがただ暗黒に呑まれるだけなのか。
　リアはひとり天地の狭間に立ちつくし、ただ深淵と虚ろな風に心おののかせるばかりだった。





＜第１１章：エピローグ　その１＞

　三日間にわたって燃え盛った炎がようやく下火になったとき、アルデガンは変わり果てていた。

　結界の源だった宝玉を収めたラーダ寺院の尖塔は崩れ、魔物を封じていた岩山は完全に姿を消していた。炎が振り注いだ城壁や建物にはいまだに燃えているものも煙を立ち登らせているものもあった。結界を失い魔物が解き放たれたアルデガンはもはや封魔の城塞ではなかった。こじ開けられ焼け焦げた空の檻だった。
　とはいえ金色の翼の魔物が炎をかなり吸い上げたために見かけよりは被害が少なく、人的な被害はさらに少なかった。死者はゴルツとアザリア以外に運悪く炎の直撃を受けた者が数名。大きな火傷や傷などを負った者もそういなかった。火災の規模を思えば奇跡的とさえいえた。

　しかし人々の心に残された爪跡は深刻だった。その荒みようは焼け跡など足下にも及ばないものだった。

　アザリアの書状を直接目にした者は砂地の四人だけだったが、城壁にいた者たちはリアの訴えやゴルツの叫びから事情を悟っていた。なにより外界から襲いかかったあの凄まじい火の玉の姿を見た者ならアルデガンが外からの力で破られたとしか思いようがなかった。裏切られ背後から襲われたように誰もが感じた。
　しかも追い討ちをかけるようにもたらされた戦禍の知らせは、アルデガンの人々、ことにノールド出身の者にとってあまりにも残酷なものだった。


－－－－－－－－－－


　焼け跡と化したアルデガンには王城リガンからきた小隊の姿があった。火の玉の標的となったアルデガンの状況を把握し、もし生き残りがいたなら緒戦で失われたノールドの兵力に組み入れることが目的だった。
「わずか二日でこれだけの村々が焼かれ滅ぼされた！　生存者も確認されていない！」
　読み上げられた村の名前を聞いた人々の悲鳴や怒声に負けじと小柄な小隊長は声を張り上げた。
「この地を襲ったあの火の玉もレドラスが放ったものと確認されておる。レドラス許すまじ！　レドラス討つべし！　我と思う者は遠征隊に志願せよ！」
「レドラス許すまじ！」洞門前の砂地に集まった人々の叫びは地鳴りのようだったが、野太い声がその響きを突き抜けた。
「遠征隊？　おかしいではないか。今聞いた村の名前ならば敵はノールド領内深く攻め入ったはず」
　大熊のようにボルドフが立ち上がった。
「領内の迎撃なのになぜ遠征隊なんだ。何か隠しているな！」

　あたりの空気が変わった。怒鳴り返そうとした小隊長は自分が猜疑の視線の只中にいることに気づいた。
「じゃあ、おれたちの村が焼かれたのも嘘か？」
「嘘なんだろう！」「嘘だといって！」
「ま、待ってくれ！　嘘じゃない、嘘じゃないんだ！」
　殺気だった人々に詰め寄られた小隊長は悲鳴をあげた。
「レドラス軍が南部平野一帯を焼き払ったのは本当なんだ。だが我が軍が迎撃に向かったときには、なぜかレドラス軍はもう壊走していたんだ」
「どういうことだ？　なにかわからないのか！」
　ボルドフの巨体に威圧された小隊長は後じさった。

「……捕虜を何人か捕まえたんだが信じられないことばかりいうんだ。魔物の大軍に蹴散らされたとか、王が吸血鬼に吸い殺されたとか……」
「吸血鬼だって？」
　人垣から跳び出した赤毛の若者が小隊長に掴みかかった。勢い余った自分の手が相手の首筋を絞め上げているのにも気づかず、彼は小隊長をゆさぶった。
「本当なのか？　どうなんだっ！」
「やめろ、アラード！　手を放せ」
　ボルドフがアラードを引き離したおかげで小隊長はやっと声が出せるようになった。
「……捕虜にした将軍がそういったんだ。小娘の姿をした吸血鬼が王を襲ったと、大剣で串刺しにされても全くひるまずたちまち王を吸い尽くしたと。
　でも、本当かどうかもわからないんだ。王の死骸らしきものは見つからなかった。逃げた王をかばうために嘘をいっているだけかもしれないんだ」

「魔物がいた痕跡は？」
　蒼白になり立ち尽くすアラードを押しのけボルドフが低い声でたずねた。
　小隊長ははっきりとうろたえた。
「あったんだな！　ならばなぜレドラス軍の壊走を隠した！」
「理由なんか知らない、ただいうなと命令されただけなんだ」
「王宮の意志か……」苦々しげにボルドフがつぶやいた。
「レドラス軍が統制を失い壊走したのを好機と見て遠征隊を組織しようという気か。村を焼かれた者の憎しみを煽って……」

　ボルドフは仲間たちに向き直った。
「レドラス軍の狼藉は事実だ。それは疑いない。だが遠征隊には参加するな。それでは今度は我らがレドラスの民を殺めることになるぞ！」
「でも、レドラスは断じて許せない！」
　一人が叫ぶと、砂地はたちまち怒号のるつぼと化した。
「冷静になれ！　我らは人々を守るために魔物たちと戦ってきたのではないか。おまえたちはその誇りも忘れて人間に刃を向けるつもりか！」
「やつらは人間なんかじゃないっ」「あいつら悪魔だ！」
　同調する者、反論する者の怒声や悲泣が入り乱れたが、裏切られたという思いに加え故郷の無残な最後を知らされた者たちの怒りは、憎しみはもはや誰にもとどめようがなかった。
　結局、午後になるとノールド出身の者の大多数が小隊とともに王城リガンに向けてアルデガンを出ていった。


「あの金ぴかの化物の説教が正しかったというのか！」
　悔しさを隠せずボルドフは吐き捨てた。
「これでは西部地域の愚行の二の舞だというのに……」
「隊長はこれからどうなさるおつもりですか？」
　背後からアラードの声がたずねた。
「アルデガンを出た魔物を追うつもりだ」
　ボルドフは即座に答えた。
「南下して国境を越えたというがそんなことはかまわん。どこの民であれ魔物の餌食になる者を一人でも多く救いたい。今までと同じことを続けるだけだ」
「それより俺はもう隊長ではないぞ、アラード」
　苦笑しつつ振り返った巨漢の表情が引きしめられた。
「私もいっしょに連れていってください！」
「……かまわんが、なにをそんなに思いつめている？」
　アラードはボルドフに魔物たちと去ったリアとの誓いのことを打ちあけた。

「……それで魔物たちを追うつもりか。だが解呪の技はどうするんだ？　俺にはあんなもの教えようがないぞ」
「それは、あの方にお願いするしかありません」





＜第１１章：エピローグ　その２＞

「前にいっただろう？　私自身が解呪の技を発動できずにいるのだと」
　グロスはアラードをまじまじと見つめた。
　ラーダ寺院の地下にある霊廟だった。グロスはこの三日間ここに篭り続けゴルツやアザリアをはじめとする犠牲者たちに祈りを捧げていた。やつれた印象だった。疲れもあるのだろうがどこかうつろで覇気が感じられなかった。
「術式を身につけておられる方はもうあなたしかいないんです。あなたにお願いするしかないんです！」
　アラードの必死の頼みにも、グロスはため息をついてかぶりを振るばかりだった。
「発動できない私が教えたところでそなたも発動できるようにはなれまい。それでは意味もなかろう？」

「ならば、これからどうするつもりだ？」
　ボルドフが問うた。
「同い年のよしみでいうが、墓守になるのは早すぎるぞ」
　グロスは答えなかった。ボルドフもまたため息をついた。
「閣下にお仕えしながらなにもできなかった、どうせそんなことでも考えていたのじゃないのか？　グロスよ」
「なぜ……、なぜわかるんだ……？」
「その顔をみてわからん奴がいるか」
「……この三日間、ずっと考えてきたんだ。これほど長くお側に仕えながら、私になにができたのかと。なにもなせなかったではないかと……」
　グロスは床を見つめながらつぶやいた。
「なぜ私はかくも無力なのかと……」

「なあ、俺は思うんだが、そもそもゴルツ閣下にお仕えしようというのが間違いだったんじゃないか？」
　ボルドフはグロスをまっすぐ見つめながら言葉を続けた。
「ゴルツ閣下に途方もない負い目を負ってしまったおまえにそれ以外の道がなかったのはわかる。だが、閣下はアルデガン最高の術者だった。おまえに限らず誰だってかなう存在ではなかった。だから閣下を助ける機会そのものがなかった。身の周りの世話や雑務をこなすのがせいぜいだった」
　グロスは黙ってボルドフを見上げていた。
「俺が見た限り、おまえは閣下を実によく補佐した。現に閣下は助かっていたと思う。しかし大きすぎる負い目を負ってしまったおまえ自身はそれでは満たされなかった。それが己の無力として感じられ身を苛んだ、違うか？」

　ボルドフはグロスの肩に手を置いた。
「おまえが無力なんじゃない。助けを必要としていない者に仕えてしまっただけなんだ。そしていまここにおまえの助けを必要としている者たちがいる」
　ボルドフはグロスの体をアラードのほうに向かせた。
「いまアラードがいっただろう。もうこいつ一人の話じゃないんだ。リアは解呪されない限り滅びることができない。心ならずも人々を牙にかけ続けるしかない。おまえが諦めたならこの運命は変えられないものとして定まってしまう。アラードも、リアも、多くの者がおまえの助けを必要としている」
「定まってしまう？　諦めたら？」
　グロスがはっとしたように繰り返した。

「アラードは未熟で思慮が浅い。それがこんな事態を招いた。
　しかし本気で自分の過ちをつぐなおうとしている。この覚悟に免じて助けてやってくれないか」
「お願いします！　どうか……っ」
　アラードはグロスに額づいた。

「顔をあげてくれ、アラード。額づかれる資格など私にはない。そもそもラルダを見捨てて逃げたのは私なのだから」
　グロスはアラードの前に身をかがめ、その手を取った。
「閣下もそなたも仕方がなかったといってくれた。あんな吸血鬼が相手ではと。たしかにそうだったのかもしれない。
　でも、なぜか諦めきれなかった。あの時逃げなければなにかが違ったのではないかとずっとずっと思っていたんだ」
　うつろだった目に熱がこもっていた。
「あの時私が逃げたばかりにラルダの運命は定まってしまった。それがリアの運命を狂わせた。リアが誰かを牙にかけるならば、その者の運命もだ」
「ここで諦めたなら過ちを繰り返すことになってしまう。これは私のつぐないでもあるんだ！　こちらから頼む。私をいっしょに連れていってくれ！」
「ありがとうございます……」
　アラードはただ繰り返すばかりだった。

「閣下のことはアザリアに頼んでおこう、それなら心配ない」
　ボルドフは祭壇に安置された棺に向き直った。
「なにしろアルデガン最高の守り手だったんだ。最後までな」
　巨躯の戦士が祈りを捧げた。残る二人も彼に倣った。


－－－－－－－－－－


　翌朝、三人はアルデガンの城門を出た。
　仰ぎ見た城壁は二十年前の嵐の夜に出奔した若者が見たものと同じだったが、それは崩壊した岩山の土石があふれ出たときに崩れ、業火に焼かれた跡をあちこちにとどめていた。その姿に彼らはそれぞれがこの地で過ごした日々を一瞬重ね合わせ、心の中で別れを告げた。

　城壁に背を向けたとたんに強風が真正面から吹きつけた。灰が混じった土埃が荒れ狂うように舞い上がった。
　思わず振り仰ぐと暗雲が風に乗って渦を巻きながら押し寄せていた。崩れた城壁に襲いかかる黒い軍勢さながらだった。轟く風音までが軍靴の響きに聞こえた。
　だが黒一色と見えた空のうちはるか南にただ一ヶ所、わずかに雲が切れていた。渦巻く黒雲からのぞいた青い空は峻烈なまでにまぶしく見えた。

　それはなぜか、ひどく心ゆさぶる光景だった。

　三人は高く顔をあげ、長い旅路の第一歩を踏み出した。激しい光を宿した青空の欠片をまっすぐ見つめながら。


　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　終
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		</content:encoded>
		<dc:subject>-</dc:subject>
		
		<dc:date>2018-05-13T20:50:59+09:00</dc:date>
		<dc:creator></dc:creator>
		<dc:publisher>WOX</dc:publisher>
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	<item rdf:about="https://mohito.novel.wox.cc/entry6.html">
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		<title>『封魔の城塞アルデガン』第３部：燃え上がる大地　前半</title>

		<description>＜第１章：国境＞

　アザリアは東の王…</description>
		<content:encoded>
			<![CDATA[ ＜第１章：国境＞

　アザリアは東の王国イーリアから南の大国レドラスへ入る国境までやってきた。


　アルデガンを旅立ってから二ヶ月になろうとしていた。最初に北の王国ノールドに立ち寄り宝玉やレドラスに関する情報を交換し、次いでイーリアの宰相とも面会し、許可を得て宝玉を失った東の塔の現状を調べたところだった。アルデガンはその場所こそ北の国ノールドの領内にあるが、エルリア大陸全土に分布していた魔物の掃討のために築かれたという由来ゆえにどこの国からも独立しているものと位置づけられており、建立以来一定の敬意をもって接しられていた。むろんいまも援助を続けているノールドとの信頼関係が特に深いのも事実で、両者は互いの情報を包まず伝えあった。
　これらの情報が示す状況は予想以上に悪かった。レドラスの野心は明白であり、いつ戦端が開かれてもおかしくないとしか思えなかった。

「レドラスは宝玉についての我々の問いかけをはぐらかそうとするばかりだ」
　ノールドの王城リガンで面会した宰相はアザリアにいった。
「南の塔はレドラスの領土内にあり、西部地域の騒乱以来狙う者もあるので宝玉を塔に置いておけない。だから王城で保管しているというのが言い分だ。東の塔の宝玉については一切関知せぬというばかり。これでは我々もそれ以上追求はできぬ」
「だが今のレドラス王ミゲルが十五年前に即位してから、諸国との国境付近に軍勢を増強しているのも事実。表向きは西部地域の混乱が自国に及ばぬようにしているとのことだが、むしろ我が国や東のイーリアに向けて増強されている。
　我らも国境から領内にかけて砦を新たに設け防衛線を強化しておるのだが、ここ数ヶ月の間に軍勢がさらに増強され間者が入り込んでいる様子もある。ここだけの話、王宮ではもしもの場合にそなえての対応も協議しているところだ」
　レドラスはエルリア大陸最大の国だった。その版図はイーリアとノールドを合わせたよりも大きかった。難しい協議になるだろうとアザリアは思った。

　一方イーリアで聞いた話では先代の王の時代までのレドラスは決して野心をむき出しにしていたわけではなかった。豊かで広大な国土を持つレドラスは農耕民族を遊牧民が支配しており、地上軍の強さには定評があったが魔術の技法の分野においてはノールドやイーリアの水準に遠く及ばず、そのことで恐れを抱いている感さえあったという。特にアルデガンとの協力関係が深く魔術研究においては大陸随一とみなされていたノールドに対する先代のレドラス王の猜疑はいささか常軌を逸していたとの話だった。
　ばかげた話だとアザリアは嘆息した。どこから出た話かと。援助がとだえがちになるにつれ衰亡の翳りが目立つ今のアルデガンには魔術士の人材の枯渇こそが目立つというのに。そもそも魔物との戦いに明け暮れ軍事目的での魔術研究どころではなかったというのに。魔物たちの脅威が記憶から薄れ、援助がとだえ疎遠になるとここまで誤解されてしまうのかと。
　もっともアザリアにもそのような魔術に関する誤解に付け込む意図もあればこそ、長旅であるのにわざわざ魔術士の白い長衣を着てきたのだが。
　呪文ひとつ満足に唱えられぬ魔術士である自分がアルデガンの現状の戯画のように感じられた。

　そしてイーリアではまだ間者の侵入や軍の目立つ増強は認められないということだった。これはアザリアにとって意外だった。しかも明らかに悪い兆候だった。
　ラーダ寺院でゴルツから状況を聞いたときには宝玉のことを知らないイーリアの方がより危険なはずだと思っていたが、実際の状況は明らかにノールドを標的にしていることを示唆していた。魔術において優るはずの相手を、レドラスが宝玉を持っていると知っているため不意を襲いにくいはずなのにあえて標的にする。しかも宝玉はなんらかの加工を受けているとなれば、レドラスはノールドを圧倒するなんらかの魔術的な攻撃手段を手に入れたと考えるしかないように思えた。

　アザリアは旅に同行していたラーダ寺院の見習い僧たちにノールドとアルデガンに状況を伝えるために戻るよう命じた。そして自分はレドラスに赴き何か一つでも手掛かりを得るつもりだと告げた。見習い僧たちは危険であると反対し、自分たちも同行すると主張したが、アザリアは事態は急を要すると彼らを説き伏せてイーリアから戻らせた上で自分一人でここまできたのだった。


　国境の警備兵に大司教からレドラス王ミゲルにあてた支援要請の親書を持ってきたことを告げると、アザリアはレドラス領内に迎え入れられた。
　警備隊長は褐色の髪と灰色の目という同じ南部民族の特徴を持つアザリアへの親しみを隠さず、レドラスの王城への連絡・運搬隊の便に同乗できるよう取り計らってくれた。イーリアに面した軍勢が臨戦体制にないのは明らかだった。
　やはりノールドかとアザリアは思った。ノールドも警戒はしているしこちらからも警告はしたので虚を突かれることはないはずだが、アルデガンの主たる宝玉には劣るというものの巨大な力を持つ宝玉を二つも、それもノールドとイーリアの二国を同時に攻めるわけでもないとしたらどういう使い方をする気か想像もできなかった。そもそもそんな使い方をするほど大規模で高度な術式などこのエルリア大陸には存在しないし、一から作り上げるならば大陸屈指の魔術士が生涯のあらかたを費やさなければならないはずだった。

　自分のしていることが正気の沙汰ではないと自覚はしていた。かりにレドラスの秘密をつかんだとして、どうやって国外に伝えるつもりか。秘密を知れば殺されるのがおちではないか。自分もそう思ったからこそ見習い僧たちを帰したのではないか。
　だが、心の奥で警報が鳴り続けていた。なにがなんでも自分はその秘密をつかまなければならないとかつて洞窟で幾多の死線をくぐりぬけることで研ぎすまされた感覚が告げていた。
　馬車の窓からレドラス軍や領内の様子に油断なく目を配りながらも、アザリアはいつしか探索のため洞窟に赴くリアを見送った旅立ちの日のことを思い出していた。

　本当ならリアはこの旅に同行しているはずだった。アルデガンの外の世界をほとんど知らず、ただ洞窟の魔物と向きあうだけの日々において魔獣の魂に感応してしまったリアに、外の世界の営みを見せることで守るべき存在としての人間の姿を示せたなら、きっと自ら戦いの意味をつかみ直してくれたと信じていた。
　だがアルデガンに侵入した吸血鬼の牙は、その望みを無残に打ち砕いた。確かにリアは自分の身に振りかかった恐怖と絶望から他の者を守ろうという意識に目覚め恐ろしい戦いに臨んだ。だがそれは彼女の死をもってしか完結しないはずの戦いだった。
　アルデガンが失ったものは一人の少女などではなかった。衰亡の翳り深い現状では望むことすら難しい最高の守り手になりうる存在だった。つのる無念の思いがアザリアをまた苛んだ。

　あのとき側にいたアラードが自分を指し示したのを見て、アザリアはリアがすでに真昼の太陽に照らされた自分の姿を見ることができなくなっていると察した。リアは戻れるはずもない戦いに赴いた。いまや自分も容易に戻れるはずのない探索の途についている。

　もうリアの戦いの結果を知ることはできないかもしれない。
　リアが私の姿を見ることができなかったように、
　それでもいかなければならない。心の告げる声に従って。
　リアがきっとそうだったように。

　アザリアは背筋を伸ばし顔をあげ、決意も新たに馬車の行く手を見つめるのだった。





＜第２章：洞窟下層＞

　暗闇の中で、大きな飛竜と華奢な少女が向きあっていた。

　その大きさからも姿からも本来洞窟にいるのがふさわしくない飛竜は苛立っていた。その心の動きがリアには手に取るように読み取れた。洞窟の中では広げることもできない翼を思い切り伸ばし天翔けるイメージとして受け取った。
「それが望みなの？」
　応えは言葉でこそなかったが、明らかに肯定の念だった。
　リアは心を鎮めてみた。相手の苛立ちがみるみる鎮まった。
　ゆっくりと感応のつながりを解くと、飛竜は低く唸りながらも向きを変え、横穴の奥に戻っていった。


　あれからもう二ヶ月がたとうとしていた。その間リアは洞窟をさまよい歩き、多くの秘密を知った。
　同時に自分の身に起きた変化がどんなものであるかも。

　洞窟には様々なものが棲んでいた。深くなればなるほど種類も数も多かった。
　下層の岩壁は岩がむき出した場所はほとんどなく、様々な種類の苔やキノコなどの菌類や青白い植物めいたものがはびこっていた。それを糧にしているとおぼしき虫、さらにそれを餌にしているネズミやコウモリなども凄まじい数だった。亜人たちはもっぱらそれらを餌にして、横穴の奥の巣穴にあふれるほど繁殖していた。そしてより大きな魔物たちが彼らを糧にしていた。

　洞窟は一本の太い通路から多くの枝道が伸びていて、その先に様々な様子の空洞があった。それらの多くは単なる空洞のままではなく何らかの力で異質な環境と化し、その環境に応じた魔物の棲みかになっていた。通路にあったものよりはるかに大きく深い地底湖には水棲の魔物たちが棲んでいた。青白い植物が疑似的な森を作っている空洞もあった。暗闇の中に自然な火口ではありえない亀裂から吹き出る噴火の力で、太陽まがいの光と熱を浴びた砂漠めいた環境を作り上げた砂地の空洞もあった。

　それらの空洞に棲む数多くの魔物たちとリアは対峙してきた。その結果わかったことは、自分の感応力がおそらく転化によって強化され変質したことだった。
　彼女はいまや出会った魔物たちと自由に感応しあうことができた。亜人や巨人、一部の魔獣などではほぼ言語に近い水準で思念を交わすことができ、より知性の低い魔物ともイメージの水準のものを伝え合うことができた。
　彼らは一様に外界へ出ることを渇望していた。当然だった。彼らにとってここはしょせん牢獄だった。いくらか本来の環境に似せられていて一応生きてはいけるものの、本来在るべき場所ではなかった。滅びの場として用意されたものだったのだから当たり前ではあったが、それなら環境を変えている力は人間の意図とは矛盾するものだった。アールダ師が魔物を滅ぼすために洞窟に追い込んだのが誤りだったといったというのも、この不思議な力の存在ゆえのことだったのだろうとリアは思った。

　そしておそらくは吸血鬼が持つ獲物に対する支配の力の影響なのか、魔物の精神を自らの精神にある程度まで同調させることができることもわかった。
　しかも彼女の目は出会った全ての魔物の体に命の流れを読み取ることができた。かりに正面から戦いになったとしても、よほど体の大きさが違うのでなければ命の流れを断ち切ることで容易に相手を斃せることが本能的にわかった。

　しかし、どの魔物にも、あるいは洞窟にはびこる小動物にも、命の流れは読み取れても血の流れを見ることはなかった。
　目覚めたばかりのあのとき自分がアラードの姿に見てしまった血の流れ、命の流れと重なり合うように見て取れた真紅の流れを他の生き物に見ることは一切なかった。それを見た瞬間に確かに感じられたあの恐ろしい衝動も、他の魔物や生き物によってかきたてられることはまったくなかった。
　だからこの二ヶ月ほどの間にじりじりと強まってきた渇きも、人間の血でなければ鎮められないものであることがもうわかっていた。

　吸血鬼は生き物の理に収まる存在ではなく呪いの範疇にあり、その渇きは自らが生きるためではなく他の人間を化生させるためのものとゴルツは語ったが、自分が人間という種族に呪縛された最凶の魔物と化したことを彼女はいまや実感していた。
　それゆえリアは多くの魔物のもとを訪れた。自分をこの世から完全に消し去ることのできるものがいることを願って。
　だが、そんなものには会えなかった。彼らはいずれも生き物としての理の中に留まる存在にすぎなかった。自分の肉体を喰らい尽くすものはいるとしても、魂を滅ぼされない限り肉体はいくらでも編み上げられてしまう。魂の水準において自分を滅する力を持つと見て取れたものはいなかった。

　だから数多くの魔物と出会ったものの、戦いを仕掛けることはないままだった。渇きとともに焦りと絶望が増しつつあった。
「どうなるの、私……」
　思わず呻き声が出た。

　どうやら自分を滅ぼせるものはゴルツしかいそうになかった。ならば滅びたければ地上に戻るしかない。けれど地上に戻れば、ゴルツに会うまでに別の誰かに出会うはず。そのとき何が起こるのか、渇きにかられ牙にかけるようなことになるのでは。互いに顔も見知った、大切な仲間だった誰かを……。
　おぞましかった。許せなかった。やはり戻ってはいけない！
　でも、このままでは渇きがいや増すばかり。事態はますます悪くなる……。

　そのときリアは岩壁を覆い尽くすキノコや植物の根元に金色の光がかすかに流れているのに気づいた。改めて洞窟を見回すと、その流れは洞窟の最深部から洞窟全体に流れているのが見て取れた。これが洞窟の異常なまでに豊穣な生命を支えていると彼女は直感した。
　洞窟の環境を変えてしまい数多の命を支える強大な力。それがどんなものかはわからないが、もしかすれば自分を滅ぼすことができる力かも！
　リアは最後に残された未踏の空洞にあるはずの力の源めざし、すがる思いで最深部への坂を駆け下り始めた。





＜第３章：レドラス＞

　アザリアを乗せた馬車がレドラスの王城ドルンに到着したのは午後になってからだった。

　巨大な城だった。しかもまだ築かれて年数が浅いようだった。高さはさほどなく尖塔の類いも少ないが、巨大な切り株のような平たい形状からすれば屋上には巨大な空間を確保しているように見えた。見るからに奇妙な作りだった。
　王城はただならぬ雰囲気につつまれていた。武装した軍隊が城門から北へ続く街道に送り出されていた。しかもその規模や装備から見てこれは本体の背後に置かれる補給部隊か予備兵団のようだった。本体はすでに送り出されたあとらしかった。遅かったかとの思いにアザリアは唇をかんだ。
　だが、王宮の中庭にはひときわ目立つ八頭立ての戦車が留められていた。豪華な装飾から一目で王の乗り物であるとわかった。近衛兵の姿もそこここに見られた。どうやら王はまだ城内にいるらしかった。
　警備兵から話をきいた近衛兵が城内に入った。状況からとても目通りがかなうとは思えなかったが、戻ってきた近衛兵は意外なことに城内に入るようアザリアに告げた。

　鎧を身に付け帯剣して現れたレドラス王ミゲルは四十代半ば。中背で褐色の髪と灰色の目を持つ典型的な南部遊牧民族の特徴の持ち主だった。ここレドラスにおいてそれは支配者の証だった。しかしその風貌は満足を知らぬ貪欲さを見せつけるようだった。その目はむき出しの野望にぎらついていた。
「親書を携えてきたと聞いた。大儀である」
　ひざまづくアザリアの前で、王は近衛兵から親書を受け取り、ざっと目を通した。
「支援を我がレドラスに求めるというか。そなたイーリア側から国境を越えたと聞くが、かの国にも支援を求めたのか？」
　アザリアが首肯すると、ミゲル王の口元に意味ありげな冷笑が浮かんだ。
「まことに大儀である。我が誇り高き一族に遠く連なるその身で使い走りとはな。だが、それももはや無用だ。我らが洞窟の魔物など一掃してくれる」
「おそれながら、それはどういう意味にございますか？」
「我が偉大なるレドラスが誰もなしえなかったことをなす。ゆえに我が国にこそかの地を治める資格があるということだ」
　ミゲル王は声をあげて笑った。
「余は先代と違う。アルデガンやノールドの現状など知り抜いておる。もはや魔法の時代ではない。衰亡した実態に過去の幻影をまとわせ欺いているにすぎぬ。そなたがその白き長衣にて呪文を失った身をまとい欺こうとしているのと同じこと」
　アザリアは色を失った。そんなアルデガンに住む者しか知らぬはずのことを、なぜこのレドラス王が知っているのか！

　倣岸なる王はしばしアザリアの様子を面白そうに眺め、やがて言葉を続けた。
「見てのとおり我が国は取りこんでおる。本来ならば謁見どころではないのだが、使者がそなたであると聞いたからこそこうして会っておるのだ。そなたがおらねば戦支度をすることもなかったのだからな。光栄に思うがよいぞ、アザリア」
「……私がいなければ、戦をすることもなかったと？」
　ますますわからなくなった。この男はなにをいっている？
　侍従の耳打ちにミゲル王がうなづいた。
「もう少しそなたが惑うのを見ていたくもあるが、時間がないのでな。そなた、我が方を探りにきたのであろう？　いや、隠さずともよい」
　アザリアが口を開く間も与えず、王は片手で制した。
「余は感嘆しておるのだ。さすが我が民族の血を引く者、大した胆力とな。そなたが恭順を誓うなら処遇を考えてもよいのだぞ。偉大な民族の一員たるそなたのような者が命運尽きたアルデガンになど身を置く意味はありはせぬ」
　ミゲル王は再び笑い声をあげた。

「くるがいい！　我がレドラスの大いなる力を見せてやる！」





＜第４章　最下層

　リアが辿り着いたのはこれまでの中で最大の空洞だった。幅や奥行きもさることながら高さがずばぬけて高く、噴煙でけぶっているため天井の様子が見て取れないほどだった。
　ここには人の手による加工はおろか、不思議な力による環境の変化も見て取れなかった。ゴルツがいったとおり、小さいながら火山としての特徴をすべて備えた火山が炎を上げていた。天井までの高さの約半分の高さにある火口から天井を舐めるように炎が吹き上げられるたびに、はるかに離れた岩壁に赤と黒の妖しい文様が踊った。
　そして、炎を吹き上げる火口から円錐状の麓へと、あの金色の微かな光が絶え間なく溢れ出て、洞窟の通路の壁を伝い流れていた。力の源は火口の中らしかった。
　火口の中では手出しができない。リアがとまどっていると、突然強大な思念を感じた。
＞人の子よ。汝一人いかにしてここまで辿り着いた？＜

　これまで先に呼びかけてきた魔物などいなかった。驚くリアの目の前で火口から太い火柱が上がった。その紅蓮の流れの中を、金色に輝きながら泳ぐものがいた。それが光の源だった。
　だが、それ以上は捉えられなかった。真昼の太陽とまがう光に目を開けていられなくなった。リアは痛む目を閉じて叫んだ。
「あなたはだれ？　姿を見せて！」
　火柱が縦に裂けた。左右に大きく分かれた二本の炎の間にそれが姿を現した。

　決して大きな体ではなかった。腹が赤、背が緑にきらめく蛇体はせいぜい人の背の三倍から四倍程度、金色にまばゆく輝く翼は翼長が人の背と同じくらい。頭部に至っては大きさだけでなく形までいくらか人間に似ていた。細い顔を無数の触手が取り巻いていて、頭頂に生えた一群の短い触手には赤い眼点が認められた。それ以外のより長い触手は蠢きながらも背に流れていた。
　白い毛に根元を取り巻かれた細い首の下には三本の爪を備えた二本の短い腕を持つ肩が続き、いったんくびれたあと金色の翼の付け根のところで太くなっていたので、その半身は奇妙なまでに女性的な印象を与えた。髪の代わりに蛇を生やした女を想わせる半身に翼の生えた蛇体が続いた小型の竜のような姿だった。
　さほど大きくもなくしかも女性的で細身の姿。しかしその印象とはおよそかけ離れた途方もない力を秘めていることが感じられた。これまで出会った魔物とは比べものにならなかった。しかも少なくとも人間と同等の知性を備えた存在だった。
　そして生命の流れが異質だった。他の魔物たちは人間や動物と同じ理の中に生きていたが、目の前の魔物は炎の力を翼を介してじかに取り込み、形を変えて放出していた。まったく違った理に生きる存在だった。一見この世の魔物とそうかけ離れた姿ではないものの、本質は見かけ以上に異質な存在であるらしかった。
　これはこの世の外からきたものかもしれない。
　リアの直感がそう告げた。

＞我の問いかけには答えぬのか？　人の子よ＜
　魔物の思念が再び放たれた。
「私は人間ではないわ。あなたにはわからない？
　私には、あなたがこの世のものではないように見える。
　あなたには私のことはどう見えるの？」
＞我をこの世界のものではないと見たか！＜
　驚きを隠さぬ思念が返された。
＞ならば汝は確かにただ者ではあるまい。だが我には汝と人間の区別がつかぬ＜
　金色の翼を優美に羽ばたかせ、魔物はリアのすぐ上空まで舞い降りた。眼点を持つ触手がのぞき込むように蠢いた。

＞確かに汝にはなにか不思議な力を感じる。ただの人間ではないのかもしれぬ。だが二百年前に我と会った者は、はるかに強大な力を持っていた。汝の力とは違っていたかもしれぬが、強さでいえば汝など足元にも及ばぬ力だ。
　それでもかの者は人間だといっていた。おそらくそうだったのだろう。だから我には汝も人間に見える＜
「二百年前に出会った者って、まさかアールダ師のこと？」
　リアは叫んだ。
「あなたはアールダ師と話したの？」
＞確かにかの者は自分のことをそう呼んでいた＜
　どうやら視覚をつかさどるものではないらしい顔面の二つの目のようなものがきらめいた。
＞かの者は途方もない力をもっていた。およそ人間という種族の限界をはるかに超えた力を、我と戦って一歩も譲らぬ凄まじい力を。長びくばかりで決着のつかぬ戦いの中で我らは互いの思念を交わせることを悟った。我はこの世界に漂着して永くたつが、それまで人間と思念を交わすことなど思いもよらなかった＜
＞かの者は誰にも話せぬ疑念を抱え込んでいた。だから我はこの世界に漂着して以来伝えたことのなかったものを伝えた。それがかの者の疑念に答えるものだったから。そして我らは約定を交わすに至ったのだ＜

　思いもよらない話に、リアは呆然として聞き入っていた。





＜第５章：王城＞

　アザリアはレドラス王ミゲルに続き、近衛兵に両脇を挟まれたまま長い階段を登りきった。侍従が重い扉を開けた。
　太陽の光がまともにアザリアの目を射ぬき一瞬なにも見えなくなった。風が吹き込むと同時に異様なわめき声が聞こえた。

　扉の外は屋上だった。アザリアは息をのんだ。
　巨大な円形の広場だった。壁から屋根が張り出していたが壁の周囲の一部だけであり、広場の大部分は屋根がなく空がそのまま見えていた。広大な壁の周囲の屋根の下は無数の装置でびっしり埋め尽くされていた。明らかに魔法装置だった。
　部屋の中央には祭壇のようなものが設けられ、ひときわ大きく複雑な装置が大空の下に組み上げられていた。
　大きく西へ傾いた午後の太陽の光をも色あせさせるような虹色の強い光が二すじ祭壇の装置から放たれていた。南と東の塔から持ち去られた二つの宝玉に違いなかった。

　その陰に置かれた鉄の檻の中に、両手を縛られたぼろぼろの男がひとり囚われ暴れ狂っていた。
　鉄灰色の髪が半ばまで白くなっていたためあたかも老境にさしかかっているかのようだったが、そうとは思えぬ獣じみた異様な暴れぶりだった。縛めを解こうともがき鉄格子に身をぶつけ叫び狂う姿からは遠目にも正気ではないことが見て取れた。その叫びの中に呪文の断片が混じっていることにアザリアは気づいた。
　無残な光景にアザリアは立ちすくんだ。自分の顔が引きつるのがわかった。

「そんなところで立っておらずに近う寄ってみてはどうだ」
　ミゲル王の含み笑いが聞こえた。
「久方ぶりの再会ではないか」
　王の声を聞きつけたのか、男が振り向いた。変わり果てた顔形だけではわかりようがなかった。
　だが、男は隻眼だった。左目がえぐられていた。
「まさか！　ガラリアン！」
　自分の耳にさえ悲鳴に聞こえた。いつかけ寄ったのかもわからなかった。
「私よ。アザリアよ！　わからないのっ？」
　血走った片目が向いた。だがなにも映していなかった。得体の知れぬ妄執の嵐が荒れ狂う地獄の窓さながらだった。アザリアは戦慄した。

「無駄だ。わかりはせぬ」王が笑った。
「余のことさえ、もうわかりはせんのだ」
「残酷な！」アザリアは振り返り、王を睨みつけた。
「彼を閉じ込めてなにをさせるつもり？　レドラス王！」
「無礼者！」近衛兵が色めき立ったが、王は片手で制した。
「強いてなどおらぬ。させぬように閉じ込めたまでだ。こちらの準備が整わぬのに勝手に術を発動しようとするのでな」
　王の口ぶりが苦々しげなものに変わった。
「取り押さえるだけで近衛隊が一つ壊滅した。それから丸二日も暴れておる。術を発動するのはそやつの宿願。余はそれを叶えてやったにすぎぬ」
「ガラリアンにノールドを攻める理由などないわ！」
「もう少し察しがよいと思うたぞ、アザリア」
　王の顔に冷笑が戻った。
「そやつの宿願はノールドではない。アルデガンの滅亡だ」

「余がガラリアンと会ったのは即位する少し前だった」
　自失していたアザリアの耳にミゲル王の声が遠くから聞こえてきた。自分が近衛兵の手でガラリアンの檻から引き離されていたことにやっと気づいた。
「宝玉の塔のそばで狩りをしていて見つけた。塔を目指しているように見えた。だから尋問した。むろんそのときのそやつはまだ話が通じた。それでもかなり荒んではおったがな」
「己の力が洞窟を制するに足らず、誰かを救えず絶望したという話をしおった。なにがなんでもアルデガンを根こそぎ吹き飛ばし焼き尽くすといっておった。術の原理は編み出せた、だが膨大な魔力が必要なので支えの宝玉が欠かせぬ。それも一つでは心もとない、二つは欲しいとな」
「むろん先代の耳に入れば処刑は免れぬ。だから余はガラリアンをかくまった」
「なぜ……？　どうしてそんなことを？」
「そやつの話でノールドはアルデガンと魔術の共同研究などしておらず、怖るに足らぬと知れたからだ」
　ミゲル王の目がぎらついた。

「もともと余は北の大地を金髪青目の民になどゆだねておきたくなかった。エルリア大陸に覇をとなえるのは我がレドラス以外にありえぬ。先代の怯懦がもどかしかった」
「だが、ノールドを攻めるには問題が二つあった。一つは先代が怖れたノールドの魔術。それは怖るに足らぬと知れた。残るは洞窟の魔物だ。実情はそなたの方が詳しかろう？」
　王はアザリアをじろりと見た。
「いくらノールドを平らげたようと魔物の相手などさせられてはたまらぬ。ならば北の民に番をさせておいたほうがよい。だが、ガラリアンはその脅威を根こそぎ取り除いてくれるというのだ。我が覇道を天が望めばこそガラリアンは余と出会うたのだ！」

　アザリアの視線は野望を隠そうともせぬ傲岸な王と檻の中の妄執に狂うかつての仲間の間をさまよった。悪夢だった。貪乱な野望が狂気に憑かれた凄まじい力を得て人の世に暴威を振るおうとしていた。出会ってはならぬ者たちが出会い、この世を呑み込む巨大な双頭の魔獣と化したも同然だった。
「……アルデガンを、いったいどうするつもり？」
　声がかすれていた。
「ガラリアンの思いのままに。それとも余に魔術の解説でもしてほしいのか？」
　ミゲル王がさもおかしそうに笑った。
「だからそなたをここへ立ち合わせるのではないか。しかとその目で見届けてもらおうと思うてな。そなたがそやつを身を挺して助けてくれたおかげでここに余の大望が成就するのだ。光栄に思うがよいぞ。アザリア」
「そんな……」
　アザリアは呻いた。呻くことしかできなかった。

　あのとき彼を助けたために自分は呪文を唱えれば死ぬ身となり戦いから退かざるをえなくなった。さもなければ救えたはずの仲間が何人も犠牲になったとの思いにもずっと苛まれてきた。
　そのガラリアンがアルデガンを滅ぼそうとしている。レドラス王も混乱を突いて一気にノールドを滅ぼすつもりだ！
　彼を助けたことは間違いだったのか？　これでは膨大な人々を戦乱の中で死なせる発端を開いたことになってしまう！
　目の前がまっ暗になった。
「刻限にございます」
　侍従の声に王がうなづいた。
「出してやれ！」

　縛めを解かれたガラリアンは檻から走り出て祭壇の装置に駆け上がると、虹色に輝く二つの宝玉に両手をかざしながら呪文の詠唱を始めた。アザリアはそれが彼の得意とした炎の呪文を途方もない規模にまで編み直したものであることに気づいた。
　宝玉の虹色の光が照らす空に炎が燃え上がった。炎は空一面に広がり宝玉の光を際限なく吸い上げた。膨大な魔力をすべて炎に変えるつもりと知れた。二つの宝玉が光を失い砕け散ったとき、空一面の業火の照り返しは地上のすべてのものを朱に染め上げていた。もはやこの世の光景ではなかった。
　でも、これでは上空がただ途方もない規模で燃え上がっているだけのことだった。
「どうする気なの？　こんなことをして……」
「ここからが肝要だ。我が大望にとってもな」
　王の声にも緊迫した響きがあった。

　瞬間、ガラリアンの呪文が変わった。響きに昏い陰がさした。それはアルデガンでは決して使われることのない韻律だった。
「まさか、魔道の呪文！」
　アザリアが叫んだとたん、壁際を埋めつくす魔法装置が赤い光の筋をいっせいに放った。それらがガラリアンの頭上の中空で縦横にからみあい魔法陣を織りなした。魔法陣の真ん中からの赤い光がガラリアンを包み込んだ。すると狂える魔術士の姿が大きくゆらぎ、ねじれ始めた。彼の内部のなにかを魔法陣が吸い上げ、それが上空の炎に転送されていった。
　妄執を炎に移している！　それは直感だった。己の妄執で炎をアルデガンに導くつもりだ！
　考えるより早く体が突進した。王も近衛兵も反応できぬうちにアザリアは祭壇のガラリアンに迫った。
「こんなことをさせるために助けたんじゃないわっ！」叫びが後から追ってきた。
　だがねじれて原形を留めていない腕が振りぬかれると、気弾がアザリアを吹き飛ばし、彼女は石畳に叩きつけられた。あばらが折れた激痛に薄れゆく意識のなかでアザリアが最後に目にしたのは、ぬけがらと化して崩れるガラリアンと地獄の太陽さながらに天空を滑る巨大な火の玉の姿だった。

「我が大望は成就せり！」ミゲル王が叫んだ。
「いまこそノールドの異民族を討伐し、かの地をレドラスの威光にて押し包まん！　余も出陣するぞ！　戦車を引けいっ！」
「捨て置け！　討伐の前に同族を斬っては縁起が悪い」
　アザリアにとどめを刺そうとする近衛兵を王は制した。
「これだけ楽しませてくれたのだ。どうせなにもできはせぬ」

「余が凱旋しても生きておれば処遇を考えてやろう」
　階段の降り口でミゲル王は笑った。
「そこまでの強運であれば、ぜひあやかりたいものよのう」
　重い扉が閉ざされた。昏倒したアザリアを残したまま。





＜第６章：地下火山＞

＞かの者の力はあまりにも強大だった＜
　金色に輝く人面の竜のごとき魔物の思念が告げた。
＞もともとは怪物の餌食になる仲間を救いたい一心で戦いを始めたといっていた。だがその力は自身の予想を超えて強大だった。気がつけば広大な土地に棲みついていた幾多の怪物をほとんど己の力一つで討伐し、わずかな生き残りをこの地へと追い込んでいたという。
　周りの人間たちはかの者が怪物を滅ぼすことを望んだ。もはやそれは目前だった。己の手を振るえば幾多の種族がこの世界から消え去ることをかの者は悟った＜
　火口から間をおいて吹き上がる炎が魔物の翼に弧を描いて吸い込まれ、背中に流れた触手が打ち震えた。

＞そのときかの者は迷ったという。己のなそうとすることは正しいのかと。長く怪物と戦ってきたゆえに、かの者は怪物の本質を知りぬいていた。初めはただ恐るべき化物としか思えなかったものどもが結局のところ生き物の理に従うものでしかないとすでに悟っていた。それを己一人が滅ぼしてよいのかと＜
　魔物の全身の金色の輝きが拡散して洞窟の岩壁に流された。
＞我と戦いながら、汝と同じくかの者も我がこの世界に属さぬものであることを悟った。そのことがかえってその迷いを大きくしたようだった。同じ世界に属するものを一人の手が滅ぼすことは許されるのかと。神とか造物主とかよくわからぬこともいっていたが、大筋そういうことのようだった。
　そのうえかの者には、仲間たる人間たちの振舞いゆえの悩みもあったのだ＜
　炎を吸い込むのを中断した魔物の輝きが薄れ、緑と赤の体色があらわになった。

＞かの者は人間という種族の限界をはるかに超えた力を持つゆえに他の人間が見ないものを見、考えないことを考えた。怪物の脅威から救った者どもが同じ人間に滅ぼされたり逆に他の人間を攻めたこともあったようだが、これが新たな懊悩となった。人間という種族が世界を占有し力を振るうことに、かの者は懐疑の念を抱かざるをえなくなっていたのだ。
　だから我はかの者に我が種族の過ちを告げた＜
「あなたの種族の過ち？」
　目を焼く輝きが薄れたことにほっとしながらリアがきいた。

＞かの者や汝が見たとおり、我はこの世界のものではない＜
　魔物は地面に舞い降りて岩に巻きつき翼を休めた。
＞異なる星界よりこの世界に漂着した。自らの星界を我ら自身が食い潰し滅ぼしたゆえに＜
「……食い潰す？　自分の世界を？」
　それはリアの理解を超えた概念だった。
＞見てのとおり我は大地の炎の力を糧に生きるもの。いわば大地の力を吸い上げて生きるものだ＜
　長い触手が岩に巻きついた。
＞我らは増えすぎたあげく世界を吸い尽くしてしまった。我らの世界は炎の力を失い冷たく不毛な岩の塊になり果てたのだ＜
　今度はリアにもおぼろげながらそのありさまが想像できた。

＞世界には均衡というものがあるのだ。かつては我らの世界にも我らを貪り生きる種族がいたという。だが、いつしか我が種族はそのものを滅ぼしてしまった。我らから見ればそれは恐ろしい怪物。だが我らが世界を吸い尽くしかねない怪物である以上、それは世界の番人、星界の守護者であった。それを我らは滅ぼした。ゆえに怪物としての我らから世界を守るものはいなくなった＜
　眼点を持つ触手に引かれるように、人間に似ていなくもない顔が中空を仰いだ。

＞自らの手で種族としての自らを律するのは難しい。それは己に対して必要な時は怪物として振る舞わなければならないことを意味するのだから。自らの力を伸ばすために他の者を滅ぼすのではなく、自らが世界に対する怪物であるとの自覚の下に、容赦なく己が種族の力を削がねばならないのだから。
　我らにはそれができなかった。限度を超えて増えてしまった。ゆえに我らの世界は本来の寿命が尽きるよりはるかに早く我らに吸い尽くされ、他の種族をも巻き添えに滅びてしまったのだ＜
　魔物の思念に悔悟らしきものが混じった。

＞我らは暗黒の虚空に離散した。広大な虚空にちりぢりとなり、それぞれが先のわからぬ漂泊の旅に出るしかなかった。我はこの世界に漂着した。他のものも二、三きているように感じたので、我はこの世界を探しまわった。出会うことはなかったが＜
＞そのかわり我は奇妙な生き物に気づいた。それは個体としては弱体であるのに数が集まると明らかに世界を変える力を発揮していた。直接世界を吸い上げるわけではなかったが、かつての我らのように自らの世界の運命を変えうる存在であると見て取れた。それが汝ら人間だ。我はその振る舞いを注視した＜

「それで、どう思ったの？　私たちのことを」
＞懸念を覚えた。世界に対して振るうその力の大きさにもかかわらず、自らが世界に対する怪物であると認識をしているようには見えなかったゆえ＜
＞だが、我はこの世界にとってしょせん異物にすぎぬ。軽々しく関与することは有害であろうとも思った。だから見守っていた。しかしそこにかの者が現れ、種族の域からはるかに突出した己の力一つで怪物たちを駆逐し始めた＜
　魔物は岩に絡みついた身をほどき、再び翼を広げて舞い上がった。

＞だから我はかの者に伝えた。我が種族の過ちを。かの者が汝ら人間という種族と世界の命運にとって大きな岐路にいることを。この岐路を種族としての力ならざるもので決するなら、もし種族としての人間が滅ぼしえないものを滅ぼしてしまったなら、種族の運命も世界の命運も大きく狂いかねないと我は警告した＜
＞かの者は我の警告を受け入れた。そして我らは約定を結んだ。ここに追い込まれたものどもと人間の運命がより本来の形に近い過程を経て決まるようにと＜

「……どんな約定なの？　それは」
＞かの者は結界を張り人ならぬものが洞窟を破ることを禁じる。人間は出口を守り追い込まれたものどもと種族の域を越えぬ力で戦う。その限りにおいて、我は戦いに関与せず追い込まれたものどもを養うことに専念する。その結果人間がこのものどもを滅ぼせたなら岐路の決定として認める。しかし種族の域を大幅に越えた力で攻めるなら、我がこのものどもを守る。人間が結界を維持できず弱まったり解かれるようなことがあれば、このものどもは再び地上に解き放たれる。
　これがかの者と合意に至った内容だ＜
　そのとたん、魔物の背の触手がざあっと広がった。ただならぬ様子にリアは思わず後じさった。
「なんなの？　どうしたの？」
　魔物は答えなかった。眼点を持つ触手はしかし別の方向を見上げていた。

＞巨大な炎が現れた。南からこの地をめがけて飛んでくる＜
　ややあって魔物の思念が告げた。
「なぜわかるの？　こんなところにいるのに！」
＞我は炎の力を喰らうものだ。それに炎もあまりにも大きい＜
　触手が探るように蠢いた。

＞この地を丸ごと呑み込む大きさがある。いま地上は日没を迎えている頃だが、日没の残照が消えてさほどたたぬうちにここまでくるはず。直撃すればこの深さまで根こそぎ吹き飛び人間も洞窟のものどもも全滅するだろう＜
「なんですって！」
＞同族もろとも滅ぼそうというのか。どうも人間の考えることはよくわからぬ。我らは同族同士で殺しあうことはなかった。だからこそ増え過ぎたのかもしれぬが。
　だが人間の殺し合いも相手を排除して自分たちが置き換わろうとするものばかりと我には見える。それでは種族としての自らを律する行為とはいえぬ＜
　魔物が大きく翼を広げると全身がまばゆい光に包まれた。洞窟全体が凄まじい力の場に包まれたのをリアは感じた。
＞いずれにせよ、これは種族の域を越えた力だ。我は約定に従い洞窟のものどもを守る＜
「……では、それでは地上のみんなはどうなるの？」
＞炎に呑まれ全滅する＜
　リアは絶句した。

＞我が力はかの者の結界に阻まれている。地上までは及ばぬ＜
　魔物の思念が告げるのをリアは呆然と聞いていた。
＞かの者が死んだのなら結界をこじあけることもできぬわけではない。だがそれは約定に反する。それに強大な結界をそれ以上の力でこじあけるのだ。それだけで地上は吹き飛んでしまう＜
「……そんな！　なんとかならないの？」
＞我がなんとかせねばならぬ理由があるか？　人の子よ＜
　魔物の思念は不思議そうだった。
＞汝が仲間に知らせればよいだけの話ではないか＜
「私は……、私は人間じゃない……」
　リアは呻いた。
「決して地上に戻ってはいけない怪物なのよ」
＞見たところ人間にしか見えぬ。話す限り心も人間のようにしか思えぬ＜
　再び不思議そうな思念が返された。
＞我には汝と人間の区別がつかぬ＜
「わからないの？　私は魂に不死の呪いを受けた者なのよ」
　リアは魔物を仰ぎ見て叫んだ。
「私はこの魂を滅ぼしてくれるものを求めてここまできたわ。
　あなたは私の魂を滅ぼせないの？」
＞汝のいうことはよくわからぬ＜
　輝く魔物はとまどっているようだった。
＞我にできることは燃やすか凍らせるかのどちらかだ。汝がいうこととは違うような気がするが……＜

「……では、この洞窟には私を滅ぼせるものはいないのね」
　リアは自分に問い掛けた。それなら洞窟に留まることはなにを意味するのかと。
　仲間に危害を加えることを自分はなにより恐れてきた。だから洞窟の中で滅びてしまいたかった。だが、それはできないことがわかってしまった。その上ここに留まることはアルデガンの仲間が全滅するのを座して見ていることでしかないことまでわかってしまった。
　ならば自分はどうしたいのか？　答えはすぐ出た。
「アルデガンから逃れさせたい！　誰も死なせたくない！」
　リアはもはや姿も見えないほどまばゆく輝く魔物を見上げた。その目にも激しい光が宿っていた。
「私がみんなに伝えるわ。ありがとう！」
　応えも待たずに身をひるがえし、一目散に洞窟の通路を駆け上り始めた。

　たちまち心を挫こうとする姿なきものが追いすがってきた。
－－－そんなことができると思っているのか－－－
　奈落からの声が囁いた。
－－－こんな話を誰が信じるのだ－－－
　逃れようといっそう足を速めた。
－－－人間でないおまえの話など－－－
　両手で耳をふさいだ。
－－－心だけ人間のふりをしてもむだだ－－－
　歯を食いしばった。牙が唇に触れた。
－－－牙持つ身でありながら何様のつもり？－－－
　ラルダの叫びに思わず呻いた。
－－－できるものか、できるものか、できるものか！－－－
　いまや洞窟全体に反響する巨大な声に抗いながら、リアは果てしなく続く洞窟を駆け続けた。





＜第７章：洞門前＞

　リアが洞門に辿りついた時、空は燃えるような朱に染めあげられていた。
　夕日がちょうど沈むところだった。岩山と城壁に囲まれた砂地には影が落ちていたが、城壁は沈む夕日を照り返していた。
　暗闇の中で転化したラルダに比べ、リアは転化の過程で光を浴びる時間が長かったので少しは光への耐性が高かった。それでも沈む夕日の照り返しでさえ烙印を押すような苦痛で身を苛んだ。まるで自分が人間でないことを暴き立てる悪意さながらだった。歯を食いしばって、彼女は洞窟から砂地へと歩み出た。
　夕日を浴びて輝く城壁にリアは目がくらみ見張り台の様子などまったく見て取れなかった。痛む目を閉じるとリアは声を限りに呼ばわった。
「誰か！　そこに誰かいないの？」
「何者……」城壁の上から誰何しようとした声がとぎれた。
「お、おまえは！」
「降りてきてはだめ！　近づかないで！　もう私のことは知っているんでしょう？」
　リアは目で見ることをあきらめ気配を探り捉えた。城壁の上に三人、いや、四人の若者が集まってきた。
「私はそこまで行く気はないわ。ここからでも私の話は聞こえるはずよ」
「なにをしにきた！」
「警告よ」リアは片手で天を指した。
「アルデガンは空からの炎に焼き尽くされる。全員いますぐ脱出して。でないと全滅よ！」

　声が返ってくるまで時間がかかった。
「なんだと……。おまえはなにをいっている？」
「どこかの人間たちが巨大な火の玉を放ったのよ！　アルデガンを滅ぼすために」
「ばかな！　そんなこと信じられるか！」
　当然の反応だった。逆の立場なら自分だって信じないだろう。だが時間がない！　リアはあえて牙を見せつけ叫んだ。
「あなたたちでは話にならないわ！　すぐに大司教閣下をここへお呼びして。でないと私がそっちへ乗り込むわよ！」
　慌てた若者たちの一人が脱兎のごとく走り去った。


　夜番に就くため城壁の扉をくぐろうとしたアラードは、飛び出してきた仲間とぶつかりそうになった。
「危ないじゃないか、どうしたんだ！」
「リアが、リアが現れた……」
「なんだって！」
「城壁の下にいるんだ。アルデガンが空から焼き滅ぼされるからみんな逃げろとかいってる。ゴルツ閣下を呼べと」
「……わかった。閣下を呼んでくる。隊長を呼んできてくれ」
　アラードはラーダ寺院へ一目散に走った。


「リアが現れたと！　アルデガンに侵入したのか？」
　ゴルツとともにいたグロスが叫んだ。
「城壁の下にいるそうです。アルデガンが空から焼き滅ぼされるからみんな逃げろといっていると。大司教閣下を呼んでいるそうです」
「……どういうことだ？」
「わかりません」
「よもや、閣下を誅しようということか！」
　アラードが答えられずにいると、ゴルツが立ち上がった。眼窩の奥の目がぎらり、と光った。
「一刻を争う。洞門へ転移するからわしにつかまれ！」
　呪文とともに三人の姿はかき消えた。


　輝きを失った城壁の下に三つの人影が現れたのをリアは見た。ゴルツを真ん中に片方がグロス、そして……。
「アラード……」
　リアはつぶやいたが、振りきるように一つ身震いするとゴルツをまっすぐ見つめた。
「閣下、この地はもうすぐ巨大な火の玉に焼かれます。みんなをいますぐ脱出させてください！」
「なぜそんなことがわかる！」グロスが怒鳴った。
「洞窟の奥に潜み魔物を庇護する者が教えてくれました」
「そんなところにいるものが外界のことなどわかるはずがない。だいいち魔物の長ではないか。見えすいた嘘をつくな！」
「われらが去れば、洞窟からは魔物たちがあふれ出よう。それが狙いか」
　ゴルツがいった。恐ろしい声だった。
「さては魔物の走狗となり果て地上に攻め上らせる手引きをするつもりじゃな！」
「もうどちらでも同じなんです！」
　リアは叫んだ。
「アルデガンが火球の直撃を受けても洞窟の魔物たちは無傷なんです。地上のみんなが全滅するだけです。そうなればやはり彼らは外へ出てきてしまいます。
　誰がこんな火球を放ったのか知りません。でももうアルデガンは火球を放った者にこじ開けられたのと同じなんです！」
　城壁の上に群がる人々がどよめいた。

「庇護する者はいいました。人間がどういう気かはわからない。でも現実に火球はアルデガンに迫っている。大地の炎の力を取り込み生きている自分には火球の大きさも威力もわかる。大きさはアルデガン全体をひと舐めできるほどで自分が守らなければ洞窟内部も根こそぎ吹き飛ぶだけの威力があると」
「自分の力ならば洞窟内の魔物は守れる。しかし人間を守るならアールダ師の結界を破らなければ自分の力は及ばない。でも無理に結界を破ればやはり地上は吹き飛ぶし、そもそも自分にはその理由がないといっています。だから私がきたんです！」
　リアはその場に跪き、人々に両手を差しのべた。
「私はもう人間ではありません。でも、みんなが私の大切な仲間だったことに変わりはないんです。お願いです。今すぐ脱出してください！　こんなことで死んではいけません！」
「黙れ！」
　ゴルツが錫杖を掲げた。すでに白く輝き始めていた。
「我らの心を迷わし人の世に災いをもたらさんとするその所行、断じて許せぬ。この場で滅びよ！」
　解呪の印を結ぶや大司教は詠唱を始めた。

　その時リアの心に声がした。ここで滅びを受け入れれば自分は無垢のまま死ねる。だが抗えば、もはや誰も殺めないまま滅びることはできないと。
　しょせん信じさせるのが無理な話。訴え続けてどうなる。このまま火球の直撃を受ければ全員が消し飛んでしまう。自分だけが復活して、やがて人を殺めることになるばかり。
　滅びに身をゆだねよ。ならば少なくとも自分が殺めるであろう者は救われる。
「でも、それではみんなは助からない」
　不滅の吸血鬼と化した身。永遠に生きるかもしれぬ。はるかに多くの者を殺めるかもしれぬ……。
「ではこの人たちは死ぬほかないの？　私のかけがえのない仲間だったみんなが」
　無垢のまま滅びることを望んでいたのではないのか？
「……望んでいるわ、今この瞬間も。でも、この人たちがそんな死に方をするのは絶対に間違っている！」

　リアは支えの腕輪を握りしめると、呪文を詠唱するゴルツに訴えた。
「このまま滅びるわけにはいきません。とにかく全員脱出させてください！　そうすれば私は喜んで討たれますから！」
「いうな！」
　ゴルツが叫ぶと見えざる嵐がリアを襲った。瞬時に彼女の体はずたずたに斬り裂かれた。
　たちどころに傷が回復を始めた。だが魂をも斬り崩す意志力の刃はリアの体をつむじ風のように巻き込み傷が回復するそばから斬り刻んだ。たまらず彼女は倒れ伏した。
　しかしリアは牙を噛みつつその身を起こし、魂に食い込む刃の痛苦に苛まれながらも声を限りに叫んだ。
「もう時間がないわ！　逃げて！　みんな逃げてーっ！」
「まだいうかっ」
　髪を振り乱したゴルツが錫杖を振り上げると精神の嵐の威力が倍加した。それでもリアは叫び続けた。
　眼前の凄惨な光景に城壁の上の人々の間に広がる動揺！　だがリアの願いとは裏腹に、誰もがその場に釘付けになっていた。
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		<dc:date>2018-05-13T20:39:42+09:00</dc:date>
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	<item rdf:about="https://mohito.novel.wox.cc/entry5.html">
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		<title>『封魔の城塞アルデガン』第２部：洞窟の戦い　後半</title>

		<description>＜第３章：火口　その１＞

　ゴルツと…</description>
		<content:encoded>
			<![CDATA[ ＜第３章：火口　その１＞

　ゴルツとアラードが辿りついたのは、それまでとは全く様子が異なる場所だった。

　これまで洞窟の広がった部分はいくつもあったが、この場所はずばぬけて広かった。地面にはいくつもの亀裂が走り、赤い光が漏れ出ていた。広大な空間は硫黄の臭いと凄まじい熱気に満ちていた。
　空洞の地面の真ん中には楕円形の火口が口を開けていた。地面からの盛り上がりは人の背の二倍程度と低かったが、広さは空洞の地面の半ば近くを占めていた。硫黄を含んだ煙がたえず立ち込め、紅蓮の炎が間欠的に吹き上がった。

　その煙と炎を背にして、人影が一つ火口の縁に立っていた。
　炎を背にしているため、見上げるアラードの目には顔も姿も判然としなかった。彼は人影の顔の部分に目をこらした。
「目を見てはならぬ！」だしぬけにゴルツがいった。
「お久しぶり、私を見捨てたお父様」
　女の声だった。それもていねいな。にもかかわらず、その毒々しさにアラードは身を震わせた。おかげでその言葉の意味を理解するのが一瞬遅れた。

「……お父様？　まさか、閣下！」
「お父様。どうしてラルダと呼んで下さらないの？　哀れな娘の名前など二十年の間にお忘れになった？」
　炎がまた吹き上がり、人影は黒々とした残像と化した。その残像の顔の部分に緑色の双眸が燃え上がった。
「わかっているわ。お父様は私を滅ぼしに来たのよ。娘などではない、ただ一匹の化物として！」
　人影は火口の縁から地面にふわりと降り立った。

　アラードとさして年の違わぬ娘のようだった。いや、本来ならそうであったはずの姿だった。
　だがその姿はやつれ、苛まれ、荒んでいた。つややかな美しさを誇ったであろう漆黒の髪はおどろに振り乱され、毒蛇さながらにねじれ、のたうっていた。父親によく似た緑の炎のような強い意志を秘めた目は、しかし毒々しい憎悪に歪んでいた。異様に赤い唇からは鋭い牙がこぼれていた。
　間違いなく吸血鬼だった。
　だが、ガモフとはまったく違っていた。彼はからっぽだった。本来の人格も記憶も失われた動く死体でしかなかった。
　ラルダと名のる目の前の吸血鬼は明らかに人格を持っていた。だがそれは彼女のものでありながら、悪意にねじれ歪んでいるのがアラードにさえ感じ取れた。彼はゴルツがいわんとした言葉の意味をようやく悟った。そしてゴルツがここへ来た目的も。

「閣下は最初からご存じだったんですか。アルデガンに侵入した魔物の正体を！」
「そなたなぜ二十年もたった今になって現れた！」
　アラードには応えず、ゴルツはラルダを油断なく見据えながら錫杖を掲げた。
「仮にも神に仕える者として修行をした身でなんたるありさま。この世での妄執から解かれ、神の御元へ還るがよい！」
　瞬間、ラルダの全身から目に見えんばかりの凄まじい怒気が吹き出した。
「私に神などという言葉を吐くな！」
　牙をむき出しラルダは叫んだ。だが次の瞬間、その目がすっと細められた。
「私を解呪しようというならば神の力にすがらねばならぬはず。お父様は私に尊師アールダにちなんだ名を与えた。私もその名に恥じぬよう、尼僧として修行を積んだわ。
　その私がこの洞窟で二十年もの間どんな目にあってきたのか、それを知ってもすがれるというならすがってみせるがいい！」

　長い話が始まった。無残な、忌むべき話が。


－－－－－－－－－－


「もうすぐ地上だぞ」
　若き戦士ローラムがいった。彼は同期の戦士二人とともに前列に立っていた。背が高く貴公子然とした風貌と勇敢な性格ゆえに彼はこのパーティのリーダーに祭り上げられていた。

　その後ろに僧侶呪文を極めるのも目前というラルダとそろそろ高位魔術士になろうというグロスが続き、その背後をさらに三人の戦士が守っていた。若さゆえに経験こそ不足しているものの、かなりの力を持つパーティだった。
　彼らは腕試しのため洞窟に潜り、多くの亜人と三匹の魔獣のみならず、一体の巨人までも倒して帰還するところだった。誰もが予想外の戦果に高揚していた。

　だが通路を曲がったところで、彼らは行く手に長身の男が一人うつむいて立っているのに出会った。
「誰だ」リーダーのローラムが誰何した。
　くく、と嘲笑う声が返った。
「ここは我が住みか。誰何するのはこちらであろう？」
　男は顔を上げた。茶色の髪とあご髭の中年の男だった。細身の顔は本来整って見えるのが当然の造作だった。
　だが造作が少しづつ、微妙に歪んでいた。その結果凶々しくも嗜虐的な表情が貼りついていた。
「招きもなく土足で踏み入り狼藉を働いたのだ。ただで帰すわけにはゆかぬな」
　にいっと歪められた口元から白い牙がむき出された。

「吸血鬼か！」誰もが戦慄した。全員が吸血鬼との遭遇は初めてだった。年長者たちからその恐ろしさをくり返し聞かされ、つい先頃には吸血鬼との戦いは可能な限り避けろとのふれが出されたばかりだった。
　だがローラムは命じた。
「敵は一人だ。取り囲んでいっせいに斬り倒せ」
　戦いの高揚が残る戦士たちはそれに応じた。
「闇の中で我に刃を向けるか」
　嘲笑った男が片手を上げると、闇がだしぬけに濃密さを増し、六人の戦士を丸ごと呑み込んだ！
「いかん！」グロスが明かりの呪文を唱えた。しかし敵の魔力が呪文を無効化した。
「ラルダ！　解呪の技は？」「私、まだ使えない！」
　二人の術者が焦る間に、剣の打ち合う音は唐突にやんだ。

　闇が薄れたとき、男を取り囲んでいた戦士たちは全員倒されていた。誰もがおのおの自分の剣を体に突き立てられていた。
「他愛のない。余興にもならぬ」男は鼻を鳴らし、喉を斬り裂かれて虫の息のローラムに牙を寄せた。
「ローラム！」
　思わず叫んだラルダの声を聞き付け、男が目を上げた。
「ほう、これは」
　男は唇を歪めた。例えようもなく邪悪な笑みだった。
「この若造がよほど気になるとみえる。ならばこやつのこの命、汝に托すとしよう」
　ラルダに歩み寄る男の目が妖しく光ると、ラルダは体がすくみ動けなくなった。
「た、助けを！」グロスは後じさり、その場から駆け去った。
「だめよ、吸血鬼に襲われた者の救助は禁じられたばかりじゃない！　グロスーっ！」ラルダの叫びが後を追った。
「ふん、そんな掟ができたか。つまらぬことだ」
　男はまた鼻を鳴らした。
「ならばこの知らせを聞いても人間どもが本当になにもせぬか、見せてもらうとしよう」

　男はラルダの前に立ち、顎に手をかけ上を向かせた。ラルダは男を睨みつけた。恐怖に挫けそうな心に鞭打って。
「美しい。意志も強い」
　舌舐めずりせんばかりの囁き声がいった。
「汝は殺さぬ。吸い殺してしまえば汝の魂は失われ、肉体のみが空白のまま蘇えるばかり。それではつまらぬ」
　喉に口を寄せた男が、ラルダの絶叫をよそにほくそ笑んだ。
「この香しい血を吸い残すのは惜しいが、それだけ楽しませてもらわねばな……」
　牙がずぶりと喉に突き立てられた瞬間、ラルダの意識もついに断たれた。





＜第３章：火口　その２＞

　甘美な香りにむせながら、ラルダは目覚めた。

　自分が狭い場所にいることがわかった。四方どちらを向いても岩肌が見えた。三方は一つながりだったが一方の岩壁の周囲に細い隙間が見えた。岩の窪みを大岩で塞いだようだった。
　閉じ込められている？　岩の中に？　では、なぜ見える？
　その瞬間、記憶がよみがえった。
　ラルダが思わず立ち上がると、膝から何かが滑り落ちた。

　ローラムだった。もはや息が絶えかけていた。叫びそうになり口元を押さえた手に何かが触れた。伸びかけの牙だった。
　ラルダは香りの正体を悟った。ローラムの裂かれた喉から今も流れる血の匂いなのだ。

「お目覚めかな」岩の向こうから男の声がした。
「若造の方は覚めるはずもないがな」
「私たちをどうするつもりっ」
　ラルダは岩の向こうの相手を呪殺するかのように睨んだ。
「いったはずだ。そやつの命、汝に托すと」
　含み笑いが聞こえた。
「放っておけばせいぜい一刻でそやつは死ぬ。だが、すでに汝の牙には転化の魔力が備わっている。ここまでいわねばわからぬのか？」

　自分の血の気の引く音が聞こえた。
「……彼の血を吸わせる気なの？　私に？」
「命じはせぬ。托したまでだ。何度もいわせるでない」
　男の声に嘲りが浮き出た。
「むろん汝が耐えられるというなら、それはそれでよいが」
「化物！　悪魔っ！」
　ラルダは叫んだ。大岩を叩く拳がたちまち破れた。
「開けて！　ここから出して！」
「汝の力では動かせぬわ。今は、な」男は声を上げて笑った。
「転化してしまえばわけなく開けられるがな」
　そして声はしなくなった。
　だがラルダには、自分がどうするかを男が見物していることが感じられた。伸びかけた牙をラルダはぎりぎりと噛み締めた。

　そんなふうにしているうち、時間の感覚が薄れてきた。足元に目を落とすと、もはやローラムの顔は土色になりかけていた。
　狭い岩穴いっぱいに血の香りが充満し、ラルダは麻痺するような感覚に襲われた。牙が疼き、凄まじい渇きが彼女を捉えた。
　放っておけばローラムは助からない。
　渇きに抗おうとするラルダの耳に、そんな声が囁いた。
「だめ！　できない、そんなこと……」
　ならば放っておけばいい。彼は死ねる。あとは自分一人が化物になるだけのこと。
「一人で……。一人だけで？」
　脅えたラルダに声がいった。
　彼の身代わりになりたかったのだろう？
「あんな男の餌食にしたくなかった。だから叫んでしまった」
　自分が化物になりたかったわけではないと？
「当たり前じゃないの！」
　だがもう人間として死ぬことはできない。

　言葉を失ったラルダの心に、なぜ私だけがとの思いが湧き出し渦を巻いた。それに乗ずるように、内からの声は続けた。
　彼は人間として死ねるなら救われる。一人で救われる。
「死なせたりしないわ！　こんなことで、こんなところで！」
　なにかが変だ。なにかが間違っている。
　ラルダの心のどこかで別の声がした。だが圧倒的な渇きがそれを押し潰した。
　ローラムの半身を掻き抱いた。鮮血を間近に感じて牙がさらに伸びた。心のどこかが悲鳴を上げた。
　だが次の瞬間、疼く牙はローラムの傷口深く潜り込んだ！



「どうしたの？　私……。何をしたの？」
　渇きの狂気が去ったあと、ラルダは呻いた。
　足元にはローラムの亡骸が転がっていた。
「なかなか耐えたほうではないか」
　泣き叫ぶラルダに、大岩の向こうから声がかけられた。
「おかげで若造の魂は失われたようだが」
　言葉にならぬ絶叫をあげ、ラルダは大岩に掴みかかった。その身もろとも大岩は倒れ、まっぷたつに割れた。
「ほうら、簡単に開いたろう？」
　邪悪な嘲笑を浮かべた男が立っていた。
「殺してやるわ……。許さない！」
　血の涙が流れる目に憎悪のありったけを込めて、ラルダは男を睨みつけた。
「無理なことよ」男は肩をすくめた。
「吸血鬼は吸血鬼を殺せぬ。そもそもめったなことでは死ねぬ。汝が我を殺せぬだけではない。我も汝を殺せはせぬ」
「だが、牙にかけた者を支配することはできるのだ」
　男の目が妖光を放ち、ラルダは金縛りにあった。

「魂が失われた者は全くの下僕だ。その若造もそのうち空っぽのまま蘇る。そこで人間の血を吸えたなら転化を終えられる。めでたく汝の下僕というわけだ」
「冒涜よ！」
「汝が牙にかけたのだぞ」男はあざ笑った。
「こやつは転化できぬよ。汝がここにいた間、若い男が乱入してきて洞窟をだいぶ焦がしたが、巨人に半殺しにされて連れ帰られたばかりだ。当分人間どもは洞窟へは来ぬ。だからこやつは血を得られず死ぬしかないというわけだ。いっておくが、汝の血など与えてもむだだぞ。汝はもう人間ではないのだからな」
「はじめからわかっていて……っ」
　歯噛みするラルダにかまわず、男は続けた。

「だが、生きたまま転化した者は魂を失わぬ。肉体が我の支配に逆らえずとも、魂だけは抗おうとする。だから面白い」
　男は笑った。牙を、嗜虐的な本性を剥き出して。
「少し前に我が牙を受けながら地上に連れ帰られた娘がいたが、我がもとへ戻る前に魂を擦り切れさせてしまった。アルマ、とか呼ばれていたか。あれでは話にならぬ」
　ラルダは蒼白になった。男の本当の目的がなんだったのか彼女はようやく悟った。これが始まりなのだ。

「汝のような者を手に入れることを長い間待ち望んでいたのだ。手離しはせぬぞ、永劫に……」





＜第３章：火口　その３＞

　ラルダの言葉がとぎれた。
　その顔が苦悶に歪んでいた。脳裏に去来するものに耐えるかのように固く目を閉じ、歯を食いしばっていた。伸びた牙が唇を食い破り、血がしたたり落ちた。
　あまりにも無残な話に、アラードは呆然としていた。
　ゴルツはどんな思いで聞いているのだろうと思った。だが自分を庇うように一歩前に立っているゴルツの表情をうかがうことはできなかった。

「そしてあいつは、私をありとあらゆる方法で責めなぶった」
　絞り出すような声だった。聞く者の耳朶を毒するような呪詛に満ちていた。
「いうことをきかぬ体に閉じ込められた魂が悶え苦しむのをあいつは何より悦んだわ。二十年もの間、私をなぶり苛み飽きることさえなかった。憎悪と絶望になすすべもなく私が毒されるのを、歪んでいくのを、堕ちてゆくのを、あいつは、あいつは……」
　ラルダが目をかっと見開いた。乱れた髪がざあっとざわめき、黒蛇のようにのたうった。
「あいつは私に自分で自分の首をもぎ取らせるのをことさら好んだ。それでも私は死ねなかった。ただただ苦しいだけで、意識が途切れることさえなかった。
　どうすれば私は死ねるのか、そればかり考えていたわ。化物として神が私を滅ぼしたもうことを狂気の淵すれすれのところで夢見ていた。私が彼を殺したのだから当然罰が下るはず。下らないはずがないと……。それでも、何度殺されても、私は蘇るばかりだった」
「お父様は私を見捨てた。それだけじゃないわ！　私があれほど滅びを望んでいたときにとうとう来なかったじゃない！　それが今になってなに？　遅いわ！　遅すぎる……っ」
　ラルダの呪詛の声にもゴルツは身じろぎもせず、ただアラードに背を向けて立っていた。

「とうとう私はこの火口に身を投げた。溶岩が体を焼き尽くし、骨まで溶けて形を成さなくなったわ。
　それでも、いつまでたっても私の意識は消えなかった。あまりの苦痛に耐えられなくなって、私の意識は岩壁を這い上がった。溶けた体が続いたわ、しだいに形を取り戻しながら。長い、長い時間かけて……。
　やっと上に辿りついたらあいつが縁に立っていた。笑っていたわ。余興だ、よい余興だと。そして私を蹴り落とそうとした」
　双眸が凄惨な光をおびた。
「私は夢中で足首を掴んだ。せめて道づれにと、ただそう思って岩壁を蹴った。二人とも落ちた。でも私は途中の岩棚に引っ掛かり、あいつだけが溶岩に落ちたわ」

　ラルダは狂ったように笑い出した。
「落ちたのよ、落ちたのよ。初めて私があいつを苦しめることができたのよ！　あいつの悲鳴を初めて聞けた、それがやっと半年前だったのよ」
「支配の魔力が薄れ、私はついに自由を取り戻したと思ったわ。でも……」

　笑い声がやんだ。
「あいつも這い上がってきた、私と同じように。半日ほど時間をかけて。だから岩をぶつけてまた叩き落としてやったわ」
　憎悪に満ちた声に、まぎれもない恐怖の色がにじんだ。

「私はここを長い間離れることはできない。半日であいつは這い上がってくる。そのたびに叩き落とさなければ私の体はまた支配されてしまう。私はこの世の終わりまでそれを続けて、それでも先に滅びるしかないのよ！」
「なぜ、なぜなんだ……」アラードは思わず呻いた。
「吸血鬼は存在し続けることで力を増してゆくからよ」
　ラルダが答えた。
「あいつは私より古き者。だから人間が滅んだ後も、私より長く生き延びる。私はついにあいつを超えられない、それが吸血鬼の理……」

「……なぜなの？」
　ラルダの声が変わった。底知れぬ怨嗟の呻きだった。
「なぜ、私なの？」
　体が震えていた。
「なぜ私がこんな目にあわなければならないの？　これでも神がいるというの？」
　ラルダは射ぬくようなまなざしで、ゴルツを真正面から睨みつけた。
「答えてよ！　答えられないの？　お父様！」
　アラードはゴルツの背中が震えているのに気づいた。

「お父様は私に期待していた。だから私も厳しい修行を積んできた。そうよ、神に仕える者として」
「その私をなぜ神は救わなかったの？
　なぜこんな身に堕ちなければならなかったの？　よりによって彼の血をむさぼって！」
「なぜ私はこんなに長く、あんな男にここまでなぶられなければならないの？
　どうしてあいつが滅びるのを見ることさえできないのよ！」
　アラードはゴルツの背が縮み、曲がったような気さえした。

「私でなければならなかった理由なんてないわ！　他の誰かでもよかったはずよ！　他の人間ならこんな運命を免れていいとでもいうの？　これも神のおぼしめしだというの？」
　ラルダの双眸が真っ赤に燃え上がった。
「許さないわ！　運命を免れる者も、それを許す神も！
　ならば私が神の定めた運命をねじ曲げてやるわ！」
　ゴルツの背中がぴくりと動いた。

「昨夜あいつを溶岩に落としておいて、私は二十年ぶりにアルデガンに戻った。渇きで気が狂いそうだった。あいつは私が狂ってしまえば面白くないといって自分の吸い残した人間を私に与えたりしたけれど、あいつが溶岩に落ちてからは渇きを癒すことさえできなかったから」
「それなのに、渇いていたのに、狂いそうだったのに……」
　ラルダは目を伏せた。
「二十年前、あの日まで暮らした部屋に足が向いたわ……」
　血の色の涙が一筋こぼれた。
「わかっていたのに、あの日になんか戻れはしないのに。
　それでも帰ってしまった。幻でも錯覚でもかまわなかった。
　なのにそこには！　その場所には……っ」
　燃える双眸が再び見開かれ、虚空を睨み上げた。
「私の部屋にはあの娘がいた。髪も目の色も違う、あの日の私よりずっと年下の、まだ生まれてもいなかったような小娘が！」
「なぜここにいる、ここは私の場所だったのに！　そう思ったら憎くてたまらなくなった。死んでからっぽになるなんてことでは許せなかった！　生やさしすぎたわっ」
　炎の照り返しを受けた牙がぎらりと光った。
「だから小娘を牙にかけた。気が狂いそうに渇いていたけれど、どうにか殺さずにすませたわ。かわりに見張りの戦士を一人吸い尽くさなければ収まらなかったけど」
「でも、どうしても許せなかった。私と違う運命を辿ることなどあってはならないと思ったわ。だからこの牙でねじ曲げてやったの、あの小娘の運命を！」

「それが、そなたの望みか？」
　ゴルツの声は、軋むようだった。
「これでも神がいるというなら、これこそ神の望みよ」
　ラルダが応じた。
「この身を愛する者の血さえむさぼらずにいられなくしたのも、この牙に運命をねじ曲げる力を与えたのも神なのだから。そうでしょう？　違うとでもいうの？
　ならば私は神の与えたこの力を心のまま振るうまで！」
　ラルダは両手を広げた。
「解呪できるものならするがいい！　あいつにあれほどなぶられながらも抗い続けた私よ。簡単には滅びないわ！」
　鋭い爪がめりめりっと伸びた。
「私が勝てば、お父様は私の下僕よ。そのばかな子の喉を裂いて岩穴にいっしょに閉じ込めてあげる。死ぬなんて許さないわ！　永遠にこの場所であいつの番をさせてやる。
　あいつの心配さえなければ私はアルデガンに戻れる。神の御心とやらがどんなものか、誰もが思い知るべきよ！」

「……是非もなし」
　ゴルツが呟くと、やおら顔を上げた。縮み曲がったようだった背筋が固く伸ばされるのをアラードは見た。
「わしは確かにそなたを見捨てた。アルデガンの長としてそなたの救出を禁じた。そのせいでそなたはこれほどの地獄に身を置き苦悶した。どれほど恨まれ責められても仕方がない。我が身一つのことならば地獄へ落とされてもかまわぬ」
　やつれた手が錫杖を掲げた。
「だが、それゆえアルデガンに、いや、全ての人間に仇をなすとなれば話は別じゃ。己が身を焼く地獄へ他の者をもろともに引き込むというならば、そなたは溶岩に落ちた化物以上におぞましい悪鬼に堕ちたのだぞ！」
　錫杖が目もくらむような白い光に燦然と輝いた。
「アルデガンの長として、神に仕える者として、わしはそなたを滅せねばならぬ！」
　ゴルツは解呪の印を結び、呪文を唱えた。
「神の意思とやらを試そうというのね。望むところよ！」
　鬼相を剥き出してラルダが叫んだ。全身から吹き出すどす黒い妖気にあおられてねじれた黒髪が逆立った。

　アラードの目の前で、途方もない力と力が真正面からぶつかりあった。その衝撃は目に見えるかとまがうほどだった。
　ゴルツもラルダも身動き一つしなかった。いや、できるはずがなかった。すべての力が精神の嵐となって、互いの存在を、魂をじかに削りあっているのがアラードにさえわかった。思わず彼は膝をつき、己の剣でからくも身を支えた。
　ゴルツが不利だとアラードは直感した。精神の力は全く互角、これはおのずと長期戦になる。ならばあとは戦いを支える肉体がどれだけの時間に耐えられるか。ゴルツはしょせん老境を迎えた人間、ラルダは不滅の肉体を持つ吸血鬼。
　勝てるはずがない！　アラードは焦った。焦ることしかできぬ身で。

　ゴルツは戦慄していた。いままで吸血鬼を解呪したことは何度かあったが、ラルダの力はまったく桁違いだった。これまでの相手は死んで転化した者ばかりだった。人間の魂のまま転化して、憎悪と怨念を支えに二十年も抵抗を続けてきた意思の力がかくも凄まじいものだったとは！
　長期戦になればとうてい勝てぬ。なにがなんでもここで滅ぼさねば！　焦りを無理やり押さえつけ、ゴルツはひたすら念をこらした。

　だが、ラルダもまた焦っていた。時間がない！　あいつが這い上がってきてしまう……。
　たかが人間、それも年寄りと侮ったのが間違いだった。アルデガン最高の術者である父の力はやはり破格のものだった。
　なんとかしなければ！　でも、どうすれば……。

　そのときラルダは思い出した。この洞窟には自分が牙にかけたあの小娘がいる！
　いっそう激しさを増す精神の嵐をしのぎつつ、ラルダは思念で呼ばわった。牙を受けた者に向け、我が支配に従えと！





＜第３章：火口　その４＞

　応えはなかった。ラルダは意識を伸ばしてリアの意識を探り補えた。リアはずっと洞窟の奥の通路にいた。彼女が泣いているとラルダは感じた。堕ちた我が身を嘆いているのだと思った。
「今すぐここへ！　あいつを溶岩に叩き落すのよ。ぐずぐずしないでっ」
「ラルダ。あなたは、なんて、痛ましい……」
　リアから切れ切れの思念が返ってきた。
「なに……？　なにをいっているの？　おまえは」

「あなたは心の底で自分を憎んでしまった。愛する人の血をむさぼって転化したことを許せず、あまりにひどい仕打ちに汚され歪められた自分を嫌悪して……。でもあなたは自分を滅ぼせない。だから他の人を全て憎むしかなくなったのよ」
　より明瞭な思念が返ってきた。
「あなたの思いはわかるわ。もし同じ目にあっていれば、きっと私も同じように歪んだと思う。私をこんな身に堕としたあなただけれど、とうてい憎む気になれない……」
「それはなに？　同情しているつもり？」ラルダは苛立った。
「ごたくはいいわ、従うのよ！」
「痛ましいラルダ……。でも、従うわけにはいかないわ」
「なんですって！」
「あなたはたしかに私の運命をねじ曲げた。でも牙が変えられるのは体だけ。私の心まで、魂まで思いどおりにできるなんて思わないで！」
　牙を介して結ばれた意識を通じ、空色の瞳がまっすぐラルダを見つめていた。

「あなただってそのおぞましい男と違うでしょう。心も運命も。当然よ！　それほど憎み呪う相手のまねなんかできるはずがないもの。
　そいつだって転化させた相手とは似ても似つかないと思うわ。その嗜虐と邪悪さ、死んでからっぽになった者ではないはずよ。ただ渇きのみに駆られて動く者なんかじゃないもの。人間のまま転化して歪んだのよ、あなたとは全然違う形で。牙にかかれば人の身ではなくなる。でも心を、魂を変えるのは牙の力なんかじゃない。だからそいつも、あなたも、私もみんな違うのよ。
　だったら同じ運命になんか、地獄になんか、誰ひとり落とせるはずがないじゃない！」
　ラルダはとっさに応えられなかった。

「あなたも本当はわかっているのよ。わかっているから呪わずにいられないんでしょう？　だれもあなたと運命をともにはできないって。ラルダ、痛ましいあなた……。
　だからこそ、あなたの無念は晴らせない。たとえ全ての人間を牙にかけてもなんにもならない。魂の渇きは癒せない。不毛さに永遠に苛まれるだけよ」
「牙持つ身でありながら何様のつもり？　おまえだって、おまえだっていずれ人間の血をむさぼるしかないくせにっ！」
「私はたしかにこんな身に堕ちた。でも、転化を遂げてしまってわかったわ。私の心は私のまま、いまも私のものだって」
　ラルダはその言葉を否定できなかった。いい返すことさえできなかった。

「私は自分が助かりたくてここへきたんじゃない。助かるはずがないと思っていたから。必ず死ぬと思っていたから。
　私の恐怖や絶望を他の誰にも味あわせたくない、ただその思い一つでここまできたのよ！　私が私である限りこの思いは変わらない。転化を遂げたいまも私の思いは潰えていない」
　ラルダは感じた。青い目に、空色の瞳に宿ったまぶしいまでに激しい光を。
「だから私は従わない！　みんなに仇なすつもりなら！　たとえあなたがどれだけ強くても、私が逆らって勝てる見込みなんかなくても！」
「小癪な！」怒りのあまりラルダの口から思わず声が出た。だがその怒気にも臆せず、リアは続けた。
「あなただってわかっているでしょう？　なにかが違っていれば少なくとも心は、魂はこうではなかったはずだって」

　なにかが変だった、なにかが間違っていた。
　ラルダの心のどこかで声がした。
　あのときなにかが違っていれば……。
「黙れえーーーーーーっ！！」
　ラルダは絶叫した。驚いて自分を見るゴルツやアラードたちのことなど全く眼中になかった。
「おまえに人の心を残したのが間違いだったというのね。ならばその心、いま握り潰してくれるっ！」
　ラルダは圧倒的な思念をリアに振り向けた！

　ラルダの気がそれたのをゴルツは見逃さなかった。尽きる寸前の気力を振り絞り、ぎりぎりの一撃を放った。
　ラルダが気づいたときはもう遅かった。見えざる刃が魂の中枢を直撃した。肉体を不滅たらしめていた力が砕かれ、彼女の姿は霧のように霞み始めた。
「おのれ、おのれえぇ……」
　身もだえしながらラルダは呻いた。
「なに一つ思いを遂げていない、無念を晴らせて、いないのに。こんな、ことで、こんな、ところ、で……」
「もはや、滅びの刻。還れ、神の御許へ……」
　膝をつき肩で息をしながら、ゴルツが必死に呼びかけた。
「恨みを、残すな……。妄執から、解かれよラルダ……っ」
「私に、神などと、いう、言葉を、吐、くな……」
　ラルダがいった。散りゆく声をかき集めるように。
「私は、望む。アルデガン、が、燃え、上がる、のを。呪、う、全、て、の、……者、を……」
　その声がついに絶え果てたとき、ラルダの姿は霧散していた。だがアラードには、その無念と呪詛がいつまでも洞窟にこだまを引いているように感じられた。

　こだまを追うように見上げたアラードの視線が、そのとき動くものをとらえた。
「閣下！　あれは……」
　息を切らし膝を屈していたゴルツも顔を上げた。
　火口の上に人影が立っていた。焼けただれ顔も定かでなかったが、それでも急速に回復しつつあった。ラルダに仇なし苦しめた吸血鬼がついに這い上がってきたのだ！
　あいつをなんとかしなければ。アラードは焦った。だがラルダとの壮絶な戦いで消耗したゴルツは、まだ立つことさえできずにいた。
　やがて溶け崩れた顔に二つの目が開き、彼らを睨みつけた。
「我が牙の人形を、かくも得がたき慰みものを滅せしは汝らか。この小癪な所行への罰を存分に与えんとせしものを。
　ならばせめて汝らに仕置きを与えてくれるわ」
　それを聞いたアラードは怒りにかられて前にでようとしたが、異様な声に思わず足が止まった。
「き……さ……ま……ぁ」

　アラードにはそれが目の前のゴルツの発した声だとは信じられなかった。なにかが彼の知るはずの声とかけ離れていた。人間のものだということすら受け入れ難い声だった。
　ゴルツは息を切らしたまま、錫杖を杖代りに片膝をつき、火口の上の吸血鬼を見上げていた。アラードには崩れた顔の吸血鬼がたじろいだように見えた。
「……きさまに、かける慈悲など、ない。肉体も魂も、もはや、還る場所など、ないと知れぇえっ！」
　その言葉とともに錫杖が輝き始めた、だが火口から吹き上がる焔に映えたせいか、アラードには先ほどの白い光とは異なり昏い赤みをおびているように感じられた。
　次の瞬間、地に突き立てられた錫杖から稲妻のような激しい閃光が迸った。それは地を走り火口を駆け上がるとまだ本来の姿を取り戻していない吸血鬼を直撃した。
　焼け爛れた吸血鬼は消し飛んだ。
　ゴルツもその場にくずおれた。
「閣下！」アラードは駆け寄り、助け起こそうとゴルツの正面に回りこんだ。だが、差し伸べようとした手が凍りついた。

　鬼の顔だった。緑の双眸は憤怒に炯炯と燃え、髪も髭もおどろに振り乱されていた。
　ゴルツとの戦いに臨んだラルダの鬼相そのものだった。まるで娘の怨念が解呪した父に取り憑いたかのようだった。
「……無念じゃ、もはや限界。リアを追うことはできぬ……」
　ゴルツは呻いた。
「まだあれの犠牲者はおらぬ。居場所を探るすべもない。もはやこれまで……」
「アラード、わしの手を取れ。アルデガンへ転移する……」
　ゴルツが呪文を唱えると、二人の姿は洞窟からかき消えた。
　火口からまた紅蓮の炎が吹き上がり、誰もいなくなった巨大な空洞を乱舞した。


－－－－－－－－－－


　リアが意識を取り戻したのは、全てが終わったあとだった。

あの瞬間、リアは支えの腕輪を握り絞めラルダの凄まじい思念に抗がおうとした。
　しかし吸血鬼の理に逆らい自分を転化させた相手に抗がうのがそもそも無理な上に、ラルダの桁違いの意志力が相手では勝負にならなかった。最初の一撃でリアは昏倒したのだった。
　リアは支えの腕輪に目を落とした。いまだ輝きを失わない腕輪に、しかし亀裂が入っていた。これがなければ一撃で自分は魂を砕かれ、空ろな生ける屍としてさまよい歩いていたはずだった。いや、もう少し攻撃が続いていれば腕輪も砕け散り、同じ結果になっていたに違いない。
　だが、そのラルダの存在がぽっかりと消失していた。
　リアが意識をどこまで伸ばしても、洞窟の中にはラルダも、溶岩に焼かれたおぞましい男も、その他の吸血鬼もまったく存在が感じ取れなかった。
　彼女は悟った。洞窟に残った吸血鬼は自分だけなのだと。

　自分がどうすればいいのかリアは途方にくれた。洞窟の探索はなし遂げられ、アルデガンを襲った吸血鬼は滅んだ。だが自分がこんな形で取り残されることなど想像もしていなかった。探索の途中で自分は命を落とすものと思い詰めていたのだったから。
　まさか人間の心のまま転化してしまうなんて……。
　もうアルデガンに戻るわけにはいかない。

　もしアルデガンに戻ろうとするとしたら、それは……。

　彼女は脅えた。自分の想像のおぞましさに。
「おまえだっていずれ人間の血をむさぼるしかないくせに！」
　いなくなったラルダの残した呪詛が、それゆえそれ自体の意味を突きつけてきた。思わず呻き、耳を押さえた。

　やがてリアは立ち上がり、アルデガンから少しでも離れるべくよろめきつつも坂を下り始めた。洞窟の奥へ、地の底へと。この世の外へ通じる道がどこかにあるのを、溶岩でさえ焼き滅ぼせぬ呪われたこの身を無に帰せる場を、ただ一心に願いつつ。





＜第４章：執務室＞

　アルデガンに戻ったゴルツは指導者たちを招集し、アルデガンを襲った吸血鬼が滅んだこと、だが転化を遂げてしまったリアが洞窟の奥へと姿を消したことを報告した。アラードも集会に同席していたが、特に発言を求められることはなかった。
「まだあれの犠牲者はおらぬ。こちらから居場所を探知することもできぬ。いまは捨て置くよりすべはない。
　だが、いずれ渇きにかられ戻ってくるはず。そのときはなんとしても水際で滅ぼさねばならぬ。侵入を許せばアルデガンは破滅じゃ」
　ゴルツは吸血鬼の脅威が消えていないことに重点を置いて報告し、アルデガンに侵入した吸血鬼の正体やリアの転化のいきさつについては巧みに説明を避けていた。そのため指導者たちからもそれらに対する質問は出なかった。
　アラードは内心ほっとして指導者たちの顔を見渡した。すると一つの視線が自分に向けられているのに気づいた。

　ゴルツを補佐する司教グロスだった。彼は話を続けるゴルツにときおり目を向けながらも、アラードに探るような視線を投げかけていた。
　グロス！　突然アラードは気づいた。二十年前ラルダが襲われたときに一人逃げかえった魔術士は彼だったのでは？
　集会が散会するとアラードの予想どおり、グロスは彼に自分の執務室へくるよう小声で命じた。


－－－－－－－－－－


　グロスの執務室はゴルツの部屋と同じ階にある、飾りけのないきちんと整頓された部屋だった。頑丈な扉を閉めると部屋の中は仕事に集中するのにふさわしい静寂に包まれた。
　グロスは自分の椅子に腰をかけるとアラードにも向いの椅子に座るようにいった。
　アラードはグロスと間近に向き合うのは初めてだった。短躯で小太りのグロスはそろそろ髪に白いものが混じり始めていた。実直な実務家肌の人物との評判で、呪文はかなり身につけているといわれていたが、ゴルツが持つような高位の術者に特有の威圧をアラードはなぜかグロスに感じなかった。

「アラード、洞窟での出来事を閣下は伏せておられるであろう。そなた、口止めされておるのか？」
「口止めされているわけではありませんが……。でも、なぜ私に尋ねるのです？　あなたなら閣下に直接尋ねることもできるはずでは？」
　グロスは答えなかった。だが、その表情に走った微かな動揺をアラードは見逃さなかった。
「閣下に遠慮なさっているのですか？　心当たりがおありなのでは？」
「尋ねているのは私だ。そなたは答えてくれればよい！」
　グロスが声を荒げた。
「アルデガンを襲った吸血鬼は何者だったのだ？」

　アラードはグロスの目をまっすぐ見つめた。
「お聞きになる覚悟はおありですか？」
「長身の……髭のある、恐ろしい男か？」
　グロスの声がかすれた。
「たしかにそいつも洞窟にいました。顔は焼けただれていて定かではありませんでしたが」
　アラードは答えながら、相手の恐れている答えがそれではないことに気づいていた。
「でも、アルデガンに侵入したのはそいつではありません」
「では、まさか……」
　あえぐグロスに、アラードは告げた。
「ラルダと名乗る女でした。閣下の娘だといっていました」
「ああ、ラルダ……。では、やはり閣下は愛娘を手にかけられたのか！」
　グロスは呻いた。
「だがなぜだ。あれから二十年もたつのに……」
　アラードは火口でのできごとをグロスに語り始めた。


「私が……、私が逃げ出したばかりに、あのラルダが……」
　話が終わると、グロスは両手で顔を覆った。
「私がラルダを、閣下をも、それほどまでに苦しめてしまったというのか……っ」
「あなたが逃げなかったとしても、あんな吸血鬼が相手では同じだったのではないですか？」
　あまりのグロスの悲嘆ぶりに、アラードはそう声をかけた。
「閣下もそうおっしゃった。行く手をふさがれてしまったのでは同じだったろうと。ローラムたちが突破して逃げのびようとしたところで、結果はなに一つ変わらなかっただろうと。
　無様に逃げ帰った私に、閣下はそなただけでも戻れてよかったとまでおっしゃってくださった！　内心どれほど無念であられたろうに……」
　グロスは涙を流していた。
「あのとき私は、これからただ閣下のために尽くそうと思った。身も心も捧げようと……。だからこそ司教としての長い修行も始めたのだ。
　だが間に合わなかった。私が解呪の技さえ身につけておれば、閣下が自らラルダを滅するなどということには……」
「なぜ私はかくも無力なのだ！」
　アラードはグロスになんといえばいいのかわからなかった。

「洞窟から戻られた閣下のご様子は変だった。閣下がただ吸血鬼を滅ぼされただけなら御心がゆらぐようなことはないはず。だが長くお側に仕えた私には、どこかが違って感じられた。まさか、と思った。だが閣下にお訊きすることなどできぬ。だからそなたに尋ねたのだ。だが、ここまで無残なことであったとは……」
　グロスは顔を上げてアラードを見た。
「閣下の御心は危うい。おそらく禁呪の呪いも影を落としているはず」
「禁呪の呪い……？　どういうことですか？」
「そうか、そなたは戦士だったな。知らぬのも無理はない」
　自分をなんとか落ち着かせようとしながらグロスが応えた。
「解呪の技はもともと異教徒の呪殺の邪法をもとに作られたものなのだ」
「異教徒の、呪殺の邪法……」
　なんとも禍々しい言い方に、思わずアラードは繰り返した。
　そんなアラードに、グロスは解呪の技の由来について語り始めた。


　はるかな昔から、破邪の神格ラーダに仕える僧侶たちは魔物を討つ方法を探求してきた。とりわけ吸血鬼を滅する方法の探求は困難を極めた。そしてある時、ついに一つの方法が遠い異郷から持ち帰られた。
　だがそれは恐ろしい方法だった。そもそも吸血鬼を滅ぼすため編み出されたものでさえなかった。
　相手の存在を否定する意思の力で肉体はおろか魂の水準においてさえ相手がこの世に存在することを禁じるという、あまりにも邪悪な呪殺の技だったのだ。一族を皆殺しにされ自らも目をくりぬかれた一人の男が、仇敵を憎むあまりその後の生涯を費やして魔道を追及した果てに編み出したのが由来だったという。

　そもそも自らの教義とまったく相容れぬ邪悪な呪殺の技。しかしそれが肉体よりむしろ魂の水準において相手の存在を禁じるという原理をもつゆえに、いわば不滅の魂に肉体が呪縛された存在たる吸血鬼にこれほど有効な方法は他に見つからなかった。
　そこでラーダ教団は、長い年月をかけてこの邪法を自らの教義と目的に即したものに作り変えた。対象を吸血鬼に限定し、教義に反する術式の中には宗教的な禁忌を組み込んで歯止めをかけて禁忌を侵さない場合しか術が先に進めぬようにした上で、浄化と鎮魂の祈りを織り込んだのだ。
　こうして完成された解呪の技は、ラーダの教えを修めた高僧にしか扱えず、術を唱える者の心を試しながら先に進む極めて困難な術式となった……。


「思えば元々は相手を痕跡も残さず滅殺する邪法に浄化と鎮魂の祈りを織り込んだのは矛盾というほかない行為だった。そのためこの技は術者に極端に正しい心と意志力を求めるものになったのだ。それゆえ解呪の技は、単に術式を身につけたからといって扱えるとは限らぬものになった。私も術式を修得できてはいても、いまだに発動させることができずにいるのだ」
　グロスの口調に苦いものが混じった。
「相手の存在を魂にいたるまで抹消しようというのに浄化と鎮魂を捧げる。これは吸血鬼としてのあり方は禁じるがもともと人間として生まれた魂は救済したいということにほかならぬ。だが、おおもとの術式はその魂を破壊しようというものであり、それが吸血鬼の不滅の肉体の呪縛を破る原理であるのだから無理があるとしかいえぬ。髪一筋でも心が逸れれば発動できず、おおもとの邪法に比べれば大きくその威力を削がれた術式。これが解呪の技の実態なのだ」

　アラードの脳裏に、ゴルツが焼け爛れた吸血鬼を滅殺したあの凄まじい光景がよみがえった。
「では、閣下がラルダの仇を滅ぼした、あの技はまさか！」
「そなたの話を聞く限り、正しい解呪の技の発動ではない」
　沈痛な面持ちでグロスが応じた。
「閣下はとうていきゃつの魂の救済などというお気持ちにはなれなかったはず。それでは普通なら解呪の技は発動せぬ。だが閣下の憤怒の念があまりにも強かったばかりに、本来の邪法としての形で発動してしまったものと私は見る。さもなくばそなたのいうような状況下で、そのような威力で吸血鬼を滅ぼしうることなどありえぬ！」
「では、さきほどおっしゃった禁呪の呪いというのは……」
　アラードの言葉にグロスは首肯した。
「幾重にも術式の中に織り込まれた宗教的な禁忌を、神に仕える身で侵したのだ。術者の心はただではすまぬ。愛娘を我が手で滅ぼした上にそのような痛打を心に受けて、見かけだけでも平静を保っておられること自体が奇跡のようなものだ。このうえ閣下が解呪の技を使われれば、もはや何が起こるかわからぬ！」
「だがいずれリアは戻ってくる。転化した身でいつまでも渇きにかられずにいるはずが……」
　いいかけたグロスの言葉がとぎれた。

「……まて。犠牲者がまだいないというなら、リアはなぜ転化を遂げた？　アラード！」
　グロスは目を見開き、アラードに詰め寄った。
「そなた何か隠しておろう！」
　今度はアラードが動揺する番だった。

「……リアは、私を庇って瀕死の傷を負いました」
　アラードは言葉を詰まらせながらいった。
「耐えられませんでした、リアが失われるなんて。私のせいなのに……。
　それで、私の傷からしたたる血を……」
「そなた、なんという！」
　いいつのろうとしたグロスの言葉は、再びとぎれた。

「……今ここでそなたを責めてなんになる。いや、そもそも私に責める資格があろうか。ラルダを見捨てて逃げ、閣下をここまで苦しめた私に……」
　グロスは暗澹たる面持ちでつぶやいた。
「閣下にとって、リアはラルダやきゃつのような縁の深き者ではない。ラルダのような凄まじい力も持ってはおるまい。解呪するには組し易い相手のはず。それだけがせめてもの救いか……」

　深まる宵闇がしだいに閉ざしていった。もはや言葉もなく向き合う二人の姿を。
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		<title>『封魔の城塞アルデガン』第２部：洞窟の戦い　前半</title>

		<description>＜第１章：洞窟上層　その１＞

　真昼…</description>
		<content:encoded>
			<![CDATA[ ＜第１章：洞窟上層　その１＞

　真昼の光を浴び赤毛を風になびかせながら、アラードはリアとゴルツとともに洞門の前の砂地に立っていた。アラードは体格に合わせた軽い鎧、リアは皮で補強された胴着、ゴルツはラーダの紋章が入った長衣に軽い皮の胸当てという着慣れたいでたちだったが、三人ともその上から灰色のマントをはおっていた。それは魔物に見つかりにくくなる隠形の呪文がかけられたものだった。彼らはこれから困難な、ほとんど絶望的な探索に赴こうとしていた。
　だが、アラードはいまだに気持ちの整理をつけられずにいた。これまでのなりゆきが何度も心の中をめぐるばかりだった。


　あのとき集会所で、祭壇に眠るリアの意識を探ったゴルツは、アルデガンに侵入した吸血鬼が洞窟に戻っていると告げた。
　そして驚くべきことに、ゴルツ自身がこれを滅ぼすため洞窟へ赴くといったのだ。
　あまりに危険なこの案に多くの者が反対した。とりわけグロスはこれをなんとか翻意させようとした。もしゴルツが斃れることになればアルデガンはどうなるのかと。そのような危険を冒さずとも敵がまたアルデガンへ侵入しようとしたときに水際で倒せばよいではないかと。
「ならぬ！　それではアルデガンに住む者すべてを危険にさらすことになる」
　ゴルツは譲らなかった。
「洞窟で戦うならわしが斃れたところで犠牲は一人。だが水際で食いとめられずに侵入を許し、出会う者を片端から牙にかけられたらなんとする！　たちまちアルデガンそのものが瓦解するではないか」
　これには誰も反論できなかった。

「吸血鬼を滅ぼすには解呪の技を使うしかない。しかも居場所を探るには探知の秘術も欠かせぬ。この両方を使うことができる者はわししかおらぬ」
「では、せめて護衛を！」
「護衛が勤まるような者はもはやいくらもおらぬ。誰一人欠かすことのできぬ者ばかりじゃ。それに騒ぎになれば敵に感づかれてしまう。他の魔物とはいっさい戦わずに吸血鬼のもとへ赴くしかない。わしがリアを伴い二人でゆく」
「私もいきます！」
　アラードは立ち上がった。
「ならぬ。足手まといじゃ」
　いい放つゴルツをアラードは睨みつけた。
「閣下はリアに死ねと宣告したではありませんか。くるなといわれても追いかけていきます！」
「いいかげんにしろ！」
　ボルドフが怒鳴った。だがアラードは引かなかった。
「閣下もみなさんもリアのことなど考えていません。だから私は絶対についていきます。誰がなんといおうと！」

　ゴルツはアラードを真正面から見すえた。
「リアはすでに覚悟をしておるぞ。そなたも聞いたであろう？　もはや我が身のためではないと、他の者が餌食になるのが耐えられないと申していたのを」
　そして、祭壇で眠り続けるリアの側へ歩み寄った。
「……まことに不憫ではある。だが吸血鬼の牙を受けた者の命運は尽きたも同然。そのことは本人が誰よりもわかっておる。
　その上で、リアは我が身の恐怖と絶望が他の者へ振りかからないように最後まで戦おうといっておるのじゃ。どれほどの覚悟が必要か、そなた想像がつくか？
　そなたの出る幕ではない！　覚悟がゆらぐばかりじゃ」

「お待ちください」
　アザリアが静かにいった。
「確かにリアは覚悟をしています。でも、親しい者の存在がその支えになることもあるはずです」
　アザリアもまた祭壇に歩み寄り、ゴルツに相対した。
「いくら覚悟をしているとはいえまだ十五の娘の身。しかもその身はじわじわと人間でないものに変じ、敵の影響力も増してゆくばかり……。本人にとってどれほど恐ろしいことか、かつて私は思い知らされました。とうとう救うことができなかったアルマの姿に……」
　アザリアはリアの顔に痛ましそうな視線を向けたが、ふたたびゴルツに目を向けた。
「アラードは洞窟の中では足手まといにすぎないでしょう。でも彼の存在がリアの魂のぎりぎりの危機を左右するかもしれないという気がします。連れていっていただけませんでしょうか」

　ゴルツは長い間アザリアの目を見つめたが、ついに重々しく首肯した。
「……そなたがそれほどいうのなら」
「アザリア様！　ありがとうございます……」
　アラードは声を弾ませたが、振り向いたアザリアの表情の厳しさに思わず息をのんだ。
「リアを支えるということは、あなたがなにか１つ間違えば逆に苦しめかねないということよ。生やさしいことではないわ」
　アザリアは祭壇から離れ、アラードの正面に立った。
「私はとうとうアルマを救えなかった。敵に意識をのっとられて襲いかかる彼女をついにこの手で焼き殺すしかなかった。
　あなたも自分の手でリアを殺さなければならなくなるかもしれないのよ。その覚悟はある？」

　リアの師であり名付け親でもあるアザリアの言葉にアラードはすぐに答えることができなかった。そんな彼をアザリアはしばし見すえていたが、目を細めるとこういった。
「大司教閣下の命令には従いなさい。絶対よ。いいわね！」


　アザリアの言葉は厳しかったが、それでもリアを想う気持ちは痛いほど伝わってきた。だからアラードも納得できた。
　だがアザリアが従えというゴルツのことは、どうしても信頼する気になれなかった。リアが目覚めてからゴルツの部屋に二人で呼ばれたときのことを彼はまた思い返した。





＜第１章：洞窟上層　その２＞

「洞窟に入ればそなたにも敵の気配が感じ取れるようになろう、それもしだいに強く。その意味はわかるな？」ゴルツのその言葉は、アラードにはなんの容赦もないとしか思えなかった。
　リアはうなづいた。だがアラードが思ったとおり、その顔から血の気が引いていた。
「敵にとってもそなたの気配が感じやすくなる。単に場所が近くなるだけではなく、そなたの転化が進むからでもある。そなたはやがて敵の所在をおぼろげに感じ取れるようになる。転化が進めば進むほど敵の所在や様子ははっきりとわかるようになろう」
　ゴルツの緑色の双眸が鋭い光を帯びた。
「はっきり申しておく。わしの目的はアルデガンを襲った吸血鬼を滅することじゃ。アルデガンを預かるわしが洞窟に赴く以上、それが最優先となる。そなたがどうなるかはあくまで結果じゃ。わかるな？」
「……わかっています」
　リアは応えた。色を無くした唇を固く結び、ゴルツの目を正面から見つめて。

　だが、アラードは黙っていられなかった。
「あまりにひどいお言葉ではありませんか、閣下！　リアのことは二の次だとおっしゃるんですか！」
　いいつのるアラードを、ゴルツはじろりと見た。
「いかにも」
　ゴルツが立ち上がった。二人は見下ろされる形になった。
「そなたの思いは当然のことではある。だが吸血鬼が相手では、その思いこそが命取りとなりかねぬ。
　二人ともアザリアの話を聞いたであろう？　自ら親友であった者を殺めるしかなかったというのを」
　二人はうなづいた。
「そもそも吸血鬼は他の魔物とは大きく異なる。他の魔物はつまるところ生き物じゃ。亜人にせよ魔獣にせよ生き物としての理の中にある。結局は生きるために我ら人間を食おうとする」
　リアがうなづいていた。魔獣の魂を感じたという身には思い当たる話なのかとアラードは思った。
「だが吸血鬼は生き物の理には収まらぬ存在じゃ。むしろ魂への呪縛が肉体を不死たらしめていると捉えるべきであろう。いくら斬り刻んでも死なず、たとえ炎で焼き尽くしても復活してしまう度を超した不死の力は生命ではなく呪いの範疇にあるもの。ゆえに魂を呪縛する不死の力を砕く解呪の技でしか倒せぬのじゃ」
　ゴルツの口調も、そんなリアに言い聞かせるようだった。
「そしてかの恐るべき血への渇望。死ぬことができぬ存在である以上、他の魔物が人の血肉を食らうのとは意味あいが違う。
　犠牲者を転化させる力を発揮させるためにこそ与えられた渇きであろう。自らが生き延びるためでなく他の者を自らと同じ身に化生させるために。これまた呪いの範疇にあるとしかいえぬ」

　ゴルツの視線がリアからアラードに移された。
「まことに恐るべき呪いじゃ。そしてアルデガンにいる者、特にそなたのような者はとりわけこの呪いの連鎖に陥りやすい」
「どうしてです？　なぜ私がそんな呪いに陥りやすいと！」
　アラードはゴルツのまなざしが自分に向けられたことに怒りを覚え声を荒げた。だがゴルツは重々しく続けた。
「人を守るため命がけで魔物と戦う。そなたたちはこの地に生まれ、その使命を叩き込まれて育ったはずじゃ。アルデガンの外で人間と戦ったことのある者はいまやほとんどおらぬ。それゆえあからさまに魔物の姿をした相手であれば勇敢に戦える反面、人の姿をした者であれば刃を向けることさえ意識するしないにかかわらず抵抗がある。かなりの手練れでも技が鈍る。
　当然じゃ。人と戦うことが使命ではないのだから。守ることを使命とする身であれば、殺す訓練などしてもおらぬのだから。
　ましてそれが身近な者の姿をしていれば、昨日まで共に戦った仲間であれば、よほどの覚悟がなければまともに戦えぬ。その力もさりながら吸血鬼はアルデガンの者にとってまことに恐るべき難敵！」

　ゴルツはアラードの目を正面から見つめた。
「アザリアほどの者であればこそ友を送ることができたのじゃ。病に伏した己の身代りにさせたという思いに苛まれ、友の恐怖と絶望に寄り添い我がものとして死力を尽くし救おうとしたにもかかわらず力及ばず、全ての希望が潰えた絶望に泣き叫びながらもな……。さもなくば一瞬の迷いを突かれ牙にかかったはず。
　アザリアが申したであろう。そなたにリアを殺す覚悟があるかと。アザリアの申すのはそれほどの意味じゃ。そなたにできることではあるまい？」
　ゴルツの言葉に、アラードはなにもいえなかった。

　だがゴルツの視線が、ふとアラードから離れた。
「いや、それではあまりにそなたに酷か。二十年前でさえそんな者はいくらもおらなんだのだから……」
「だからこそわしは吸血鬼と戦うことも、アルマの事件からはさらわれた者を救いにいくことも禁じた。だが、その直後にまたも吸血鬼にさらわれた者が出た。そして禁じられたにもかかわらずさらわれた者を救おうとして洞窟に単身乗り込んだ者もいた」
「ガラリアン……」
　リアのつぶやきにゴルツはうなづいた。
「アザリアから聞いたか。では結果も知っていよう。ガラリアンは凄まじい力で出会う魔物を片端から焼き殺しながら洞窟半ばまで進んだが、結局さらわれた者も吸血鬼も見つけることさえできなかった。あれだけの力をもってしても。
　しかも彼を連れ戻すために後を追ったアザリア共々傷を追い、自身はアルデガンを出奔し、アザリアは呪文を唱えれば死ぬ身となった。一人の愚行が二人もの手練れを失わしめた」
「閣下が禁じなければ、協力して助けにいけばなんとかなったかもしれないじゃないですか。閣下は助けにいく者の気持ちなんかどうでもいいんですか？　しょせん他人事なんですか？」
　一瞬、ゴルツの激しい眼光がアラードを射すくめた。
「他人事と申すか！　さらわれたのは我が娘じゃ！」
　言葉を失ったアラードを見下ろすゴルツの顔は、とてつもなく厳しかった。
「わしは我が娘の救助を禁じた。被害が増えるのがわかりきっている以上それしかなかった。
　アルデガンの長ならば当然のこと。娘であろうと二の次じゃ。今度とて同じこと。
　いよいよとなればそなたにはまかせぬ。わしにゆだねよ！」


　血も涙もないのか！　それにアルデガンのためとかいいながら復讐が目的じゃないか。リアを個人的な目的を果たす道具にしているだけじゃないか。それでリアのことは二の次だなんて！
　思い出しただけで反感がつのったそのとき、リアの哀しげな、不安げな声が聞こえた。
「アザリア様はどこ？　まぶしくて見えないわ……」
「あそこにおられるじゃないか。あの城壁の上に」
　アラードは陽光の中ひときわ目立つ白い人影を指差した。
「見えないなんて……」おかしいといいかけて息をのんだ。転化の兆候がすでに顕れている！
　アラードは思わず振り返った。ゴルツが厳しい表情でリアを見つめていた。いざとなればゴルツは言葉のとおりいつでも彼女を殺すに違いない。なんのためらいもなく！
　瞬間、アラードの心が定まった。
　なにがなんでもリアを守らなければ。死なせてなるもんか！
　そのとき、ついに鐘楼の鐘が鳴った。
「刻限じゃ」ゴルツがいった。
「アラード、そなたは先頭に立て。わしはしんがりじゃ。リアを真ん中にはさんで進む」
　城壁の上の人々に見送られつつ、彼らは洞門をくぐった。





＜第１章：洞窟上層　その３＞

　入り口から差し込む陽光に浮かび上がった洞窟は天然の状態ではなかった。床や壁のそこかしこに人の手が加えられ、特に床は平らに整えられていて足を取られるような障害物は極力排除されていた。ここが二百年前に魔物たちを追い込み滅する決戦の場として造られたことはアルデガンに住む誰もが知っていた。
　尊師アールダは比較を絶する破邪の力を持つ僧侶だった。彼がほとんど独力で大陸各地の魔物の生き残りをこの極北の地に追い込んだときに、当時のノールド王がこの洞窟を整備したと伝えられていた。アールダのそれまでの戦いぶりから、必ずこの洞窟で魔物たちが滅ぶと信じた者は多かったという。
　しかし、アールダは幾度かの戦いのあと人々に告げた。洞窟という場所に魔物を追い込んだのは誤りであった。この場所では自分の力を以ってしても魔物たちを滅ぼすことはできない。しかも自分は定命の身にすぎずやがては死ぬ。このままでは自分が死んだとたんに魔物たちが外へあふれ出す。自分の命がある間にこの地に城塞都市を築き、自分の力に匹敵する力で魔物たちと対峙できるよう人々を組織しなければならないと。これがアルデガンの起こりだった。
　最初は大陸全土の国々が協力してアルデガンを支えた。しかしアールダがこの世を去って長い年月がたつにつれ、遠方の国々の援助はとだえがちになり、二百年が過ぎた今ではノールドとその勢力下にある北部地域だけが封魔の城塞を支援していたのだ。

　奥へ少し進むと、外の光はもう届かなくなった。ゴルツが低く呪文を唱えると、淡くかそけき明かりが行く手を照らした。
　アラードとリアは洞窟の中に入るのは初めてだった。いまでも洞窟の中で戦う場合がなくなったわけではないが、敵地での不利な戦いにはそれだけの技量が求められた。それでも戦うたびに犠牲者や行方不明者が出た。行方不明者は吸血鬼にさらわれたのだとの憶測も根強かった。
　神に仕える身であったアールダは吸血鬼の存在を決して許さず見つけるそばから滅ぼしたので、この地に追い込まれた魔物の中には吸血鬼はいなかったと伝えられていた。後の時代に闇を求めて外部から侵入したと考えられていた。魔物が徘徊する洞窟の中では犠牲者の骸はほとんどがよみがえるのを待たずに魔物の餌食となったため、吸血鬼が棲みついたことに人間たちはかなりの間気づかなかったのだ。
　いまや尊師アールダの時代よりはるかに恐ろしい場所と化した洞窟の闇に、思わずアラードは身を震わせた。

　そのとき、背後のリアが押し殺された声で告げた。
「なにかいるわ、そこの岩のかげに！」
　アラードは振り向いた。闇を見つめるリアの目がかすかに赤く光ったような気がした。彼はぞっとして向き直り、闇の奥に目をこらした。
　だがなにも見えなかった。数歩前に出たことで、岩のかげから突き出た足がようやく見て取れた。人が倒れている！　反射的に駆け出した瞬間ゴルツが一喝した。
「ばかもの！　近づくなっ！」
　だがその声が届いたときは、アラードはうつ伏せに倒れたその者の脇に立っていた。鎧の形とずんぐりした体型でそれが誰かはすぐわかった。
「ガモフ！」「下がれアラード！　下がらぬかっ！」
　とたんに足首が鉄のような力で掴まれた。

　身動きできなくなったアラードの目の前で、ガモフがゆっくり身を起こした。半身が起こされたのに続き、顔が振り仰いだ。
　アラードは絶叫した。
　それはガモフであってガモフでなかった。顔かたちが彼だっただけでそれ以外のものは人格も感情も丸ごと抜け落ちていた。
　見開かれた目はアラードに向いていたが何も見ていなかった。魂がからっぽになった空洞だけが目の奥に広がっていた。
　あえぐように開いた口は言葉ひとつ紡がず、人のものではありえない鋭い牙がアラードに向けられた。牙に引きずられるようにうつろな顔がせり上がってきた。顎が人間の限界を超えて大きく開いた。
　その口にゴルツの手が白木の杭を打ち込んだ！
　ガモフだったものの体が膝をついたままのけぞり、アラードを掴んでいた手が離れた。ゴルツはアラードを背後に突き飛ばし、自らもすばやく下がりながら唱えていた呪文を完成させた。
　白木の杭が爆発するように燃え上がり、動く死体を丸ごと呑み込んだ。炎の中で暴れる人影がみるみる嘗め尽くされた。
「他の魔物に感づかれたはずじゃ、この場を離れるぞ！」
　ゴルツの言葉が終わりきらぬうちに、洞窟の奥からざわめきが近づいてきた。三人は枝分かれした細い道に身を潜めた。

　最初に姿を現わしたのは亜人たちだった。コボルトやオークが炎に目をしばたかせながら興奮して炎の周りを走りまわった。そこへいくつもの首を持った大蛇が現れ、稲妻のように首を振るとたちまち三匹の亜人に食いついた。亜人たちは恐慌に陥り逃げ出した。大部分が洞窟の奥へ逃げ戻ったが何匹かは出口に向かって走り、大蛇も思いがけない速さで巨体を滑らせ後を追った。亜人も大蛇も炎や敵や走りまわる獲物に気をとられて、隠形の魔力を持つマントに身を包んだ三人にはまったく気づかなかった。
「難物が上がりおったか！　犠牲が出ねばよいが……」
　ゴルツがつぶやいた。
「いまのうちじゃ、先に進むぞ」

　しばらく三人は黙って洞窟の奥に進んだが、身を隠せそうな岩の窪みが見つかったのでゴルツは少し休むことを告げた。そしてリアになにか敵の気配を感じないかとたずねた。
「あれからずっと見られているような気がします」
　リアの答えを聞いてゴルツが難しい顔でうなづいた。
「やはりガモフを襲ったものがそなたの仇敵か。アルデガンに侵入した吸血鬼は一人であったようじゃな」
「どういうことですか？」アラードがたずねた。
「わしはアルデガンに複数の吸血鬼が侵入した可能性も案じていた」
　ゴルツの言葉に二人は息を呑んだ。
「先に襲われたリアが吸い殺されなんだ理由がわからなかったからじゃ。ガモフを吸い尽くすほど渇いていたなら、助けが入ったわけでもないのにリアを吸い残すわけはなかろう。いまも理由は思いつかぬ」
「だが、ガモフを襲ったものが別の吸血鬼であったなら、ガモフを滅ぼした時点でそやつの目から我らは見えなくなったはず。同じ相手であればこそ、ガモフを失った後もそなたの意識を通じて我らを監視できるのじゃ」
「では、あのときガモフに見られていなければ！」
　思わず発せられたアラードの問いにゴルツは首肯した。
「まだ敵に気付かれずにすんでいたやもしれぬ。いまさらいっても栓ないが」
　自分が軽はずみだったせいで気づかれたのかっ！　アラードが思わず両手を握りしめた瞬間、
「私も……ああなるのですか？」

　リアの呻きに二人は振り返った。彼女は膝を屈していた。
「あんなふうに、相手が誰かもわからず襲いかかることになるのですか？」
　押さえ込もうとするように我が身をきつく抱き絞めながらも震えを止められぬ少女が、涙をたたえた目が彼らを仰ぎ見た。
「もしも牙が伸びはじめておれば、かなりの傷をおって死んでも甦ることになろう」ゴルツの声は低かった。
「……もう、遅いんですね」
　ついに涙がひとすじこぼれ落ちた。そして口が開かれた。細い牙の伸びかけた口が！
「リア！」
　思わず叫んだアラードだったが、あとの言葉が続かなかった。それでも華奢な少女は我に返ったようだった。
「すみません。覚悟はしていたつもりだったんです。助かるはずなんてないと……」
　リアは立ち上がった。濡れた瞳に悲愴な決意が満ちていた。
「これでふんぎりがつきました。私は地上へは帰りません。もう帰ってはいけないんです！　この洞窟こそが死に場所です！」
　二人を見つめる空色の目に、あの激しい光が宿った。
「決してこの洞窟から出してはいけません。私も私を襲ったものも！　どちらも滅びなければならないんです。もう誰もこんな目にあってはいけないんです！　最後まで戦って死にます！」
　蒼ざめた顔が真正面からゴルツに向けられた。
「いよいよの時は、私の魂をお守りください」
「もとよりそれがわしの務めじゃ、その高き魂を守ることが」
　アルデガンの大司教が少女の前に膝まづき、手を取った。
「その身の滅ぶ時、必ずそなたの魂を神の御元へ還す！」
　ゴルツの誓いにリアがうなづいた。


　－－－その高き魂こそ守られなければならない－－－
　アラードの心に、その言葉がこだました。
　ガモフのように空っぽのまま甦るリアの姿が、牙を剥いて迫る顔の冒涜的な幻影が彼を脅かした。
　失わせてなるものか、魂を。たとえどんなことをしてでも！
　アラードは考えもしなかった、自分の思いがリアやゴルツとわずかながら違いはじめているとは。





＜第２章：洞窟中層　その１＞

「体に熱を感じます。炎のすぐそばに立っているような……」
　ゴルツの問いかけにリアが答えた。
　あれからリアは進んで敵の意識に接触し、手掛かりを得ようとしていた。もはや敵の監視下にあり、自らの身が明らかに変化しつつある絶望的な状況がかえって彼女を駆り立てていた。自分が自分でいられるうちにどこまでのことができるか死にもの狂いで追い求めるその姿に、アラードは戦慄すら覚えた。
　だがそうまでして得られた手掛かりには、はっきりしない点や不可解なところも多々あった。

　敵の姿や様子はいまだにつかめなかった。視線として感じられるだけだった。ゴルツの話では、牙にかけた者の姿を受けた者が見るのは難しいということだった。受けた者はかけた者の支配の魔力の影響下に置かれるため、見聞きするものについて制限や選別を受けるということだった。
　けれども炎のそばにいるような感じというリアの答えはずっと同じだった。それを信じるならば、敵は洞窟に入ったリアが意識の接触を始めてからまったく居場所を変えていないということになる。
「そんなことがあるのでしょうか」リアがいった。
「アザリア様がアルマの仇敵を追ったときは、洞窟の中を嘲けりながら逃げまわられてついに追いつけなかったと聞きました」
「化け物の考えることなんかわかるもんか！」
　アラードが吐き捨てた。
「同じ所にじっとしているというなら結構じゃないか。さっさとそこへいって戦うだけだ！」
「……あるいは、われらを待ちうけておるか」
　ゴルツの低い声にアラードは背筋がぞくりとした。
「正面きって挑みかかるつもりか」
「われらに負けたりはしないというのですか」
　アラードの声がかすれた。

　陥りかけた沈黙を、突然リアの叫びが破った。
「なんなの？　これは……どこ？」
　立ち上がった少女の見開いた目が虚空を見つめ、全身がおこりにかかったように震えだした。
「なぜなの？　なぜ……それほど憎むの？」
　その体がふらついた。
「どうした、リア！」
　倒れかかるその身をからくも支えたアラードが叫んだ。
「敵に触れたのだな！」ゴルツが険しい目を向けた。
「そなた、なにを見た？　なにを感じた！」
「場所が見えました、いえ、見せつけられました……」
　リアの声は震えていた。
「広い洞窟です……。低いけれど大きな火口が地面に口を開けています」
「ここにいると、自分は動かないと、くるがいいと……。憎しみの塊みたいなどす黒い思念が……」
「血に飢えているのでも、嘲けるんでもない、誰彼なしの凄まじい憎悪……。あれが本当に吸血鬼なんですか？　なぜあんなに、まさか、あんな……。思っていたのと全然違う……」
「もうやめろ、リア！　落ち着くんだ！」
　リアの体をゆさぶるアラードの横でゴルツがぽつりとつぶやいた。
「魔獣に魂を感じたその感応力、さては相手が見せる以上のものを見たか。その心象までも……」
　ゴルツはリアに向き直ると、その背に手を当て一声鋭く気合を入れた。激しい震えがようやく収まった。
「この洞窟に口を開けている火口は二つしかない。最深部にあるものはさらに大きく高さもある。そなたが見たのは洞窟の中層にある小さい方の火口のはずじゃ。
　敵は我らの動きを知り、その上で挑みかかっておる。秘密裏に動く意味はもはやない。火口へ急ぐぞ！」
「火口に転移するのですか？」
　アラードがたずねたが、ゴルツは首を横に振った。
「場所が悪い。あの火口は周りにも炎を吹き上げる亀裂が多く、下手に転移すると炎に焼かれかねぬ。しかも敵の位置もわからぬ以上、相手の目の前に背中をさらす危険もある」
「通路とて同じじゃ。うかつに跳べば魔物の群の中ともなりかねぬ。急ぐが用心せよ！」
　三人は走り出した。


　魔法の燐光だけを頼りに暗闇の中をどれだけ走ったか、アラードの感覚が薄れ始めたとき、ゴルツが止まるよう命じた。
　前方が騒がしかった。種類の違う咆哮が入り乱れた。
「なにかおるぞ。一匹や二匹ではあるまい」
　三人は壁をつたいながら忍び寄り、様子をうかがった。

　洞窟が広がった地底湖だった。どうやら浅瀬のようだったが、広い窪み全体を水が満たしていた。反対側の水面の少し上に通路が口を開けていた。その浅い湖で魔物たちが戦っていた。
　触手と多くの口を持つクラゲかタコのような怪物の巣に、多頭の魔獣たちが踏み込んだらしかった。触手を持つ怪物のうちずばぬけて大きなものが二匹の魔獣を絞め上げていたが、三匹の魔獣が人間ほどしかない小さな怪物たちを追いまわしていた。怪物の親が二匹の魔獣を絞め殺したときには、仔の数も半分程度にまで減じていた。
「向こうの通路へ転移する。二人ともわしにつかまれ」
　呪文が完成するとアラードは力場に包まれたのを感じた。一瞬でそれは終わり、前方からの咆哮が背後に移っていた。

　だがほっとして走り始めたその足が柔らかいものを踏みつけた瞬間、腰から下に触手が巻きついた。魔獣に追われた怪物の仔が通路に逃げ込んでいたのだ。鋭い歯を持つ触手の先がいっせいに鎌首をもたげた。
　アラードは必死で丸い胴体に見開いた目らしきものに剣を突き立てた。急所を突かれた怪物は甲高い悲鳴を上げ、牙をそなえた触手が地に落ちた。だが下半身を捕らえた触手の吸盤は全く離れなかった。そこへ背後から、凄まじい咆哮が響き渡った！
「やむをえん！」
　ゴルツがひときわ複雑な呪文を驚くべき速さで編み上げた。
　地底湖に真っ白い光が炸裂し、凄まじい熱風が通路にまで吹き込んだ。アラードは髪の先が焦げたのを感じた。
　だが巨大な火だるまの姿が一つ、通路に躍り込んできた。形の異なる首のうち二つが焦げつき垂れ下がっていたが、角を備えた一つがまだ生きていた。燃え上がり盲いた魔獣は身動きできぬアラードに突進した。思わず目を閉じたアラードの耳に肉の裂ける鈍い音が届くと同時に凄まじい熱が身をかすめ、岩に何かが激突する激しい音がした。

　目を開けたアラードが振り向くと魔獣は絶命していた。大きな骸が煙を上げていた。
　だがそのすぐそばに、華奢な人影が倒れていた！





＜第２章：洞窟中層　その２＞

　アラードは言葉にならぬわめき声をあげながら、からみついた触手をめちゃくちゃに斬り裂いた。勢い余って自らの体に何度も刃を立てたことさえまったく気がつかぬまま。
　やっとリアの側に駆け寄ったときには、ゴルツが血溜りの横に膝まずき身をかがめていた。
　まだ息はあったが意識はなかった。脇腹が大きくえぐられた、助かりようのない傷だった。

　身を投げ出して角にかかった？　自分を助けるために？
　自分がリアを助けるためにきたはずなのに？
　受け入れられなかった。
　自分が化け物を踏んで、自分が動けなくなって……。
　なぜ死にかけているのがリアなんだ！
　どうしても受け入れられなかった。

「……そなたの高き魂こそ守られなければならぬ」
　そうだ、そのとおりだ。失われてはいけないんだ。
　だが、声は喉に貼りつき出なかった。
「いまこそ誓いの刻」
　……なにをいっている？
「そなたの望みどおり、その魂、神の御元へ還す」
　違うだろおぉっ！
「この世での苦痛と転化の呪いから解き放たれよ……」
　殺すつもりだ！　なんのためらいもなく！
　ゴルツはゆっくりと輝く錫杖を掲げた。
　死なせてなるもんかっ！！
　鈍い音が聞こえた。

　いつのまにか、大きな石を手に持っていた。
　足下にゴルツが倒れていた。
　自分が殴り倒した？　ゴルツ閣下を？
　血の気が引き、手から石が落ちた。
　リアを見た。弱く、浅く、苦しげな息をしていた。
　だから閣下は殺そうとしたんだ、楽にさせるために。
　自分がするしかない……。刃をリアに向けた。

　かなりの傷をおって死んでも甦ることになろう。
　そんなゴルツの言葉が脳裏に浮かんだ。
　甦らないようにするには、どうすれば……。

　ゴルツはおそらく亡骸を焼くつもりだったに違いない。自分にできる技ではない。
　首をはねるしかないのか？　刃を少女の細い首に向けた。
　だが手は震え、取り落とした剣が音をたてた。そのときリアが弱々しく喘ぎ、開いた口元に細い牙がのぞいた。
　アラードの目が釘付けになった。
　このままではからっぽのまま甦る。魂を失くした肉体だけが、ガモフみたいな動く死体になりはてて……。

　その恐怖に抗うように、追い立てられるように、内なる思いが声をあげた。
　魂を失わせてなるものか。どんなことをしてでも！
　すると思念がこだまを返してきた。
　……この世に留める？　魂を？　どんなことをしてでも？
　あの牙を見ろ。もう手遅れだ。やがてガモフのように甦って、おまえの血を吸おうとするのだ。

　では、甦る前に、死ぬ前に与えれば？
　……魂は失われないんじゃ……？

　異様な悪寒が背を走った。だが一度思いついた考えは、もはや消せなかった。そしてリアの息がさらに弱く、浅くなった。もう時間がない！
　右手で剣を逆手に持ち、左の掌を刃に当てた。震える掌はたちまち裂け、鮮血が刃身を伝い流れた。
　牙の伸びた口元に刃先をあてがい、紅の流れを含ませた。

　喉が小さく動いた。息が止まり、大きく吸われた。
　まぶたが震え、ゆっくり開かれた。
　青い目が、空色の瞳がアラードの顔に焦点を結んだ。
「アラード……？」
　リアが身を起こした。だが脇腹の傷が癒着した瞬間、その目が驚愕に見開かれた。

「これはなに？　流れが見える、血の巡りが見えるわ！」
　見開かれた目が失せた傷に向けられ、両手がおずおずと口元をなぞった。開いた掌に赤い染みが付いていた。
　再びアラードに向けられた視線が血に濡れた刃を認めた。
「まさか、アラード！　なんてこと……っ」
　いいかけた言葉が突然とぎれ、細い顔が中空を仰ぎ見た。

「だれ？　だれなの？　私を笑うのは」
　瞳が虚空を見据えていた。
「あなたなの？　私を牙にかけた！」
　敵を視ている？　アラードは思わず数歩近づいた。
「きてはだめ！　近づかないでっ！」
　その動きに気づいたリアが大きく跳び退いた。人間離れした跳躍だった。
「転化してしまった、人間じゃなくなった……」
　後じさりしながら、華奢な少女は呻いた。
「血の流れが見えてしまった。もう一緒にいられないわ！」
　たちまち身を翻し、そのまま闇の彼方へ走り去った。

　呆然と立ち尽くす若者の、やがて背後で呻き声がした。
「アラード。そなた、なにを……っ」
　ゴルツが頭を振りつつ、半身を起こしていた。
「リアはどこじゃ……？　なぜおらぬ？」
　血染めの剣を認めた緑の目が、リアと同じく見開かれた。
「そなた、リアにその血を飲ませたのか！」
　ゴルツは跳ね起き、アラードに詰め寄った。
「ばかものっ！　リアを転化させたのか、生きたまま！」
　錫杖の一撃がアラードを叩き伏せた。
「自分が何をしたのかわからぬのかっ！　吸血鬼の肉体に人間の魂を閉じ込めたのだぞ。毒蜘蛛の背に胡蝶を無残に縫い付けたのだぞ。どれだけ魂が苦しみ歪むか考えもせなんだかっ！」

　ゴルツはアラードに背を向け数歩進んで足を止めた。
「火口は右の枝道を入ってすぐじゃ。ついてこい！　そこにおるものも人の心を残して転化したもの、その末路の姿じゃ。初めて探知の術を使ったときわしにはわかった。そなたもその目で見るがいい！」
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		<dc:date>2018-05-12T16:53:47+09:00</dc:date>
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	<item rdf:about="https://mohito.novel.wox.cc/entry3.html">
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		<title>『封魔の城塞アルデガン』第１部：城塞都市の翳り　後半</title>

		<description>＜第６章：ラーダ寺院＞

　破邪の神格…</description>
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			<![CDATA[ ＜第６章：ラーダ寺院＞

　破邪の神格ラーダを祀る白亜の寺院は高い尖塔を備えていた。これこそ尊師アールダの５つの宝玉のうち主たる宝玉を頂く塔であり、洞窟の魔物が地中を掘り進み洞窟から脱出することを封じる結界の源であった。ボルドフは出迎えた見習い僧にゴルツへの拝謁を求めた。
　大司教の執務室には先客がいた。白い長衣を身にまとったアザリアだった。かつてボルドフはアザリアの支援の下で何度も剣を振るった仲だった。彼らは目礼を交わした。
「用向きは何か、ボルドフ隊長」ゴルツが声をかけた。

　大司教ゴルツはすでに髪も長いあごひげも白い老人だった。僧侶の技と魔術師の術の両方を身に付けるべく修行する司教、それは長い年月を修行に費やすことを意味し、二十年前にその両方を極め大司教の称号を得た時ゴルツはすでに五十歳になろうとしていた。
　以来二十年間、ゴルツはアルデガン最高の術者としてしばしば実戦にも出ながら指導力を発揮していた。魔物との消耗戦に陥っているアルデガンでは実戦で発揮される実力こそが権威の裏づけであり、実戦での力の衰えは大司教としての役割の終わりを意味する。だが七十歳を前にしたゴルツの老いた肉体を支える意思の力にはまったく翳りがないことが、緑色の炎のような眼力からもうかがえた。
「洞門にマンティコアが出現し四人の死者が出ました」
　抑えた声での報告に、大司教は厳しい面持ちで応じた。
「なぜそんなものが洞門に現れたのか、それを聞きたいというのだな」
「尊師アールダの結界は人間に近い魔物より人間からかけ離れた存在により強く作用する。マンティコアなど、本来深い階層から容易に上がってこれぬはず」
　ボルドフは一歩前に出た。
「結界に異変が起きているとしか思えません」

「四方の塔の宝玉のうち、東と南の宝玉の魔力が変質したことを確認した」ゴルツの表情が険しさを増した。
「なんと！　それでは……」
「このアルデガンの宝玉を補助しているのは、もはや北の塔の宝玉だけということです」アザリアが応えた。
「二十五年前の西部地域の内乱により、西の塔の宝玉がその力を求める者たちの争いの最中に失われたのは隊長もご存知ですね。追い詰められた勢力がその力をむりやり解放した結果、凄まじい魔力の暴走で敵味方ともども全滅し、西部地域は今も救いようのない混乱の只中にあります」
「愚行だ」ボルドフが吐き捨てた。
「だがそれ以来、宝玉がいかに強力な力の源であるかが天下に知れてしまった」ゴルツが言葉を継いだ。
「東と南の宝玉はかなり前から移されておる。手を出したのは南の大国レドラスの王であろうとわしは見る」
「前からですと！　それに場所もおわかりだったのですか？」
「もちろん北の王国ノールドにはこのことを伝え、外交的に問題を解決することを依頼はしていた。しかし国力で勝るレドラスはノールドの呼びかけに応えなかったと聞いておる。そしてこたびの変質じゃ」ゴルツは息を継いだ。
「宝玉が何らかの加工を受けたとしか考えられぬ」
「レドラスには野心があると見なさざるを得ないでしょう、混乱の続く西部地域か、あるいは東のイーリアの虚を突くつもりかもしれません」アザリアが言葉を継いだ。
「ノールドはレドラスが宝玉を手にしていることを知っているのですから、レドラスもそう手出しはできないと思いますが」
「宝玉の効力は場所が移されただけなら保たれる。しかし加工され変質したゆえに効力が失われた。このままではアルデガンは遠からず破られ魔物たちが再び地上に解き放たれる。レドラスには触れてはならぬ力に手を出したことをなんとしても悟らせねばならぬ」

「私はそのレドラスへの使者の役目を拝命したところです」
　アザリアの言葉に、ボルドフは目を剥いた。
「無茶ではありませんか？　閣下！」
「でも他に方法はないのよ。それに宝玉が現在どういう状態なのかを探る必要もあります。イーリアに立ち寄り状況を話せばレドラスの動きを牽制できるかもしれません」
「重大な任務じゃ。そなたは両親の出身ゆえ、かの遊牧民の王も同族のよしみでそう無体な扱いをせぬのではと思うが、それでも困難な役目に違いない。だが」
　ゴルツは首をかしげた。
「そんな任務にリアを伴いたいとそなたはいうのか？」
「彼女には今のアルデガンのどの魔術師よりも高い魔力の資質があります。でも感応力が高すぎて魔物の魂に触れてしまい、戦うことができずにいます。戦う目的を自分で捉え直すしか克服するすべはありません」
　ゴルツはしばしアザリアを見つめたあと首肯した。
「そなたを信頼している。リアにも支度をさせるがよい」
「ありがとうございます、閣下」
「ボルドフ隊長。聞いてのとおり、アルデガンはこれまでになく由々しき状況にある。洞門の警護さえもはや危険じゃ。十分用心し、戦力の損耗を極力抑えることを念頭に置くがよい」
「……心得ました、閣下」
　重鎮たちはゴルツのもとを辞した。去りゆく二人の足音が消えて間もなく、ゴルツもまた立ち上がった。


　二人は寺院の回廊をしばし無言のまま進んだが、やがてボルドフがぽつりと声をかけた。
「無茶なことを考えているのではないだろうな、アザリア」
「なにをいうの。今の私になにもできないことなどあなただってよく知っているはずよ」アザリアが歩みを止めた。
「そしてそのことで我が身を責めている。違うか？」
　背後の相手が答えないのもかまわず、巨躯の戦士は続けた。
「誰だってわかるさ。おまえに背中を守られた者なら」
「……教え子たちはみんなよくやってくれていると思う。でも、もう長い間、魔力の素質に優れた人材は出ていないわ。しょせん魔術師は魔力の水準で取れる行動が限られてしまうのよ。
　あと一つの呪文が使えたら救えた命だった、そう思ったことのない教え子なんかいないはずよ。私だって」
　アザリアはいつしか両の手を握り締めていた。
「せめて私に実戦に出られる力が残されていればと何度思ったか知れないわ！」
「だからリアをつれて行こうというのか」
　ボルドフは向き直り、灰色の瞳をまっすぐ見つめた。アザリアは頷いた。
「あの子には最高位の呪文を自在に使いこなす潜在力があるわ。それに年齢以上に思慮深さもある。戦いで味方に犠牲を出さない最高の守り手になれる資質があるのよ」
「なるほど、生まれたときから目をかけていたわけだ。おまえの真の後継者というわけか」
「生まれたばかりのリアを初めて見たとき、高い魔力のオーラに包まれていた。この子は優れた魔術師になるし、そうでなければならない。だからリアの名付け親になって早くから魔術師として育ててきたわ。なんとしても壁を乗り越えて、こんな私に代わる守護者になってほしい……」

「おまえは我ら剣を振るう者にとって最高の魔術師だった」
　ボルドフは感慨深げに語りかけた。思い詰めた様子もあらわなアザリアに。
「同じ魔術師でもガラリアンは正反対だった。奴は自分の魔力を恃んで敵を滅することしか考えていなかった。確かに奴は多くの魔物を倒した。だが、結局一人で戦っていたようなものだった。我ら戦士のことなど眼中になかった」
　ボルドフは言葉を切った。
「ラルダが戦士ローラムに夢中で奴を顧みなかったせいだったのかもしれんが」
「言葉が過ぎるわよ。ボルドフ」アザリアがたしなめた。
「そうだな、別に奴の悪口をいいたかったわけではない」
　ボルドフは苦笑したが、すぐに表情を改めた。
「おまえは常に仲間を守ることを考えていた。一歩下がったところで戦況を判断し、状況に応じた最善の手段でいくつもの窮地を切り抜けてくれた。アルデガンに魔術師の数あれど、参加した戦いで犠牲者を出したことのない者はおまえしかおらん。かつての仲間たちの感謝は決して尽きることなどないのだぞ。
　そしていま、おまえは多くの弟子を立派に導いている。今夜の戦いでケレスが見せた采配はまるでおまえのようだった。確かに魔力の素質に恵まれた者は不足しているのかもしれんが、ならばいっそうおまえ抜きではアルデガンの魔術師陣の瓦解は免れぬ。違うか？」
　ボルドフは無数の戦いを共に潜った女魔術師の両肩を、大きい無骨な両手でがっしりと掴んだ。
「おまえは昔も今もアルデガンにとってなくてはならぬ存在なんだ。絶対に無理だけはするな！　必ず帰ってくるんだ」
「ありがとう、ボルドフ……」アザリアは声を詰まらせた。





＜第７章：寄宿舎＞

　アラードと別れたリアはラーダ寺院に隣接する寄宿舎の自室に戻っていた。彼女の部屋は一階だった。五階建の寄宿舎は小さな砦のような造りになっており、年長者になるにつれ下の階を割り当てられる決まりだった。アルデガンに生まれた者の常として、彼女も物心がついたころからこの建物で暮らしてきたのだ。
　扉に閂をおろすとリアは簡素な寝台にあおむけになり、ラーダのシンボルが描かれた天井を見上げた。多分集会室からだろう。子供たちがラーダの神にささげる破邪の祈りが、今もずっと上の階からかすかに聞こえていた。

　子供たちは小さいうちから僧侶によって、魔物がいかに邪悪であり、これを滅ぼすのがどれだけ聖なる義務であるかを教えられて育つ。もちろんリアも例外ではなかった。魔物は人間とは異質でかけはなれた存在だと信じていた。
　だから自分が焼き殺した魔獣の断末魔に魂を感じたこと自体が彼女には衝撃だった。しかもあの一瞬にさらけだされた魔獣の魂は、狂暴で荒々しくこそあれ人間の魂となんら変わるところがなかった。
　自分が考えてはいけないことを考えているのはリアにもわかっていた。魔物たちは敵なのだ。決して人間と相容れぬ、どちらかが滅びるまで戦い続けるほかない相手だとわかってはいた。
　しかし今の彼女には、自分が人間であり相手が魔物であるということが、ほんのちょっとしたきっかけで逆でもありえたようなものとしか感じられなかった。かつてリアを支えていた自分への確信というべきものは、あの魔獣の断末魔とともに砕け散ったのだ。
　リアの脳裏にアラードの上気した顔が浮かんだ。魔物を初めて倒した喜びを語る彼の表情には迷いの影などみじんもなかった。彼がうらやましく思えてならなかった。
　ではアザリアはどうなのだろうと彼女は思った。魔法を自由に使えた時に、師は魔物との闘いにどう臨んでいたのだろうかと。師は戦うことにより自分が救う者たちのことを考えるようにと諭した。その言葉はもちろんリアにも正しいことだと受け取れた。しかし、それ以上に彼女には、師の思慮深さが何らかの苦しみを克服した結果得られたものであるように感じられたのだ。
　旅に出れば師に尋ねる機会もあるだろうかと思ううち、リアはいつしか眠りへと落ちていった。


　異様な悪寒の中、リアはめざめた。暗闇に塗りつぶされた視野の奥から、見慣れた自室の天井がおぼろに浮かびあがる。
　ここはアルデガンの中心部、ラーダ寺院に付属する寄宿舎の自室。窓から寺院の尖塔が見える、アルデガンで一番安全なはずの場所……。
　その部屋が、いまや妖気に満ちていた。
　少女は動けなかった。声も出ず、まばたきさえできず。ただ、研ぎ澄まされた感覚がなにかをとらえた。視野の外、足元の床で凝固しつつある妖気を。やがて床にわだかまる闇から気配が伸び上がり、のしかかるように迫ってきた。
　一瞬、リアの視線が双眸をとらえた。おぼろな影の中に燃える緑色の……。
　とたんに双眸が妖光を放ち、リアは意識を失った。





＜第８章：見張り台＞

　アラードと同期の戦士ガモフは、かがり火の燃える城壁の上で見張りに就いていた。背後には隊長のボルドフが立っていた。
　ずんぐりした体格のガモフは敏捷さよりは力で戦う資質の持ち主だった。もちろんまだ若く経験不足であるため、ボルドフから見れば未熟さは覆いがたいものだったが、オークやコボルト相手なら今のアラードよりむしろ安定した戦いができた。訓練所でもアラードと張り合ってきたガモフはアラードより先に洞門番に登用され、倒した亜人の数でもアラードに差をつけていた。
　しかし洞門が急襲を受けたとの知らせに宿舎から駈けつけたガモフたちを出迎えたものは、亜人とは次元の違う存在だった。

　獅子ほどもある醜悪な魔獣の死体。戦いに臨んだ仲間たちの話も凄まじいものだった。それは自分たちの前の班の若者を四人も瞬時に噛み殺し引き裂いたという。
　ボルドフがラーダ寺院から戻ったとき、ガモフたちは明らかに動揺していた。事態の悪化を感じているのを隠せずにいた。
　ボルドフはガモフたちを集め、宝玉の結界に異変が起こり魔物の行動への制約が弱まったために強力な魔獣が洞門に現れたことを説明した上で、当分のあいだ夜は城壁の下へは降りずに城壁の上から洞門を見張るよう指示した。そして、今夜は自分も見張りに立つから、一人ずつ交代で見張りに立ち他の者は階下で仮眠をとるよう命じた。

　ガモフが見張りに立ったのは、もう少しで空が白みはじめる頃だった。
「自分もあんな化け物を倒せるようになれるでしょうか」
　ガモフはボルドフに声をかけた。それは仲間たちも一様に隊長に発した問いだった。
「生き残り、戦い続ければ必ず」
　ボルドフもまた、同じ答えをガモフにも返した。
　そのときラーダ寺院の見習い僧が城壁の上に現れ、ボルドフを手招いた。そして近づいたボルドフに小声でなにかを告げた。
　ガモフにはその声は聞こえなかったが、ボルドフが顔色を変えたのがゆらめくかがり火の光でもはっきりと見て取れた。
　ボルドフは足早にガモフのところへ戻った。
「ラーダ寺院からの招集だ。すぐに行かねばならん。他の者を起こすから見張りをこのまま続けてくれ」
　そういうと、ボルドフは見習い僧と共に階下へ姿を消した。

　ついに空が白み始めた。だがそのせいで、洞門の影はかえって深まったようにガモフには感じられた。
　もしも洞門に異変が起きたら。若者はひたすら洞門を凝視していた。見張りのためというより恐怖にかられ、己の首に背後からのびる、やつれた、けれど鋭い爪を生やした手に、気づくこともできぬまま。





＜第９章：集会所＞

　ラーダ寺院の中央に位置する広い集会所は、高窓から射し込む朝日が白亜の内装に照り映えて輝きに満ちていた。破邪の神格を祀る寺院にとって昇る朝日は闇の克服の象徴であり、その輝きをあまさず取り込み人々を力づけることを目指してすべてが緻密に作られていた。匠の技はいまや最高の効果を発揮し、寺院には影などかけらも残らないはずだった。
　だがそこに集う人々の顔をおおう影の深さは、およそ朝日の輝きなどで消し去れるものではなかった。
　リアは祭壇近くに設けられた席に腰掛けていた。もともと色白の顔はいまや蝋のように生気を失い、空色の瞳は虚ろだった。朝日は淡い金髪にも照り映えていたが、それはその顔に掘り込まれた絶望を無残に際だたせるばかりだった。そしてか細い首筋に、この場を支配する恐怖の刻印が刻まれていた。
　牙に穿たれた傷だった。
　吸血鬼の牙の痕だった。
「では、そなたは吸血鬼の姿をはっきりとは目にできなかったというのか？」
　大司教を補佐する司教グロスの詰問は、だが絶望に魂が凍った少女には霧の彼方の囁きほどにも届いてはいなかった。
「重大なことだぞ。なにか思い出せぬのか！」
「よい、グロス」ゴルツが制した。
「無理を強いても詮無い。だが、たしかに由々しき事態じゃ」
　ゴルツはこの場に集うアルデガンの指導者たちを見渡した。
「これまでアルデガン内部に吸血鬼が侵入したことはなかった。我らはかつてなき恐るべき状況に置かれておる」
「吸血鬼の行方の探索は？」グロスが問うた。
「手を尽くしてはいますが、いまだ手係りはありません」
「洞門になにか異変は？」
「夜半前の魔獣が現れた乱戦の時が怪しまれます。夜の闇に身を溶け込ませ忍び込んだ可能性は否定できません」
「リアが襲われた時刻は？」
「少なくとも発見は、明け方まで間がある刻限でした」
「このことは外部に漏れたか？」
「リアを発見した者が複数おりますので、おそらく……」
「大司教閣下！」グロスが、いや、その場に集う指導者すべてがゴルツの言葉を待った。

「かくなる上は全ての者に事実を知らせ、今後はまとまって行動するよう告げよ。高僧たちを一人ずつ配置し万全の備えで臨め。疑心にかられ自壊するのはなんとしても避けねばならぬ！」
　命を受けた僧たちが退出すると、立ち上がった大司教はリアの前へと歩を進めた。少女はその顔をおずおずと仰ぎ見たが、深く窪んだ眼窩の奥を窺うことはできなかった。
「そなたはもはや転化する定めを免れぬ」
　ゴルツの厳しい声がリアの耳朶を打った。
「そなたは生きたまま吸血鬼と化してゆく。いや増す渇きに身を焦がし、ついには身近な者に襲いかかる。そのときそなたは真に魔物の眷属へと身を堕とし、襲われた者はそなたと同じく転化の定めに呪われる」
　大司教は老いにやつれた手に握る錫杖を掲げた。一瞬、それは凄まじい力に満たされた。
「呪われた連鎖は絶たねばならぬ。我はアルデガンの長として、そなたに人として死ぬことを命じる。呪いに穢れた身から魂を解かれ、神の御元へ還りたまえ」錫杖がしだいに輝き始めた。
　リアは輝く錫杖を見上げていたが、やがてゆっくり瞑目した。光あせた空色の目が、絶望の帳に閉ざされていった。
「よい覚悟じゃ……」ゴルツの呟く声、そして低い呪文の詠唱。だが扉を激しく叩く音が、呼ばわる声がそれらを破った！
「隊長、ボルドフ隊長！」「アラード？」
　リアは驚いて目を開けた。ゴルツも詠唱を中断した。
「なにごとだ、騒々しい」ボルドフが開けた扉から赤毛の若者が飛び込んできた。
「見張りのガモフが行方不明です」「なにっ」「隊長がこちらへ向かわれてすぐ、代わりの者が上るまでの僅かな間に姿が消えたそうです。抜かれた剣がその場に落ちていました。ただごとではありません！」
「わかった」アラードに応えると戦士隊長は一同に告げた。
「手掛かりかもしれません。洞門へ戻ります！」
「頼むぞ、ボルドフ」グロスが応えた。
「行くぞ！　アラード」返事がないためボルドフは振り向いた。「どうした？　なにをしている」

　だが、アラードは目を見開いて立ち尽くしていた。
「リア。そんな、リアだったなんて……」
　赤毛の若者は蒼白だった。リアの顔色を映したように。
「なにかの間違いですよね、これは。リアが、まさか」
「間違いではない」グロスが答えた。「夜半過ぎ、リアは自室で吸血鬼の牙にかかったのだ。もはや助かるすべはない」
「助からない？　そんな馬鹿な！」アラードは叫んだ。
「あなたがたはここでなにをしていたんですか？　ただ集まって話し合っただけで、なんの手だても講じないなんて！」
「口が過ぎるぞ、アラード！」ボルドフが制した。
「おまえは吸血鬼の恐ろしさを知らん。我らはまずアルデガンの住人を守らねばならんのだ」
「リア一人さえ救えずになにをいうんですか！　吸血鬼を倒せば犠牲者は助かるというじゃありませんか」
「噂に過ぎぬ。確かめた者などおらん！」上擦った声でグロスが叫んだ。
「犠牲者が転化する前に吸血鬼を倒せた例など、これまでただの一つもありはせんのだぞ！」
「だから吸血鬼には手を出さないんですか？　野放しにするんですか？　だったらこれからも、いくらでも犠牲者が出るだけじゃないですかっ！」

　アラードのその言葉がリアの耳朶を貫いた。絶望に凍りついた心が激しくゆさぶられた。自分のこの恐怖、この絶望。これは自分だけを襲うのではない。誰もが恐ろしい牙の餌食になりうる。今夜襲われるのは破邪の祈りを捧げる子供たちかもしれない。
　そんなことがあってはならない！　リアは知らず立ち上がっていた。すべての視線が彼女に集まった。
「……私が助かるなどとは思えません。死ぬべき身であることは免れないとわかっています。でも……っ」リアの頬を一筋の涙が伝った。だが同時に、空色の目は激しい光を宿してもいた。
「私のほかにもこんな目にあう人が出るなんて、そんなことには耐えられません！　私はなんの役にも立てないのですか？　このまま誰ひとり守れず、無為に死ぬしかないのですか！」

　しばしの重苦しい沈黙の後、やがて白い長衣をまとった人影が立ち上がった。アザリアだった。いつも穏やかなその顔は激しい葛藤に歪んでさえいた。一瞬の逡巡を見せた後、だがアザリアは胸を押さえつつ口を開いた。あたかも教え子の声に、言魂に射抜かれでもしたかのごとく。
「大司教閣下！　たった一つ、吸血鬼の行方を知る方法があったはずです。一つでも手掛かりを得た上でなんらかの対策を講じるべきです」
「探知の秘術を使えというのか」
　ゴルツの言葉にあたりがざわめいた。
「探知の秘術？　なんですか、それは」アラードがたずねた。
「吸血鬼とその犠牲者のいや増す精神感応を利用して、犠牲者の意識を足掛かりに吸血鬼の意識を探ろうとする術のことよ」
　アザリアが答えた。
「うまくいけば、吸血鬼に気取られず手掛かりを掴める可能性がある。でも、恐ろしい危険も伴うの」
「失敗すれば吸血鬼に気取られるばかりか術者が支配されることもあるではないか！」怒気で真っ赤なグロスの顔を、怯えめいた表情が一瞬よぎった。「そんな恐ろしい術を閣下に使わせようという気か！」
「しかも犠牲者の、リアの負担は大きい……」
　アザリアの目に、まぎれもない苦悩が浮かんだ。
「自分から吸血鬼の影響下に精神をさらけ出すのと同じなのよ。転化は確実に早まるし、相手に気取られれば最悪の場合、精神をその場で乗っ取られることになるわ」
「そんな、ほかに方法はないんですか！」
　アラードの叫びに、アザリアはかぶりを振った。

「……アザリア様はその呪文をご存じなのですね」
　リアの問いかけに、アザリアは小さく頷いた。
「一度だけ使ったことがあるわ。でもこちらの動きを気取られてしまい、相手に裏をかかれて探索は失敗した。そして今の私にはもう二度と唱えられない最高位の魔法。アルデガンでこの呪文を使えるのは、もはや大司教閣下だけ……」
　アザリアはリアの前に進み出ると、教え子にして名づけ子である少女の顔をまっすぐ見つめた。リアもまた師の視線を正面から受け止めた。
「成功する可能性は低い。しかも魂は確実に危険にさらされる。それでも吸血鬼の居場所一つでも知ろうとすれば、この方法しかないの。
　リア、誰にも無理強いできないことなのよ。あなたが安らかな死を願っても、責めることなど決して」
「アザリア様、私の心は定まりました」
　リアは答え、大司教の前に額づいた。
「お願いです。どうか私をお役立て下さい。そして私の魂を神の御許へお送り下さい」
「危険すぎます、閣下！」「よい、グロス」
　必死の形相で叫ぶグロスをゴルツは制した。
「アラードの申すとおり、アルデガンに侵入しうる相手を野放しにはできぬ。危険であろうと手掛かりは欠かせぬ」

　アルデガンの長は、リアに祭壇に横になるよう命じた。
「そなたを眠らせ夢を通じて接触する。その方が支配を受けにくいはずじゃ。力を抜き心を空にせよ」
　ゴルツは呪文を低くつぶやきながら少女の上に身をかがめた。たちまちリアの意識は暗転した。のしかかるように迫る老人の、眼窩の奥深く燃える緑の双眸も窺えぬまま。





＜第１０章：私室＞

　リアは寝台の上で目覚めた。頭の芯にかき回されたような痛みが残り、奇妙な疲労感が体にまとわりついていた。
　自分の部屋でないと察した少女が身を起こしたそのとき扉が開き、アザリアが水差しを持って入ってきた。
「ここは……？」
「私の部屋よ」
　そう答えつつ呪文の師は汲んできたばかりの冷たい水をリアにすすめた。水の冷たさが奇妙な疲労感をはらしたとたん、それまでの記憶がよみがえった。
「アザリア様！　探知は成功したんですか？　吸血鬼はいったいどこに？」
「あなたは意識を失っていたのよ」
　腰を浮かせたリアを制しつつ、師は続けた。
「意識のないあなたを通じて大司教閣下は吸血鬼が見聞きしているものを探られたの。洞窟にいるのは間違いないとおっしゃられたわ」
「いったいどんな相手なのでしょう。何かわかったことは？」
「あの術は術者自身にしか感覚が伝わらないし、深入りしすぎると相手に気づかれてしまうから閣下にもほとんどわからなかったはずよ。でも」アザリアは眉を寄せた。
「なにかあったんですか？」
「閣下は三人だけで洞窟へゆくとおっしゃるの。あなたと、そしてアラードだけをつれて」
　想像もしていなかった言葉に、リアは呆然としてただアザリアを見つめるばかりだった。そんな彼女にアザリアは気遣わしげな一瞥を向けた。
「閣下は洞窟に入るには少人数で身を隠しながらゆくしかない。だから僧侶の癒しや解呪の技、魔術師の術や探知の秘術もすべて身につけた自分がゆかねばならないとおっしゃるの。皆が反対したけれど、お聞き入れにならなかったわ」
「敵が手強いと考えておられる……、そうなのですね？」
　アザリアは頷いた。
「そもそも吸血鬼は普通の剣や魔法では倒せない、いくら倒してもすぐに復活してしまうおそろしい魔物で神聖魔法の解呪の技でその存在を禁じることによってのみ消滅させることができるのは知っているわね。でもあの術は神の秩序への絶対の信仰に基づく意思の力で呪われた存在それ自体を解体しようとする技だから、結局は敵の意思力との力比べになってしまう。閣下があそこまでおっしゃる以上、よほど強大な敵であると察しられたからとしか思えないのよ」
　重苦しい沈黙がおとずれた。

　自分を襲った黒い影がリアの脳裏にうかんだ。正体も姿も定かならぬそれは、いまや悪意と力のかたまりのように彼女には思えた。洞窟の奥底に待ちうける邪悪の権化のような影と対峙せねばならない自分があまりにも小さく無力に思えた。しかもこの身はしだいに恐ろしい影の力に取り込まれてゆくばかり……。
　絶望に屈しそうになった少女の耳に、アザリアの声がからくも届いた。
「あなたにあやまらなければならないわね」
　リアは意表をつかれ、どういうことですかと師に訊ねた。
「どちらが、いや、両方ね」アザリアは答えた。
「初めにあなたが宣告をうけたとき、私はあなたが殺されるのを見過ごそうとした。でもあなたの嘆願に負けて、吸血鬼の意識を探る探知の秘術のことを話してしまった。そのせいであなたは、死ぬより恐ろしい旅の門出に立たされている」
　アザリアは目をそらした。
「私は迷いに迷ったあげく、あなたの絶望を引き伸ばすことしかできなかったのよ……」
　集会場での出来事がリアの心に蘇った刹那、あの激しい思いが再び燃え上がり無力感を打ち破った。少女は身を起こし師の手を取って叫んだ。
「そんなことはありません。アザリア様はチャンスを下さったんです!｣
　アザリアはリアのひたむきな視線を無言で受けとめていたが、いきなり華奢な愛弟子をぐいと抱きよせた。
　思いがけぬ師の行動へのとまどいは、しかし次の瞬間、奇妙に甘い香りへの驚きにとってかわられた。その香りのもたらした欲望がまったく新しいものだったので、すぐにはそれが知っている香りであることに気づけなかった。
　次の瞬間、リアは悲鳴をあげ身をもぎ離した。それが師の体に脈打つ血の匂いなのを悟って。
「私の友も、アルマもそうだったわ」
　アザリアは硬い声で告げた。脳裏に遠い、けれど忘れられぬ声を、言葉を甦らせながら。自分がそれを感じていることにリアは気づき慄いた。己が身が、そして生来の力までが、異常な変貌を遂げつつあるそれは証だったから。直接師の肉体に触れたことでかき立てられた魔性の力が、忌むべき感応力をかつてなき強さで発動させたことを見せつけるものだったから。
「あなたは敵と闘うだけじゃない。時間と、なにより自分自身と闘わなくてはならないのよ」
　耳朶を打つ師の言葉に、けれどリアは聞き取った。師の記憶の奥底から浮かび重なるもう一つの声を。恐怖と絶望に軋む無惨な震え声を。
”アザリア。どうなるの、わたし、こわい……”
　瞬間、いまの接触で流れ込んだアザリアの記憶がリアの意識を圧倒した！


　栗色の巻き毛の小柄なアルマはアザリアと並び称された魔術師だった。同期生だった二人はすでにアルデガン最高の魔術師と称えられていたが、天分ではむしろアルマの方が上だった。
　だがもともと温和な性格のアルマは戦いの修羅場が続く中で神経をすり減らし、なにかとアザリアを頼りにしていた。高位魔術師であったゆえ彼らは同じパーティに入ることはできず、それぞれが自分の仲間たちの生死を預かる重責を双肩に負い心身を削る戦いを続けていた。

　ある時アザリアは過労のあまり高熱を出し命さえ危ぶまれる容態となった。アルマはアザリアの欠けた穴を埋めるためより多くの戦いに駆り出された。
　そんなある日、アザリアのパーティに加わったアルマは吸血鬼の毒牙にかかってしまった。仲間たちの死に物狂いの抵抗でなんとか地上に帰還できたものの、ラーダ寺院の一室に閉じ込められるほかなかった。
　意識を取り戻したアザリアがこのことを知ったのは、事件からもう幾日も過ぎたあとだった。未だ熱の下がりきらぬ体を引きずり彼女はアルマのもとを訪れた。見るも無残にやつれ果てたアルマの姿にアザリアは思わず彼女を抱き寄せ詫びようとした。
　そのときアルマは血の凍るような叫びを上げ、アザリアの腕をもぎ放した。牙の伸びつつある口元を押さえ、恐怖と絶望に塗りつぶされようとする目で、打たれたように立ち尽くすアザリアにアルマはいったのだ。
”アザリア。どうなるの、わたし、こわい……”


　アザリアは頭を振り忌むべき記憶を追いやると、右腕にはめていた紫水晶の腕輪をはずした。ようやく我に返った少女に、師はそれを差し出した。
「これをつけていきなさい、リア」
「だめです！　それは支えの腕輪」
「そう、人間の意思の力を高め魔力を強める腕輪。この腕輪のおかげで、こんな私もあなたたちに魔法を教えるだけならなんとかこなしてこれたのよ」
　アザリアの唇にかすかな自嘲が浮かんだ。
「だからこそ、今のあなたに必要なのよ。これはあなたの意思を強める。敵の支配の意思や魔力にあなたが抵坑しようとするとき必ず力を与えてくれる」
　アザリアはリアの右腕に腕輪をはめた。触れたその手を通じ、師の思いが伝わってきた。
「でも、これはあくまで支えにすぎない。あなたに何らかの意思があってはじめて力を発揮するものなのよ。忘れないで」
「アザリア様、私……」
「いいのよ」アザリアは制した。
「私はこれからアルデガンの外へ出向かなくてはならない。人間相手に魔法を使うわけにはいかないのだから」

　鐘楼から正午の鐘がきこえてきた。
「いかなければならないわ、もう。私も、あなたも」
　アザリアは椅子から立ち上がった。
「別々の道を行くことになってしまったけれど、どこかで思いがけない会い方をするような、いえ、そうなりたいものね」
「あの、一つだけ教えて下さい。そのお友達の方はどうなられたのですか……？」
　慄きを隠せぬ愛弟子の、あのアルマの言葉にも似た問いかけにアザリアは思わず目を伏せたが、意を決し姿勢を正した。癒えぬ古傷のごときその痛みに、窺いきれなかった結末を不安のあまり問わずにいられなかった己を悔いるリア。だが時遅く、恐るべき答えが耳に届いた。
「アルマを襲った吸血鬼は私たちを嘲笑いながら洞窟の中を逃げ回ったわ。奴に追いつけずにいるうちに彼女は恐怖に擦り切れて絶望に屈し、とうとう吸血鬼に精神を乗っ取られて襲いかかってきたの｣
　立ち上がったアザリアは扉を開き、背を向けたまま告げた。
「私が焼き尽くしたのよ。この手で、アルマを」

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		<dc:date>2018-05-07T19:23:01+09:00</dc:date>
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		<dc:publisher>WOX</dc:publisher>
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	<item rdf:about="https://mohito.novel.wox.cc/entry2.html">
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		<title>『封魔の城塞アルデガン』第１部：城塞都市の翳り　前半</title>

		<description>　　　　　　　　　　　　　羽田健太郎氏…</description>
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			<![CDATA[ 　　　　　　　　　　　　　羽田健太郎氏の霊と、いと昏き
　　　　　　　　　　　　　Ｗｉｚａｒｄｒｙの思い出に。

＜第１章：プロローグ＞

　暗黒に閉ざされた大地を、滝のような雨が打ちすえていた。

　ごうごうたる轟きの中、男は激しく背後を振り仰いだ。都市を取り巻く巨大な城壁がしぶきにつつまれているのが、暗闇の中にかろうじて認められた。
　若者の顔が歪んだ。それは炎の紋をあしらったローブに叩きつける氷雨のためでも、えぐられ焼けただれた左目の痛みのためでさえなかった。今逃れでた城塞都市への、その地下に封じられた数多の怪物たちへの、なによりそれらを越え得ぬ己が無力さへの限りなき憎悪の顕れであった。
　彼は呪った。たとえ何年かかろうと、命を捨てることになろうとも、この地を焼き滅ぼす秘術をあみださずにおかぬと。だが、彼は自覚しえなかった。右目にたぎる光にいまや狂気が芽吹いていることを。巨大な打撃に光を永遠に失った左目以上に、人間としての己が決定的に損なわれていることを！
「ラァルダーーぁアァーーっ！」
　若き火術師の叫びは、咆哮は、だが轟く豪雨の響きに呑まれ、誰の耳にも届くことはなかった。



　「封魔の城塞」の二つ名を持つ城塞都市アルデガンの建立は、人間と魔物との抗争史における一つの時代の幕開けであった。
　第三暗黒期にエルリア大陸北部の洞窟へ幾多の魔物たちを封じた尊師アールダは、巨大な力を持つ僧ではあったが定命の人間であることに変わりはなく、大陸各地から魔物を洞窟へ追い込んだとき、その命はもはや尽きつつあった。そのためアールダは魔物たちを封じた洞窟の真上に城塞都市を築き優れた戦士や連達の術者たちを定住させることで、魔物の地上への侵略を永く防ごうとしたのである。
　だがそれからわずか二百年後、人間族の力の結集だったはずのこの「封魔の城塞」は深い翳りに覆われようとしていた。

　そして、さらに二十年後……。





＜第２章：訓練所＞

　激しい気合いの声が巨大な城壁にこだました。朝霧を断つ若者の一撃を大男の木刀がまっこうから受けた。
　赤毛の若者はすばやく身を引き、隙なく身構えたまま大男と相対した。細身だが鍛えられた体に闘気をみなぎらせ、鳶色の目で相手を見すえるその姿には巣立ちをむかえた鷹にも似たまっすぐな覇気が満ちていた。
　若者の気迫を正面から浴びながら、だが大男の構えには小ゆるぎもなかった。白いものがめだつ剛毛と赤銅色の巨体を覆う無数の傷跡がくぐり抜けた修羅場を窺わせているが、灰色熊のごときその姿に老いの影はなく、重く、堅く立ちはだかっていた。
「まだまだっ！」
　掛け声とともに若者がさらに数度、角度をかえて師を襲った。真剣とまがう音をたてて二つの木刀が噛み合った。
「よし」大男の口元がわずかにゆるんだ。
「腕をあげたな。アラード」
　精悍な若者の顔が少年のように輝いた。
「光栄です。ボルドフ隊長」
　ボルドフは構えを解いた。
「おまえの剣は訓練生の誰よりも速い。さらに磨くがよい。破壊力は体格とともに伸びてこよう。これからは実戦でカンをやしなうことだ」
　アラードの息がはずんだ。
「では、私を！」
「洞門番に登用する。午後からの班だ。昼食後に詰所へゆけ」
ボルドフは表情を引き締め、つけ加えた。
「生き延びろ、アラード」
　挨拶もそこそこにアラードは訓練所を出た。胸のたかぶりは抑えようもなかった。長く厳しい訓練をおえた誇りと自信がきたる戦いへの闘志となって満ちていた。
　だが、見おくるボルドフの顔は厳しかった。アラードの天分がいかに非凡であれ、怪物との戦いに勝ち残るためには彼にまだ備わっていない破壊力がどれほど重要かを知り抜いていたからだ。開いたままの戸口を見すえるその目には、育ちきらぬ戦士さえも消耗戦へ投入せねばならぬ現状への憤りが黒々と燃えていた。


－－－－－－－－－－


　澄んだ少女の声が複雑かつ精妙な韻律の言葉を、信じ難いなめらかさで紡いだ。
　華奢な色白の少女だった。淡い金髪を後頭部で束ね，簡素な胴着を着たほっそりした姿は、かよわい印象さえ与えかねないものだった。だがその呪文は石壁で囲まれた大広間の空間に作用し、大きな力を秘めた特殊な＜場＞をつくりだした。唱えた者の意のままに、いかようにも状態を変えうる小規模なカオスを。
　しかし、それはいかなる形も取れぬまま突如として揺らぎ、消滅した。少女の空色の瞳に落胆の影がおちた。
「集中できないようね、リア」肩を落とす少女に、いつの間にか壁際で見守っていた白い長衣の女が声をかけた。
「アザリア様！」

　アザリアと呼ばれた女は少女を招いた。上背のある身体に長衣を着こなした女の姿勢には、優美でありながら居ずまいを正させずにはおかぬ強さがあった。しかしその灰色の目の光は決して人を威圧するものではなかった。
　アザリアはリアに椅子をすすめ、自らも真向かいに腰をおろした。
「あなたには力はあるのよ、リア。四大元素に働きかけ使役するだけの魔力と技能はね。でも心がためらっているわ」
　アザリアは言葉を切って、リアを見つめた。
「できないのね、やはり。魔物たちをただ憎むことは」
　少女はこわばった顔で師を見上げた。
「魔物たちが敵なのはわかっています。父も魔物との戦いで命を落としました。でも！」
　リアは両耳を押さえ、小さく叫んだ。
「あのときの怪物の断末魔が耳を離れないんです。命への執着の魂切るような！　私が殺した……」
　アザリアはため息をついた。
「あなたの素質の中で最高なのがよりによって感応力だなんて。そんなものがなければどれほど楽でしょうに」
　彼女はリアの肩にそっと手を置いた。
「でも、あなたはアルデガンに必要なのよ。あなたほどの素質に恵まれた者の、つらくてもそれが勤めなのよ」
　アザリアのまなざしが、ふと宙に向けられた。
「誰にでも代わりができることではないわ」

　リアは知っていた。名付け親でもある師の豊かな亜麻色の髪のかげにむごい傷がかくれているのを。若いころ師は闘いのさなかに瀕死の重傷を負い、高位の呪文に必要な集中は死をもたらすと宣告された。以来アザリアは前線を退き、若い術者の育成に専念してきたのだ。
　だが、その中の少なからぬ若者たちが絶え間ない魔物との消耗戦の犠牲になっていた。戦士であれ術者であれ勝ち残る力を持つ者にしか果たすことのできない務め、それが彼らに課された過酷な義務だった。
「意志の力がすべてなのよ」師の声にリアは我に返った。
「混沌を作りだすことさえできれば、あとはあなたの意志の力でどんなことでもできるの。僧侶たちの＜奇跡＞だって彼らは神の御業というけれど、ゆるぎない信念に支えられた魔法ともいえるのだから。現に」
　アザリアの視線がふたたび彼方に向けられた。
「二十年前、私は一人の火術師の信じられない力を見たことがあるわ」



　アザリアは仲間たちと焼けこげた洞窟を駆けた。火術師の進んだ道はまちがえようがなかった。そこかしこに犬のような顔のコボルトや巨躯のオーガなどがなかば炭化した骸をさらしていた。アザリアたちは煙に咳込みつつ走った。
　彼らは下層に達しようとしていた。魔物たちの死体は驚くべき数だった。ラルダが吸血鬼にさらわれたとの知らせがあの痩身の火術師から信じ難い破壊力を引き出したのだ。だがとっくに限界に達しているはずだ。しかもこのあたりには炎に耐性のある魔物もいる。
　突然前方が明るくなった。ついで地鳴りのような爆発音がとどろいた。
「あそこだ！」
　誰が叫んだかに気づくより早く、アザリアは転移の呪文を唱えきった。
　視界がひらけた瞬間アザリアの目に飛び込んだのは、消耗しつくしてくずおれる火術師と焼けただれつつもなお荒れ狂う巨人の姿だった。巨人は倒れゆく長衣の若者に焼けた大岩のごとき拳を振り上げた。呪文はもう間に合わない！
「ガラリアン！」
　アザリアは叫び身を投げ出した。苦しまぎれの、しかし巨大な一撃が二人をかすめ、虫けらのように岩壁へ吹き飛ばした。



「私の意識が戻ったとき、ガラリアンは姿を消したあとだった。左目を失ったということだったわ」
　アザリアの目がリアに向いた。
「彼の場合は想い人が洞窟で消息を絶ったことがあれだけの力を引き出すことになった。あなたも自分が戦う意味を見つけさえすれば力を発揮できるのよ。あなた自身が生き残るためでもあり、素質の劣る者を死地から救うためでもあるのよ」
　そう語る師の顔に苦渋の色が浮かんでいるのをリアは見た。かつては非凡な魔術師であったこの女性がいかに自らの無力ゆえに救えなかった人々のことで苦しみ続けてきたか、手に取るように心に流れ込んできた。少女は思わず胸を押さえた。あたかも疼く古傷を押さえるかのごとく。
　それが感応力の発露、あのとき魔物の断末魔を感じてしまった力だった。でもそれは相手の思考を読みとるというより、感情の動きを感じ取るものだった。だから予想できなかったのだ。続く師の言葉がいかなるものかまでは。

「さきほど大司教閣下から旅に出るよう命じられたわ」
　驚いて見上げたリアを、アザリアはまっすぐ見つめていた。
「魔物たちがこの地に封じられて年月がたつうちに諸国からの援助が途絶えがちになってきているのは知っているわね。アルデガンへの物資の援助や人材の派遣は今ではこの地に接する北部地方に限られ、私たちはすっかり守勢にまわって洞窟の掃討どころか洞門を守るのがやっとという状況になっている」
　リアは頷いた。父もまた洞門を守る闘いで部下を庇い命を落としたのだ。
「西部地域の内乱は収まることを知らず、南部にも不穏な動きがあるわ。このままでは遠からずアルデガンは破られてしまう。大司教閣下は諸国の状況を見てこいと、そしてアルデガンに、ひいては私たち人間すべてに危機が迫っていることを訴えるようにとおっしゃったのよ」
　アザリアは教え子の手を取った。
「いっしょに来なさい、リア。私たちが守っているものが何かを知るために。あなたならその真実から、自分が戦う意味をきっと見い出せるはずだから」





＜第３章：洞門＞

　洞門番になって一刻もせぬうちに、アラードたちはコボルトの襲撃を迎え撃った。
　亜人と称されるコボルトは犬に似た顔を除けば小柄な人間のように見え、粗末な胴着や蛮刀を作ることもできた。豚に似たオークともども人間族にとっては生活の場における厄介な競争相手であり、武装が貧弱な小さな村などは滅ぼされることさえあった。しかしここアルデガンではごく最近まで、訓練を終えたての新米たちにも組しやすい相手と見なされていた魔物だった。
　コボルトの一頭の突進にアラードはまっこうから立ち向かい、錆びかけた蛮刀の力任せの一撃を剣で受けた。だがほぼ同じ体格の敵の一撃には思いがけぬ勢いがあった。反射的に体をかわすアラードを蛮刀の切っ先がかすめた。そのとき、コボルトの動きが一瞬止まった。隙を見せた相手に二度斬りつけると亜人は倒れ、そのまま動かなくなった。
　アラードは周囲を見回した。そこは洞窟の前に広がる砂地だった。正面の洞窟から城壁で三方を囲まれた砂地に攻め込んできた敵の一群は、待ち受けた魔術師たちの呪文にあえなく眠らされ、そのまま戦士たちに斬り伏せられていた。絵に描いたような完勝だった。初陣での圧勝に高ぶる気持ちを抑えきれず、若き戦士はこの戦いを指揮した青年魔術師のもとへと駆け寄った。



　足音に振り向いた魔術師ケレスは、砂地を駆けてくるまだ少年といえそうな姿を認めた。さっきコボルトに押されていた赤毛の剣士だ。礼でもいいに来たかとの思いはその輝くばかりの笑顔に打ち消された。呪文の援護に若者が気づいていないのがあまりに明らかだったから。
「他愛のないものですね」
　息を弾ませていうその姿に、相手が初陣だったことをケレスは思い出した。ならば周囲がまだ見えなくて当然だ。はやる気持ちに水を差しても益はないと判断し、彼は赤毛の剣士に慎重に応えた。
「地の利がこちらにあるからね」
　少年のような剣士は頷くなり、魔法にかかった亜人にとどめをさす仲間たちのところへ走り去った。自分の言葉が素通りしたのに苦笑しつつ、ケレスはボルドフの言葉を思い出した。剣だけは速いが筋力は足りず周りもまだ見えん奴だ。それでも欠けた穴を埋めるために送り出せるのはこいつしかおらん。すまんが面倒をみてやってくれと配属を告げた戦士隊長は頭を下げたのだ。
　それでも援護すれば敵を倒せる以上、貴重な戦力であることにかわりはない。そんな段階に達していない者がいまや大部分なのだから。とはいえ自分たちも人のことをいえた義理ではないと、魔術師の青年は心中ひそかに自嘲した。十分な威力の攻撃呪文に未だ届かず眠りや目潰しの援護呪文で勝機を稼ぐのがせいぜいの自分たち。だからこそ亜人の相手がやっとの新米戦士たちの援護に徹しているのが不本意ながら現状なのだ。

　けれどそれは大事な任務だ。しかもその重要性は月日とともにいや増すばかり。人間と亜人の力がせめぎ合うなら勝敗を決するのは数の力。だが外部からの人的支援を失った人間側は、もはや数の上でも劣勢を隠せなくなりつつある。だからこそ新米たちを無駄死にさせずに必要な実戦経験を積ませなければならず、そのためにも直接敵と切り結ぶ戦士が容易に持ち得ぬ全体を見る目を養うことが魔術師たる者には喫緊の使命なのだから。そう思ったときアザリアの、敬愛する師の顔が脳裏に浮かんだ。単に魔術系呪文の全てを自在に使いこなせたのみならず、同行したパーティから一人の死者も出したことがなかった至高の守り手。魔力だけなら勝る者はいた。無謀にも単身洞窟に挑んだかの火術師がいい例だ。だが師のなし遂げたことはガラリアンにはもちろん、現存するいかなる術者もなしえなかったことなのだ。この城塞都市の最高指導者ゴルツさえも自分にはできなかったことだと、かつてアザリアを称える中で公言したというのだから。その師の導きを受ける中、いつもいわれる言葉がある。魔術の修得は資質に左右されざるをえないが、全体を見る目は修練で磨き、極められる。それが仲間の命のみならず、ひいては人の世の命運をも左右するのを忘れないでと。そう語るときの師から痛いほど伝わる思い、託されるものの重みを自分たちは心に刻み、決して犠牲を出さぬとの誓いを誰もが新たにしてきたのだ。

　新米戦士たちは当分昼の警護に専従するが、自分たちは今夜も当番だ。このところ夜は敵の数がとみに増えている。休めるうちに皆を休ませなければとケレスは見習い魔術師たちを呼び集め、交代するため砂地に降りてきた次の班のリーダーに状況を引継ぐのだった。





＜第４章：路上＞

　夜番の者と交代し宿舎に戻ってきた時もなおアラードの昂揚は続いていた。だからリアに出会うなり話しかけた。相手の様子がいつもと違うことにも気づかずに。
「聞いてくれ、リア。洞門番になったんだ！」
「……よかったわね、アラード」
　沈んだ声に、ようやくアラードはなにかが変だと悟った。
「どうかしたのかい？　リア」
「私、旅に出ることになったの」
　予想もしなかった言葉を聞いたアラードの驚きは、だが彼女から詳しい話を聞くうちに寂しさよりむしろ安堵の勝る気持ちへと変わっていった。幼なじみだった二人はそれぞれが訓練を受けるようになってからも互いに励ましあってきたが、アラード自身はリアに魔物と戦ってほしくなかった。だからリアが一時的であれ旅に出れば、少なくともその間は魔物に食い殺されることはないはずだと思った。少年のような剣士は胸を突かれた。己が安堵のあまりの大きさに。
「アザリア様がいっしょなら心配ないさ。きっとすべてうまくいくよ」
　そう励ましつつアラードは思い出していた。リアの父ダンカンのことを。あのときかいま見たその胸中を。


－－－－－－－－－－


「ほんとに単純な奴だな、おまえは」
　なぜそんなことをいわれたのか思い出すより早く、だが苦笑を浮かべたダンカンの顔に酒でも覆い隠せぬ疲労の色が窺えたのがありありと瞼に浮かんできて、おかげでアラードは思い出した。疲れているのかと訊ねたことでそう返されたのだったと。
「だがおまえが裏表なく接してくれるおかげで、リアはずいぶん救われてる。心を読める相手にそうしてくれる奴ばかりじゃないからな。わかってるか？　俺も感謝してるんだぞ？」
　まあ座れといわれ、アラードは自分の皿を隣に置いた。夕方の酒場は活気と喧噪に満ちていたが、からかわれたのではと向けた疑いのまなざしの先で、だが中背の戦士の纏う翳りは薄らぐ気配さえないように見えた。やがてまだ酒の残るジョッキを置くと、ダンカンは料理に手をつけるでもなく机の上に視線を落とした。そのまま動かぬ相手の金髪が、灯りのせいか妙に白っぽく色あせて見えた。見つめる赤毛の若者の耳に呟く声が聞こえた。歳などとりたくないものだなと。
「前にできたはずのことができなくなる。届いたはずの剣が届かず、救えたはずの奴が救えない。こんなことを感じるようになるまで、俺ごときが生き残るはずじゃなかったのに」「そんな！　あなたは立派な」
　古傷だらけの手が遮った。
「誰もが限界まで頑張っているここでは、最後は素質の差がものをいう。俺はこの程度だったのさ。エレーナだってそうだった。傑出した術者とまではいえなかった」
　リアの母の名を出されてもアラードには応えようがなかった。エレーナがリアを産んだことで亡くなったとき、彼はまだ一歳になるかどうかだったから。
「なのになぜ、そんな俺たちからリアは生まれた！　身に過ぎた魔力なぞ持ったんだ！　虫も殺せぬどころか心寄せずにいられぬ娘なんだぞ！」「こ、声が大きすぎますよっ」
　あわてて止めたアラードだったが、相手の言葉を否定する気は毛頭なかった。自分より先に実戦に出たリアが戦えなくなったと知って以来、彼もまた彼女の戦いは自殺行為と信じていたから。そうと知ってか知らずか、ダンカンの顔が縋りつく赤毛の若者に向けられた。

　懊悩の翳りに染まっていた、リアと同じ空色の目が。
「俺の代で終わらせたかった。そう心に誓っていたんだ。なのに状況が悪くなるばかりのこんな時に、俺は衰えてゆくのか。誰も救えず、死地に赴く娘を止めることもできずに……っ」

　どう応じればいいかわからぬままアラードが見つめていると、ダンカンはジョッキを一気にあおり、立ち上がった。
「……俺は帰る。寄宿舎にはおまえ一人でいってくれ」
「なんですって？　二人で面会にいく約束じゃないですか」
「こんな状態で会っても心配させるだけだ」
「そんな！　リアがあなたを待ってるのに！」
　だがいかなる説得も懇願も相手の翳りを払うに至れず、ついに赤毛の若者は唇を噛み呟いた。
「リアにどう話せというんです……」
「ありのまま伝えてくれ。初めてのことでもないからな。それにおまえの嘘じゃリアでなくてもすぐバレる」
　古傷だらけの手が、料理の皿を若者の前に押しやった。
「頼まれ賃と思って食え。ボルドフにいつもいわれてるだろう、とにかくガタイを養えと。奴にも当てにされてるんだぞ」
「次は、来週はいっしょに来てくださいよ。リアにもそういっておきますからね！」
「……ああ、それでいい」
　去りゆくその背にアラードは思った。これでいいはずがない。来週は絶対リアのもとへ連れていこう、引きずってでもそうしなければ！　と。

　だがそれから三日後、夜番に出ていたダンカンは部下を敵から庇って死んだ。


－－－－－－－－－－


　聞こえてきた子らの祈りが、寄宿舎の前の若き剣士を現実へと引き戻した。鳶色のその目が建物を見上げる少女の横顔に焦点を結んだ。
　懊悩の翳りに満ちていた。父親と同じ空色の瞳が。

　だがアラードは、そんなリアの胸中を察することができなかった。寄宿舎から聞こえる幼子らのか細く不安げな祈りを背景に、見納めとなった父親と同じ目をした幼なじみの華奢な少女。その符合の不吉さが、赤毛の若者にそれだけの余裕を許さなかったのだ。胸に焼きつく姿のその不吉さがかき立てる恐れに彼は抗い、はね返さんと一途に念じた。なにがなんでもリアを守る、自分が守らねばならないのだ！　と。

　それが自分たちにもたらす事態も、まして魂の奥底に刻まれたその姿が歳月の果てに遙か彼方で甦る日がくることも、神ならぬ身では知るすべもないままに。





＜第５章：洞門＞

　夜空を閃光が切り裂き砂地の上に無数の影を焼き付けた。

　コボルトやオークなどの大群の急襲だった。倍する数の素早く夜目がきく敵に、若く経験不足の戦士たちは押されていた。形勢不利と見て取ったケレスの指示で魔術師たちが放った目くらましにより戦士たちは辛くも窮地を逃れ、中には敵に反撃できた者もいたが、誰もが数に勝る敵襲に手傷を負っていた。
「落ち着け！　深追いするな！」正面のオークを斬り倒しながらボルドフが叫んだ。すでに十頭以上の亜人を倒していたが、魔物の数は多く勢いは全く減じなかった。乱戦が続けば犠牲が出る、左のコボルトの胴を薙ぎ右のオークの頭を割りつつ巨躯の戦士は焦ったが、引きつけた敵が多すぎて囲みは容易に破れなかった。恩義あったダンカンの最期が一瞬脳裏をかすめた。
　その時再び閃光がほとばしり、ついに砂地全体が真昼とまがう光に満たされた。援護の魔術師たちがいっせいに明かりの呪文を唱えたのだ。目つぶしや敵を眠らせるのがやっとの術者たちを、だがケレスは一糸乱れぬ統率により自在に駆使していた。彼らは乱戦に巻き込まれぬよう距離を置きつつも味方の背後、敵の正面へと常に回り込み、それぞれがペアとなる戦士の戦いぶりを注視しつつ敵を牽制していた。そんな仲間たちにケレスは絶好のタイミングで指示を出したのだ。敵が浮き足立ち洞窟へ逃げ込むものも出始めた隙に、戦士たちはなんとか陣形を立て直した。
「深追いするな、追い返せ！」ボルドフもついに囲みを破り、脅えた亜人たちを蹴散らした。若者たちは気勢をあげ、魔物たちは総崩れとなり敗走した。戦士たちは陣形を組んだまま亜人たちを洞窟へ追い込んだ。

　だがボルドフが若者たちに近づき引き上げを指示しかけたその瞬間、咆哮とともに洞窟から黒い影が躍り出た。
　大柄な獅子とも見まがう怪物だった。いや、胴体は獅子そのものだった。だが、その背には分厚い皮におおわれた翼をもち、尾の先には毒々しい汁に濡れた太い刺があった。にもかかわらず、その顔は人間に似ていた。その口が大きく裂けると二列に並んだ牙がむき出された。悪夢のような怪物は再び吠え、乱れる木霊が山肌と三方の石壁を揺るがせた。
「マンティコアだ、下がれ！」ボルドフは怒鳴った。だが魔獣は若者たちの只中に踊り込んだ。
　たちまち一人が喉笛を噛み裂かれ、二人が翼でなぎ倒され鋭い爪で引き裂かれた。仲間を助けようと斬りつけた若者の脇腹を毒針がえぐった。
　ボルドフは浮き足立つ戦士たちをかき分けて魔獣に対峙した。血まみれの牙をむき出し威嚇する怪物に、ボルドフは盾を掲げて間合いをとった。
　しばし両者は睨みあった。
　怪物の油断なさにボルドフはあえて盾をわずかに下げて右脇に隙を作り攻撃を誘った。跳躍した魔獣の脇腹への突撃を巨躯の戦士は盾でいなしつつ剣を大きく左に振るった。頭を襲った猛毒の尾が斬り飛ばされた。
　おぞましいほど人間に似た声でマンティコアはわめき、手負いの魔獣は捨て身の体当たりにでたが、ボルドフは突進する怪物の顔面に全体重を乗せた剛剣を振り下ろした。巨大な一撃が醜悪な人面から分厚い胴の前半分までざっくり断ち割った。
　戦士たちは魔獣に駆け寄り、まだ痙攣している骸に次々と剣を突き立てた。だがボルドフは見て取っていた。そんな戦士たちの隠しようもない怯えを、そしてケレスを中心に立ち尽くす魔術師たちの受けた衝撃を。やっと見習いの域を脱しつつあった彼らは夜番を担当できるまでになったこの班の戦士たちと訓練を重ね、徹底的に連携を強化してきた。だからこそ二倍もの亜人たちの夜襲にも持ちこたえることができたのだ。それら全てをただ一頭の魔獣は一瞬にして打ち砕いた。四人もの戦士の死はアルデガンにとってもちろん大きな打撃だが、生き延びた者たちの受けた衝撃もそれを何倍にも増幅しかねぬものだった。覆せぬ劣勢に悲壮な思いで抗いながら血の滲む努力で築き上げてきたものが、ただの一撃で崩れ去ったのだから。
　しかも事態は、若者たちが知るすべもない恐るべき事柄さえも暗示していた。異形としか呼び得ぬ姿に恐るべき破壊力を秘めたこの魔獣は、ボルドフにだけは未知の存在ではなかった。かつてまだ洞窟への討伐が行われていた時代、中層付近で何度も戦った相手だった。尊師アールダの結界は人間とかけ離れた力を持つ魔物であるほど強く作用するため、数で押すだけの亜人たちが最も浅い層に出現し地上まで侵攻してくる一方、より深い層の強力で危険な怪物たちは本来ここまで上がってこれぬはずなのだ。

「俺は報告にゆかねばならん。詰め所に待機中の全ての班を呼び出せ。俺が戻るまで総員で守りを固めろ！」
　馬に飛び乗り闇を駆ける戦士隊長の行く手から幼子たちの不安げな祈りが聞こえてきた。やがて寄宿舎が、その後ろにそびえる寺院が視界の中に黒々と浮かび上がってきた。
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		<dc:date>2018-05-07T17:50:20+09:00</dc:date>
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		<title>『塔の姫』　　～アルデガン外伝０～</title>

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　そは遠き昔の遠き世界
　絶頂…</description>
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　そは遠き昔の遠き世界
　絶頂迎えし魔導の技が
　力を得たる多くの者に
　邪心招きし悪しき時代

　高さ競いし黒鉄の塔
　魔力に歪みし昏き空
　地より漏れし雷光の
　あがく龍さながらに
　天に描くよじれし弧

　大陸の西のとある森
　緑豊かな小さき国に
　一人の姫が生を受け
　父王いたく嘆きたり

　野心隠さぬ隣国の王の
　贄となるため生れしか
　王子の妃にと命あらば
　拒む術などありはせぬ

　新たな国へと目移らば
　その命とて危うからん
　ああ呪わしき我が無力
　姫も国も守れぬこの身

　では姫君を秘するまで
　進言せしは宮廷魔術師
　幸い姫君の守り星は森
　未聞の術さえ施せよう

　銀の塔を森の奥に建て
　姫君をそこに匿われよ
　守護の呪文を紡ぐゆえ
　真の名もまた隠されよ

　姫君の身に守りの術式
　森の加護を織り込めば
　森で危難に会おうとも
　その身を塔へ戻せよう
　塔に戻らばもはや姫に
　仇なす術はありはせぬ

　姫君を軸に結界巡らせ
　国に忘却の幻術施さん
　王があえて望まぬ限り
　我が民以外の奴ばらに
　無人の荒野と映るよう
　荒れた森と見えるよう

　老魔術師の忠言容れて
　赤子は森の塔へ移され
　国民の命運負いにけり
　民にも秘されし塔の姫
　姫さえ知らぬその秘密

　日陰に芽吹きし種一つ
　かくて塔にて育ちたる
　黄金の髪と緑の目もつ
　森人一族の秘めたる宝
　年月を経て開くは大輪

　豊かな髪は背にうねり
　紅玉とまがう小さき唇
　侍従と僅かな侍女達と
　時折きたる父王の他に
　語る相手もなけれども

　耳は梢を渡る風を聴き
　瞳は樹木の彩りを映す
　樹木に語らい花を愛で
　緑を映せし銀の塔での
　日々を疑うこともなし

　されど病に伏せりし王
　はや訪れる事能わざり
　父の許へと願いし姫は
　登城禁じる王命受けて
　初めて疑う己が身の上

　なぜこの塔を出られぬや
　なぜこの森を出られぬや
　何故我は気づけざりしか
　かくもこの世の狭きこと

　晩春の宵の薄闇に紛れ
　侍従や侍女の目を盗み
　ついに抜け出す銀の塔
　されど森の中の湖畔に
　淡き花びら渦巻く中に
　佇みたるは魔性の乙女

　黒き衣の背に流されし
　身の丈ほどの髪は雪白
　大きな碧眼のその深さ
　底知れぬその眼差しに
　畏怖を覚えし姫の身は
　白銀の塔へと転移せり

　あれは始祖たる吸血鬼
　出会いし者を転化させ
　人外の身に堕とすもの
　戦慄収まらぬ塔の姫に
　語りかけしは魔性の声

　塔の守りと森の加護
　重ねて堅き守護の術
　我が力とて及ばねど
　定めを変える力なし

　道の交わる者だけが
　我と出会う理なれば
　いずれ時も心も移り
　宿命の刻こそ訪れん

　告げる乙女の低き声に
　見上げる深き眼差しに
　畏れの中にありつつも
　心惹かれし所以は何ぞ

　かの碧眼に宿りし光は
　時越えし者の叡智の印
　遥かな旅路で映じたる
　数多のものの遠き残像

　花散らす風に雪白の髪
　なびかせ薄らぐその姿
　追いし瞳に宿りし色は
　憧れと羨望に他ならず

　ああ籠の鳥の身ぞ哀し
　父君の許すら行けぬ我
　何故この身に許されぬ
　魔性の者すら持つ自由

　思い悩みし姫をよそに
　季節は移ろい迎えし夏
　弟と名乗りし王子訪れ
　父王の訃報告げにけり

　塔の窓に取りすがり
　嘆く姫を見上げる瞳
　同じ緑の目に燃ゆる
　義憤の念ぞ激しけり

　今際の際に父上は語りし
　姉上を秘してありしこと
　国民の守護の人柱となし
　銀の塔に閉じ込めしこと

　驚かれたるも無理はなし
　日陰の身強いる不憫さに
　せめての安らぎ願うゆえ
　父上は真実を秘し給うた

　されどいかなる故あれど
　許されざるはこの仕打ち
　そのかんばせの陰りこそ
　安穏と暮らせし我らが罪

　姉上一人に犠牲を強いて
　もはや暮らすは許されじ
　この国を継ぎし者として
　かの暴虐の仇敵に挑まん

　無謀なことを言い給うな
　父上をかくも悩ませし敵
　勝てる筈などありませぬ
　されど新王の決意は固し

　正面きって勝てずとも
　奇襲によらば勝機あり
　長きにわたり結界の中
　国ごと潜みし我らゆえ

　必ずや災いの影はらい
　この牢獄より解き放ち
　お返しするが我が責務
　王のみが知る真の御名

　姉上の守護の要なれば
　未だ告げるは能わねど
　暗雲晴れしその日こそ
　尊き御名にて呼び申す

　踵を返し立ち去る王に
　白き腕差しのべれども
　惑う思いは千々に乱れ
　言葉の形をなさざりき

　いましばしとの王の声
　去りぎわのその一言が
　姫の惑いをかき立てり
　留めんとの声封じけり

　破壊と死招く魔の光
　遂に夜空へ駆け上る
　己が沈黙のその結果
　悔いつつ祈る塔の姫

　だが朗報なきままに
　夏は無情に翔り去り
　姫の煩悶掻き立てつ
　蒼穹の色ぞ移りゆく

　ある夜地穿つ破滅の雷
　天空焦がす紅蓮の大火
　侍女の悲泣聞かずとも
　疑い得ざる王城の滅び

　侍従が退路へと導けど
　なおも破れぬ守護の術
　無情にも姫を連れ戻す
　獄舎と化したる銀の塔

　この結果をば恐れつつ
　弟の言になぜ迷いしや
　ただ一瞬の解放の夢に
　惑いし罪へのこれが罰

　戻りし侍従や侍女達に
　覚悟にじませ告げる姫
　落ち延び給えそなた達
　我と共に死ぬは許さぬ

　我が身の自由に心惑い
　王を止めざる我のため
　滅せし者ぞいかばかり
　免れ得ざるこの身の咎

　民導くことも叶わぬ身
　王族の責務果たせぬ今
　そなた達に託す他なし
　王族として最後に命ず

　見つかる限りの民草を
　引きいし旅の守りにと
　扉の守りの魔晶石托し
　気丈に侍従ら送り出す

　振り返りつつ去る後姿
　見送りし姫は念じたり
　秋の風より浮き出ずる
　初霜のごとき人影の白

　見上げる深く碧き目を
　見下ろす瞳に揺ぎなし
　思いを秘めし面差しに
　魔性の乙女も応じたり

　我が正体を知りながら
　呼び寄せしとは珍しや
　ならばしばし耳傾けん
　我に告げんとする言葉

　ああ魔性でありながら
　賢者の相を併せし者よ
　御身は全てを覚えしか
　この世に起きし事々を

　否と答えし黒衣の乙女
　我が記憶に留めたるは
　己が道行きに交わりし
　僅かな数にすぎぬもの

　たどる旅路の長さゆえ
　見えしものも多かれど
　定めに抗うすべなき身
　知り得ぬ事もまた多し

　その声のいと柔らかく
　仄かな寂寥帯びたれば
　胸に迫りし万感の念に
　解きほぐされし姫の心

　自らの境遇語りし後
　慰謝と共に続けたり
　御身もまた虜囚なら
　理に抗えぬ身なれば

　思い託すに足る者よ
　敵の手に落ちたれば
　嬲り殺しの他なき身
　贄となるは厭わねど

　されど僅か半年の前
　あれは今年の春盛り
　森の側にて摘みし花
　瞼に浮かぶ鮮やかさ

　かの花の色のみならず
　陽光浴びたる地も森も
　眩しきばかりの蒼穹も
　はや夢幻かと思うのみ

　あの時の我は何ひとつ
　憂いの影も知らざりき
　罪深きことと思いつつ
　無垢への未練断ち難し

　数多の思いに支えられ
　無垢でいられし有難さ
　今はただただ口惜しき
　無垢でありし愚かしさ

　数多の者の逝きし今
　御身に見え語れしは
　我が僥倖に他ならず
　無常を渡りし旅人よ

　散る他なき思いをば
　御身に托し散華せん
　骸は地下に封じ給え
　塵に還るが我が願い

　定かならざる未来ゆえ
　無に還るかは判ぜねど
　我が忘れることはなし
　汝の告げたるその思い

　守り破れし戸を潜り
　歩み入りたる白き影
　姫も階下に降り来り
　死の抱擁に身を委す

　幻術破れし銀の墓所
　早くも訪れたる者は
　詣でる者の筈もなく
　敵たる黒髪の民の王

　見い出す者をば悉く
　剣の錆にさせながら
　目にしたるは銀の塔
　あれぞ宝の蔵ならむ

　見出す品々荒しつつ
　残る地下室暴くため
　扉を破り踏み込めば
　麗わしの骸見出せり

　やよ小癪なる民の姫
　咎を怖れ果てようと
　見逃す余と思いしか
　刻みて野に晒すまで

　言い捨て踵返せども
　背より絡みし白き腕
　声出す事も能わずに
　牙の贄となり果てし

　そは遠き昔の遠き世界
　人と魔織りなす昏迷の
　翳濃き雲間に垣間見ゆ
　うたかたのごとき物語

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