<第1章:山道>

 恐ろしい敵がルザの村に近づいてくるとの知らせに決死の覚悟で飛び出してきた若者たちを待ち受けていたのは、戦いなどとは呼べぬ無惨な運命だった。
 十人の若者は狭い山道に急ごしらえの柵を巡らせ、積み上げた薪の山に火をかけた炎の壁で敵を阻もうとした。限られた時間で作ったにもかかわらず、夜空を染めて燃え上がる炎の壁は両脇が切り立った岩壁だったため首尾よく村への道を塞いだ。
 だが武器といえば、刃こぼれした剣を持ったものが二人に弓を持ったものが一人いただけで、あとは鎌や鍬、川魚を獲るための銛などを手にしているにすぎなかった。それでも若者たちの目はなまくらな刃とは裏腹の切羽つまった死にもの狂いの光を宿していた。敵が山賊や野盗の類でさえあったなら、持ち堪えることもできたはずだった。
 けれど、相手は魔物の群れだった。
 たじろぐ若者たちの目の前で体の小さな魔物が後ろに下がり、大きな魔物が前に出た。そして山道の幅いっぱいに広がったことで、群れの中にいたものの姿が顕わになった。
 小柄で華奢な少女だった。怪物の群れのただ中になどいられるはずがない姿だった。
 けれどその目は燃え上がる炎を映したように赤く、淡い金髪も照り返しを受け火の粉を散らすようだった。そして口元で何かが小さな、しかし鋭い光を放った。
 細い牙だった。正体を悟った若者たちは戦慄した。
「吸血鬼……、金色の髪……」
 まだ少年でしかない最年少のバドルが呻いた。
「さては闇姫の眷属か!」
 その兄でリーダー格のガドルが剣を握りしめた。
「ルザの村はあくまでおまえたちに滅ぼされるしかないというのかっ!」
 顔色を失いながらも、しかしガドルは恐るべき少女を睨みつけた。
「そんな定めになど従えるかっ! 黙って滅ぼされると思ったら大間違いだぞ。撃てっ!」
 矢が少女の胸を貫いたとたん魔物たちが突進した。翼を持った獅子のような魔獣が炎の壁を飛び越えた。岩のような肌の巨人が炎の中に踏み込み燃え盛る柵を踏み砕いた。炎の壁の破れ目から残る魔物たちが一気になだれ込んだ。
 若者たちはいっせいに魔物たちに打ちかかり、手にした武器を突き立てた。しかし貧弱な得物では浅手を負わすのがやっとだった。あっという間に六人が挑んだ相手に食い殺された。
「おのれっ」辛くもあぎとを逃れたガドルたちが体勢を立て直す暇もなく、翼持つ人面の獅子が向かってきた。
「わぁあっ」思わず背を向けたバドルに魔獣が飛び掛った。
「バドル!」兄は弟に体当たりした。転倒した二人の脇を魔獣の体が通り過ぎた。瞬間、ガドルは脇腹に激痛を覚えた。とたんに手足から力が抜け、彼は地面にへたり込んだ。尾の刺の毒が巡り始めたのだ。
 ばりばりと音がした。あとの二人が噛み砕かれていた。恐慌に陥ったバドルが泣き喚きながら逃げ出した。
「そっちはだめだ! 村へ戻るなっ」
 兄の叫びより速く魔獣が弟に追いすがろうとした瞬間、
「戻って! 私から離れてはだめ!」
 透きとおるような声が叫び魔獣の足が止まった。バドルは闇の彼方に駆け去った。
 ガドルは思わず声のした方を見た。

 少女が胸から矢を引き抜いていた。赤い瞳がガドルを見た。
「この先に村があるの? だから私たちに立ち向かったのね」
 気づかれた! ガドルは歯噛みした。
「あなたの村はどこ?」
 答えてたまるかっ! ガドルは顔をそむけようとした。だが、赤い瞳は彼の視線を捉えて離さなかった。視線を伝ってなにかが彼の心に入り込んできた。
 意識を探られると悟ったガドルは抗おうとした。易々と抵抗をすりぬけた少女の魂が触れた。ガドルは驚愕した。
 ずたずたに引き裂かれた魂だった。殺してしまった者のことを悲しみ嘆き、殺さずにいられぬ己が身に苦しみ、ぼろぼろの心が朱に染まっていた。想像もしなかったありさまだった。だが、
「この道をずっとまっすぐ行った川のほとり……」
 少女のその呟きに、我に返ったガドルは絶望に覆われた。
 魔物が近づいてくると聞いた自分たちはいても立ってもいられなかった。無駄死にするだけだからやめろという長を振り切って戦いを挑んだ。その結果仲間たちは全滅し、村の正確な場所まで知られてしまった。
 村はおしまいだ。俺はなんの役にもたたなかった。
 そう思った彼の耳に少女の声が、言葉が聞こえた。
「あなたの村を避けていくわ」

 かすみ始めた目を思わず見開いた。聞こえた言葉が信じられなかった。だが相手は彼を見つめながらいった。
「ここからなら私たちはまだ道を変えられる。このまま村に踏み込んでいたら、私たちは自分を抑えられなかった。あなたの村を間違いなく全滅させた……」
 じりっと少女が近づいた。
「出会ってしまえばそうなるだけなの。みんなは生きるためにあなたたちを貪る。私も渇きに耐えられない。死ぬこともできないこんな身なのに……」
 ぼやけたガドルの目にも相手が泣いていることが見て取れた。その姿が先ほど触れた魂のすがたと一つに重なり、彼は悟った。少女が人の心を持っているのを。
「あなたが場所を教えてくれたから私たちは踏み込まずにすむ。村には行かないって約束する。だから」
 俺たちのしたことは無駄ではなかった。
 死にゆくガドルの盲いた顔がかそけき光に輝いた。
「だから……、だから……」
 いいさ、どうせ死ぬ覚悟だったんだ。
「だから許して……っ」
 死にゆく体はもう牙を感じなかった。ガドルは最後に思った。吸血鬼はこんなにも苦しみながら人を襲うものなのかと。



「もう少し待って、少しだけ……」
 魔物たちの輪の真ん中で、リアは呟きながら殺めた若者の顔を凝視していた。大陸西部のこの地方に多い髪の黒い精悍な顔を、彼女は脳裏に刻みつけた。
 やがてリアは立ち上がり、魔物たちの囲みの外へ出た。背後で肉が引き裂かれ骨が噛み砕かれる音がした。ようやく本来の青い色を取り戻した目からまた涙がこぼれた。

 五年前、人間だったリアは大陸の最北の地に魔物を封じた城塞都市アルデガンに住んでいた。その地に生まれ育った彼女は吸血鬼の牙にかかり、その探索の途中で幼ななじみの若者をかばって死にかけた。
 若者は彼女を死なせたくない一心で自らの血をリアに与えた。そのため彼女は生きたまま転化をとげ人間としての記憶も意識もすべて残したまま吸血鬼と化してしまった。
 時を同じくしてアルデガンの結界は人間同志の戦の中で破れ、封じられた魔物たちが地上に解き放たれた。もはや人間とともに在ることができなくなった彼女は、せめて魔物たちをできるだけ人間の住む場所から離れた本来の棲むべきところへ連れていこうとアルデガンを出た。そして彼女は魔物の群れとともに大陸中をさまよい続けた。それは予想をはるかに超えた過酷な旅だった。魔物たちの数は五年の間に減ってはいたが、目的地に辿りつけたものばかりではなく、旅の途上で力尽きたものも少なくなかったのだ。

 人の世の乱れにより支えを失い魔物との力の均衡が崩れたあの時のアルデガンでは、誰もが死にもの狂いで強大な敵との闘いをくりひろげていた。力及ばなかった者はことごとく斃れた。
 ここで自分たちに立ち向かった若者たちはそんなアルデガンの仲間たちとそっくりだった。常にもました激しい罪悪感が彼女の心を苛んだ。
 できればリアはせめて自分が殺めた者の亡骸だけでもきちんと弔いたかった。だが彼女が牙にかけた者はそのままでは吸血鬼と化す定めだった。それに不死の身で渇きを抑えられぬ自分が命に関わる飢えに苦しむ魔物たちを禁じることもできなかった。
 だからリアは、せめて自らが牙にかけた者の顔だけは覚えようとしていたのだ。初めて牙にかけたレドラス王も含めほとんどの顔を覚えていた。ただ一度、大砂漠に迷い込み飢え渇いたあげく踏み込んでしまった砂漠のほとりの町を、忘我のまま全滅させてしまったときを除いて。
 ここで殺してしまった若者たちはアルデガンの仲間たちと同じ思いの者だったばかりか、砂漠の町での惨劇の再来を身をもって阻んでくれた者たちだった。彼らの魂に報いたい一心で、リアは彼らが武器にした得物をすべて拾い集め、炎の柵の破れた道端に丸く土を盛った塚の頂きに刃先を向けて均等に並べた。
 それは亡骸を回収できなかった仲間たちを弔うアルデガンでの作法だった。

 弔いがすむとリアは魔物たちを連れて山道を少し戻り、沼地に下りて村を大きく迂回した。はるか彼方、若者から読み取った村のある場所とおぼしき位置に明かりが見えた。逃げ戻った少年の話を聞き、大きな炎を燃やしているのを彼女は察した。
 炎を右手に見ながら進んだのでまっすぐ西に進む形となった。やがて沼地を抜けたとき、行く手には鬱蒼とした森が果てしなく広がっているのが遠くからも認められた。まだまだ距離があるにもかかわらず、リアははるかな風に微かな妖気を感じた。



 ルザの村はバドルの話におののいた。八人が食い殺されガドルも倒れたならば、たちまち村まで攻めてくるに違いなかった。
 しかし彼らには逃げ場がなかった。

 西に広がる森は千年の昔からの魔の森だった。そこは黄金の髪の闇姫の統べる最果ての森、ゆるやかに人の領域を侵し緑の闇に呑み込む魔境だった。占師によれば、あと二十年もたてば闇姫が訪れるまでに森はこの村にも迫るとのお告げが出ていた。彼女が忘れられた言葉で告げる滅びを聞いた者は生き血を吸われるしかなく、村を捨てて逃げる以外に助かるすべはないとの卦が。
 そこへ東からも吸血鬼が出現したのだ。同じく黄金の髪の娘の姿で魔物の群れを引きつれて。もはや全滅覚悟で戦うしかない。いくつも家を取り壊し巨大な炎の防壁が築かれた。誰もが恐怖に抗いつつ、迫る脅威を頼りない得物を手に待ちうけた。

 だが、魔物の群れは来なかった。次の夜も、その次の夜も。
 ついに燃やすものがなくなり、村人たちは様子を確かめることにした。若者たちの身内の者が中心となり、決死の覚悟で現地に赴いた。戦いの跡はすぐにわかった。焼け焦げ砕かれた柵の残骸と変色した血の跡がバドルの話を裏づけていた。
 しかし柵の残骸の側に奇妙な塚ができていた。若者たちの得物が明らかに礼をもって盛り土の周囲に飾られていた。そして魔物たちの足跡が引き返した跡が認められた。
 村の占い師は若者たちの勇気が戦神の奇跡を招いたと告げた。九人の若者たちは村を守った英雄とみなされ、奇跡の証たる塚はそのままの形でルザの村の広場に移された。西から迫る来るべき滅びに対する加護あれかしと、村人たちは東からの脅威を退けた奇跡の塚に祈りを捧げるに至った。

 けれど魔の森からの妖気をはらんだ風は、すでにこの村にまで届きはじめていたのだった。
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